徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察

寿司屋の幹部と玉蹴りの監督〜なぜ無能の癖にパワハラをするのか〜

 くら寿司の店長が上司によるパワハラで自殺する事件があった。店舗の駐車場の車の中での焼身自殺というくらいだから、相当の苦しみの中で亡くなったに違いない。そこまで苦しんででも焼身自殺を選ぶほど、精神的に追い詰められていたということだ。当のパワハラした上司というのはたかが寿司屋の幹部の分際で、自分を何か特別優れた人間だとでも思っていたのだろうか。でなければ傲慢にもパワハラ行為なんて行えないはずだ。寿司屋のチェーン店の幹部のスキルって何だろう。特に何も思い浮かばないから、どうせパワポ職人かエア電話でもしていたのだろう。

 

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そもそも看板からダサい。見てるだけで自殺したくなりそうだ。

 

 また、最近世間を騒がせている事件にサッカー部の顧問による生徒への暴行・恫喝行為があった。この監督は自ら喜び勇んで「スッキリ」に緊急テレビ出演するなど倒錯した性癖を持ちながら陰で生徒を恫喝する異常者のようだ。マトモな神経があれば、あんな騒ぎの後で呑気にテレビ出演なんかできる訳がない。恐らく普段から生徒のどんな苦しみも、自分の承認欲求を満たす材料にする癖がついていたのだろう。今回の件も、自分が目立って同情を引く絶好のチャンスだと思ってウキウキしながら東京へ向かう新幹線に乗っていた筈だ。全国放送の後でどんな美女が謝罪する自分の姿を見て感動して、交際を申し込んで来るかと下半身をギンギンさせながら考えていたことだろう。さて、そういう監督は何か素晴らしい技能でも持ってる特別な人間なのかというと、ただの子供の玉蹴りの監督である。なくても誰も困らない職業だし、多分子供達は自分達だけでサッカーをやった方が強くなるだろうし、暴力も恫喝も必要ないだろう。

 

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自己顕示欲と承認欲求と性欲のために意気揚々とテレビ出演し、陰で生徒を脅迫していた異常者の表情

 

 このような「学歴も教養もなく特別優れたスキルを持っている訳でもなく人格も終わってる人間」によるパワハラや恫喝行為が、最近とても流行ってるような気がする。野球の球審にもこのような人物がいるらしい。前の経済再生大臣の西村は東大卒らしいがバカなので学歴も教養もないとしていいだろう。

 

 まあ僕の会社でもパワハラを働く人間は信念も道徳もない、ひたすら虚栄心と性欲だけで生きてるような醜いおっさんおばさんがやってることだから、それがもはや今の社会では当たり前なのかも知れない。少し前なら、強い口調で部下や生徒を叱責する人の中には信念のある人もいて、そういう人が日本経済を引っ張っていたのかも知らない。けれど今は、ニヤニヤしながら飲食店を恫喝した西村のように、動物的な本能から食欲や性欲に逆らえないのと同じような感覚でハラスメント行為を行う人間がとても増えたような気がする。最低限度の道徳心もなくなったというか、もはや人間ですらない連中だ。

 

 寿司屋の幹部になって何をするのだろう。新しいネタでも考えるのか深海の底まで珍しい魚を取りにいくのかそれとも魚に含まれる栄養分がどれほど健康に良い影響があるのか調べるのだろうか。多分そんな仕事もどきのことすら何もしてないであろうこの幹部は、毎日何を考えて過ごしており、これからも何を考えて生きるのだろう。

 

 「スッキリ」に意気揚々と出演して自己顕示欲をたっぷり満たしたサッカー部の監督は、どんな気持ちで出演し、どんな気持ちで「俺が一番の被害者」だと生徒を恫喝していたのだろう。まあ言葉通りに取るなら、自分は世界一可哀想な人間だからスッキリを視聴してる国民の皆さんは、同情してヨシヨシして下さい。僕の誠実さに男性的魅力を少しでも感じた美女の方、連絡を下さい、とでもいった所か。

 

 別に人間だから、威張りたくもなるだろうし沢山の人に同情して欲しい、ヨシヨシして欲しいという気持ちがあるのは仕方ないことだと思う。しかしたかが寿司屋や玉蹴りの監督の分際で、贅沢が過ぎないだろうかと思うのだ。くら寿司なんてなくても誰も困らないし悲しまない(そもそもまずい)。サッカー部は監督がいなければ多分もっと強くなる。学校の部活動の監督の存在意義って多分、監督の承認欲求を満たすためだけだろう。前にも述べたが承認欲求は人を無限に残忍にそして卑劣にする。そして欲望は限度を知らない。普段から生徒に暴力を振るって威張り散らしてたっぷり承認欲求を満たしてるだろうに、それでもまだ飽き足らずに嬉々としてテレビ出演したり、自分より何十歳も年下の生徒に対して「俺が一番の被害者だ」とゴネる。

 

 くら寿司も寿司自体がまずいから、いくらパワハラなんかした所で売り上げなんて伸びっこないし、仮に売り上げが伸びたところでその金はどうせ株とか車とか女とか下らないことに使われるから全くの無意味だ。無意味なことのために優しい人にパワハラを働き、ただでさえ無意味な人生を自らの手でよりいっそう惨めなものにしている。

 

 彼等はヒーローになりたかったのだろうか。イエスキリストのような悲劇的な存在だと自分をアピールしたかったのだろうか。イエスは人の命を助け、暴力を止めるよう訴えた人だからその資格があるが、彼等は人の命を奪い、暴力と恫喝で人から尊敬されたがっている。かくも歪んだ認識の人間が、普通に息をしてこの世界に一緒に生きているという事実に、恐怖を禁じ得ない。単純に頭が悪いだけかも知れないが、そんな人間が人の上に立つのだから恐ろしい世の中だ。

 

 とはいえこのような倒錯した世の中だからこそ、賢者の教えも強く心に響くのかも知れない。当たり前の道徳を忘れず、人に優しくしよう。

 

仕事に慣れるとバカになる

 「私ももう3年目だし、仕事にも慣れてきた頃かな?最近は色んな役割を任されるようになったし、人事評価も悪くない。自分の力を今の職場でもっともっと、発揮してみたい!」なんてもしも新卒で今の会社に入社して石の上にも3年経ったあなたが思ってるなら、それは光の速さでバカになってるということだから気をつけて欲しい。時間に余裕のある社会人は意識して毎日読書しないといけない。家と職場を往復するだけでは、バカな人達と関わり合ってバカな仕事をすることしかできないから、せめて本でも読んでボケを防止をしろ。3年も経って職場に慣れると救いようのないバカになる。本来仕事なんかしてる暇ない筈なのである。僕も今の部署で3年目になるが日に日にバカにそしてクズになってるいるのをひしひしと感じる。そしてそれは、会社の低劣な人間の評判を気にするという卑屈な感情が頭をもたげた時に、最高潮に達する。即ち、会社の人間からの安っぽい賞賛を喜ぶようになった時に僕の魂は、最も卑屈で、最も低劣なものに成り下がるのである。

 

 日本の会社における多くの「仕事」は、パワポ職人とかワード職人とかエクセル職人とかのoffice職人が多く、何一つ特殊な技能や知識を磨くことなく長年会社に居座ってるだけのニートに近いような無能を生むものばかりだ。ニートは働かない代わりに金も貰わないが、office職人は遊んでるだけで大金を貰う。ちょうど学校のお勉強が教師の喋ることをノートに逐一書き写すことであるように、社内のどうでもいいことを逐一パワポやワードに文字おこしするのが仕事になってる連中だ。だが言うまでもなく、そんな売上に繋がらないただのお絵描きや写経を仕事とは言わない。もっとも、そう考えたら仕事らしい仕事なんて世の中にあまりないのかも知れないが。仕事がないにも関わらず8時間も会社にいるから無理が生じて人間性が歪むのだろう。つまらない仕事のモチベーションは女子社員と関わり合うことになり、打ち合わせという名の合コンで一日を潰すようになる。ちょうど大学が学生にとってのレジャー施設であるように、会社はおっさん達のキャバクラのようなものと言っていいだろうか。そして滑稽なことに、ほうれん草やらパワポ職人やらワード職人やらエクセル職人を生業としてるような何の取り柄もない連中も、一人前にパワハラを働くようになる。特別な専門知識もなく毎日一生懸命勉強する訳でもなくとりわけ高学歴でもない連中が、長く会社にいただけで自分を素晴らしくかっこいいパワポ職人だと思うようになる。これが人が腐るまでのプロセスであり、どんな職場でも長く居座り続けると腐るリスクが上がる。

 

 そしてそんな無意味な仕事が中途半端に多忙だと、その悪影響は計り知れない。無駄に長い労働時間にやりがいもどきを感じたり、それを人に押し付けるようになったら救いようがない。もっとも、パワポ職人ですらパワハラを働くのだから、無意味な仕事に関しても押し付けや長時間労働が発生するのは必然である。

 

 だからやっぱり、人は何か一生磨き続けることのできる芸術的な仕事を一つでも持った方がいい。たとえそれにより金銭を得られなくても。食うための仕事ではなく、仕事のために食える何かが人間には必要だ。ブログもその一つ。一生続けられるし、一生磨き続けることができる。こうした仕事は会社で虚栄心やメスへのアピールのためにやるパワポ職人の仕事とは全く違い、自分自身の魂と深く語り合い、言葉の道筋を辿って宇宙の深淵の秘密にまでも辿り着くことができる、永遠へと至る秘儀なのである。ブログを書くことは世界を造ることであるし、宇宙の神秘を垣間見ることでもある。

 

 会社でパワポ職人をしながら何か恍惚とした表情をしてる気味の悪い人間を見かけたら、彼を反面教師にあなたはブログでの執筆活動に勤しむことにしよう。パワポ職人やワード職人がやってることは小学生が教師の前でプリントを解くのと何ら変わらない低レベルな行いだが、ブログを書くことはこの宇宙と世界を創造した神に近づく立派な祈りの行為なのである。会社での労働はエントロピーを増大させるが、ブログはエントロピーを収束させる。言葉は自由であり、魔法だ。言葉を正しく使うことのできる人間は、自分の魂も正しく使うことができる。言葉は永遠への扉を開き、低劣な労働で穢れ切った魂に清涼剤のような癒しを与える。スピリチュアルに言うなら、「真理の泉にて、魂の渇きを癒す」である。この表現はセネカもシュタイナーも使っていた。霊学において僕も大好きなフレーズである。哲学や霊学は宇宙と人生の法則を見極め、無味乾燥な労働から魂を解放する力がある。だから仕事に疲れた時は、ブログを書くといい。

隙間産業で儲けるな

 

 「何か一つ、得意なことや好きなことを見つけ、それを武器に仕事をしろ」とか何とか寝言を言うバカがいた。そいつのしている仕事といえば、職場に長くいるだけの人が割り当てられるポストにいて、適当に書類を確認したり、適当な思いつきを人に指示するような要するに「誰でもできる」仕事だった。小泉進次郎が何か一つでも得意なことを持っていたようには見えないし、実際には世間では、本当の意味で一芸に秀でている人というのは冷遇され差別されがちだ。そもそもこんな発言は無能なのに自分がとりわけ優れてると思ってる人間の妄言なので聞き流して構わない。

 

 「一芸に秀でると、隙間産業で儲けることができる」。バカ言うな。みんながみんな隙間産業で儲けるような社会になったら、エッセンシャルワークがなくなり、誰も食べていけない世界になる。youtuberだのひろゆきだの訳の分からないセコい方法で儲けようとする人間だらけになったら世の中成り立たない。野球選手より毎日みんなが食べる米を作ってる農家の人間とか、老人を介護してる人が偉いのは当たり前だろう。隙間産業でセコく成功しようなんていう発想がそもそも下品なのだ。別に嫌なことをして金を儲ける必要ははいが、世の中食べ物とか資源がどういうバランスで流通してるから知っておくべきである。知っていたら、そんな恥ずべき方法で金を儲けようなどとは思わず、然るべき仕事をほどほどにして、プライベートの時間で人生を充実させればいい。愚にもつかない姑息なテクニックを「一芸」などと称しそれを使ってせせこましく稼ぐことを「隙間産業で成功する」などと威張るような人間には救いようがない。

 

 パワハラも一種の隙間産業である。まともに仕事をしないで部下や後輩を恫喝して、何か成功を得ようとしている。チヤホヤされたいなら普通の仕事を普通にすればいいだけなのに、それは何かものすごい恥だとでも言わんばかりに彼等は人に仕事を押し付けたり外注したり、考えないでいたりすることを何か素晴らしい賞賛されるべきライフハックだと信じて疑わない。普通のことを普通にやってプライベートの時間を静かに充実させればいくらでも無限に幸福になれるのに、彼等は何故かあえてそうしない。狭い隙間に欲望で膨れ上がったぶくぶくの魂を無理に詰め込み、矮小な「成功」を堪能しようと血を吐くような思いで追求する。

 

 「隙間産業」なんかでせせこましく儲けようとするのはやめたほうがいい。結局人は素朴な道徳や真面目に働くことの中に穏やかさや居心地の良さを感じるし、増してや承認欲求や過度の性欲のためにそんなものに固執する人間が増えたら、この世は地獄になるだろう。もっともマトモに働く人間が殆どいない今の日本は、すでにウクライナ以上の地獄かも知れないが。

パワハラする人の不思議

 

 パワハラをする人は不思議で、パワハラをする本人にとって何一つ得なことはない。よくパワハラする人は出世が早いとか女の子にモテるとか何とか言われるが、それは別に得なことでも何でもない。前コロナ担当大臣だった西村恫喝大臣は仲間内でもパワハラ気質だったらしいが、超がつくほどの無能であれだけバカでも大臣になれるということを証明したという意味では素晴らしい功績を残した人物だった。成る程確かにパワハラをする人間は出世するものらしい。

 

 会社に、自分の後輩の悪口を言って楽しんでるオッさんがいた。何でも大学時代の知り合いらしく、大学時代からあいつはダメだっただの俺が世話をしてやっただの偉そうに言っていた。その後輩から聞いたところによると、そのオッさんは大学時代には数々のパワハラ行為をはたらいておりそれで大学を追い出されたそうだ。追い出された先でもパワハラをしており、仕事をする暇もなさそうだ。

 

 パワハラ気質というのは大体が膨れ上がった承認欲求と性欲が原因だ。それ自体別に否定されるものじゃないし何を生きがいにするかは人の勝手だが、この承認欲求と性欲というのは他者を害することなしに満たされることは少ない。だから、自分の中でルールを決めてほどほどに満たそうとするのがよく、あまり追い求めすぎないことが大切だ。セネカ流に言うならば自然に従って生きることが大切で、贅沢は自然に背く。パワハラは贅沢な心が行う低俗な娯楽で、欲望と恐怖に抗えない弱い人間の行いだ。

 

 ロシアのウクライナへの侵略戦争も、もとはというとただのプーチンの承認欲求だろう。また、キャビンアテンダントを侍らせて楽しそうにしているプーチンのことだから、戦争がうまくいけばさぞかし自分はモテるとでも思ってるだろう。単なる承認欲求のために、何の罪もないウクライナの市民を虐殺できるのだから、承認欲求というのがいかに人を残忍にそして惨めにするのかということが分かる。承認欲求の囚われの身になると人は自分の時間を失い、人生を短くする。パワハラに邁進する人間も同様に、承認欲求のたまに自分を売り渡し、吐瀉物を他人にぶち撒け、それを拭わせることを何か高尚な趣味のようなものだと思っている。日本人であれば陰湿ないじめをニヤニヤしながらがら眺めることを洗練された趣味と思ってるようなものだ。陰湿な京都人が自分達を雅だと思うようなものか。パワハラを働く人間は自分に酔っており、単なる性欲や承認欲求に由来する自分の怒りを何か高尚なものと思い込み、自分で自分の機嫌が取れないから他者に取らせることを立派な大人の条件だと信じて疑わない。

 

 仕事のことを考えてイライラしてるからパワハラ気質になるのだろうか。雇われの身でやる仕事でイライラする価値のあるようなことってあるのか。全てはオッさんの欲の問題に過ぎない。そして信念も何もないのにやたらとオッさん達は不機嫌になれるから不思議なものだ。やたらと道義だの筋だのという言葉を使う割には、自分に逆らえない立場の相手をしっかり選んで、身の安全を確信してから恫喝する。相手の周囲の人間関係をしっかり見極め、その人物を恫喝したり侮辱したりすることで自分の株を上げようと目論む。これに失敗したのがセガの名越で、(もっとも、罰せられないだけのことを成功というのかは、容易には答えられない問題だ)彼は大人しそうな人なら「チーズ牛丼食ってそう」などとバカにしていい、いやむしろ自分の株が上がると思ってそのような発言をし、結果自分の地位を失うことになった。僅かな優越感と承認欲求を得るために、全てを失った分かりやすい例だと思っていい。もっともそのような人物はいくら金や地位があっても貪欲故に常に渇望を感じ続けるだろうから、資源の無駄遣いをしないためにも自分自身のためにもよかっただろう。自らの承認欲求のために社会を破壊するだけ破壊した小泉進次郎みたいなのよりは、裁かれてるだけマシな人生かも知れない。

 

 会社に、何でも否定するだけで建設的な意見を何も言わない若い女子社員を虎視眈々と狙ってるニヤけ面のオッさんがいた。「それは〇〇じゃなくて△△だよ」。どこかのインフルエンサーが多様する表現だが、本人は何か当意即妙な知的な意見を言ったつもりだろうが、箸にも棒にもかからないただ「反応」しただけの言葉で、そもそもそんなものは意見ではない。にも関わらず、このように無意味でかつそれを聞いた全ての人のモチベーションを下げるだけのような発言しかしないパワハラオッさんは沢山いる。自分の口の適当な「反応」が優れた知見だと思ってるのだから始末に追えない。熟慮されたものが何一つなく、発言それ自体が子供のおしゃぶりのようなものだ。口元を動かすと、幼児に逆行できて安心できるだろうから喋るのだろう。赤ん坊の発言だから、建設的なものは何もないと考えるのが妥当か。もっとも、赤ちゃんは可愛いが、オッさんは醜い。幼児退行プレイがしたいなら、そういう風俗に行けばいい。会社で給料を貰ってすることではない。

 

 赤ん坊の発言は意味不明で不思議だ。だからパワハラをするオッさんというのもいちいち意味不明で不思議だ。長く生きてるから反動で幼児退行してしまうのか、それとも単に本当に幼稚で低俗だからそういった存在を目指しているのか。いずれにしても醜いことに変わりはない。

 

 彼等は何故か常にすこぶる不機嫌で、電車とかでもしかめっ面でアホ立ちしている。常に娼婦でも隣に侍らせておけば彼等の顔も少しは緩むのだろうか。貪欲に任せて稼いだ金なのだから、そんな使い方の方が彼等にはお似合いだが、実際はしつこく溜め込み、会社で女の子を物色しながら金を貰い、またはち切れそうな承認欲求を膨れ上がらせる。

 

 またパワハラするオッさんがしてるのはつまらない仕事が本当に多い。どうでもいい単純作業や同じことの繰り返しやらで、「ちゃんとやる」とか「気持ちに応える」とか訳の分からないワードを連発してどうでもいい仕事を部下に押し付けて何一つ会社の利益を生み出さないにも関わらず悦に浸る。そして売上や結果が出なければその責任を仕事を押し付けた部下にそのまま続けて押し付ける。強いていうなら押し付けることが彼等の仕事で、そうすることで延命を図ってきたし、逆にそれくらいしか仕事らしい仕事がない訳だ。その一環で若い人を退職に追い込み、追い込んだ自分は被害者面して更に承認欲求を満たそうとする。

 

 結局欲望も自分自身もコントロールできない人間が、一時のごまかしや延命のたまにパワハラを行うケースが多い。いずれ去らなければならない場所に卑劣なハラスメント行為を働いてまでしつこく居座ろうとすることほど醜いこもないだろう。職場であれ、人生であれ、最終的に去らない人などいないというのに。

 

 自分より若い人が職場を辞めているなら、その若い人より年上の全ての人間は卑怯者だと思って差し支えない。若い人に転職の手間と気苦労を押し付け、自分は同じ職場で承認欲求を満たそう性欲を満たそうとやきもきしながらのほほんと過ごす。若く退職した人は、若く夭折した人と同じく敬虔な存在として、職場にエーテル的な痕跡を残す。死者を供養し敬うのは彼等の影響が今なお偉大だからで、職場にしても若いして辞めていった人達に多くを負っているということを肝に銘じるべきなのである。

 

 パワハラが危険なのは、ともするとあらゆる意味で死者を冒涜することだからだ。そんなことをする人間はやはり、あるゆる意味で救いようがないのである。

 

 

 

  

陰湿さは大人っぽさではない

 

 勘違いしてる日本人は沢山いる。不幸な立場にある人をニヤニヤしながら眺めることや、困っている人がいても素通りして助けないことが、大人っぽさか何かだと勘違いしてる幼稚な日本人は。そういう人達は本人は自分達は何か冷静で、落ち着いた判断のできる優れた人間だと思ってるらしいが、落ち着いているのではなく堕落しているのであって、冷静なのではなく冷徹なだけである(もっとも「冷徹」という言葉に相応しいほど何か深く考えてる人間は彼等の中にはいない)。漢字は被ってても意味は180度違う。彼等は大人になったからそうなったのではない。年を取って子供より幼稚でバカになったから陰湿になったのである。

 

 こうした連中の特徴の一つとして、冷静ぶってる割に簡単に快楽や恐怖心に流される所がある。要するに、爬虫類脳が優位で、人間脳が退化している。爬虫類脳に従って本能的に判断することが、人間として何か優れたことの証だと本気で思い込んでいるが、快楽や恐怖心に抗えない、子供より自制心のない連中なのである。

 

 人間関係を、利害や上下関係としてしか見ることができないような連中だ。学校でいうところのスクールカーストにいちいち敏感で、それに媚びることを生きがいとしている人間と言って差し支えない。僕の会社の社長が典型的なこのタイプで、ウェイ系の明るい無能には卑屈なまでに媚びるのに、大人しいが真面目に仕事をする人達にはこの上なく勇猛果敢に恫喝行為やパワハラを行う(決断力も信念もない無能なのに、恫喝する時だけはびっくりするくらい勇ましい姿を見せた西村前コロナ担当大臣を彷彿とさせる)。多分、自分の中でしっかりした判断軸を持たないから、ウェイ系かそうでないか、スクールカーストの中での立ち位置がどうか、そんなことでしか他人を判断できないのだろうと思う。別に何を人の判断基準にしようがそれは当人の自由だと思うが、そうしたただの陰湿さを冷静さか何かと勘違いするのは恥ずべきことなので控えた方がいいと個人的には思う。困ってる人を遠巻きにニヤニヤしながら眺め、何か取り返しのつかない事態になったら自分は安全だとほくそ笑む下劣な心境に似ている。自分は絶対にそのような立場にならないという自信でもあるのか(そもそもそういった人達はとりわけ賢い訳でも有能な訳でもない)、それとも今にもそういった立場に陥りそうな恐怖心に耐えられずにそのように振る舞うのかは分からないが、いずれにせよ傲慢や恐怖心がそうしたみっともない陰湿で悪趣味な悦びの基盤になっていることだけは確かである。

 

 そのような人達と酒を交わす機会があったが、その時に話す内容がこれがまたひどく、下半身の話だの社内で誰の出世がどうだの、下らなく下世話で下品な内容ばかりで、どんな高い酒もこんな連中と飲むとまずくなるとしみじみ感じさせられたものだ。四六時中そんなことばかり考えてるから、酒の席というよりいっそうの会話の内容が大切になる場でそのような下らない話が出てくる。思想も信念も持たない、ただ快楽と恐怖心があらゆる言葉と行動の原因であるような連中だ。世間や序列に媚びることを至上の喜びとし、陰険さ陰湿さを大人の嗜みとする。信念がないから、いざというときはみっともなく慌てふためく。陰湿なときの静けさはどこにいったのかというばかりに狼狽え、周りに八つ当たりをし、訳の分からないヒステリーをぶつける。

 

 陰湿な人間は、大体同時に卑屈でもある。日本人の多くが権威に弱いのもそれだ。そして卑屈さとは、潜在的には傲慢さに由来する。自分を誰よりも尊敬されるべき偉大な人間と考え、神や自然や偉大な哲人といった尊敬すべき存在を足蹴にすることからそうした思考が生じる。バカの癖に自分を誰よりも尊敬させるような学校教育を行う教師なんかが、そうした悪癖の原因の一つであるかも知れないが、いずれにせよ、歴史に残る偉業一つ達成できてないのに、そこまで傲慢になるのはやはり一人間として誉められた態度ではない。傲慢さはやがて橋下徹のような分裂した人格を生み、支離滅裂な一貫性のない言動を発し、狂人の証を自ら世に刻んでいく。

 

 人は、情をなくしたらボケてしまう。自然や生き物を当たり前に愛で敬う能力が失われてしまう。そうすると、物事の本質が分からなくなる。事物は自分自身の秘密を、それを正しく敬うことのできる人にしか教えない。だから、困っている人をニヤニヤしながら眺めるような人間には、生き物も自然も、自分の秘密を開示したりはしない。すると、生きる意味も宇宙の真の姿も分からなくなり、暴走した承認欲求が支離滅裂な行動を起こさせるのだ。別にシルバーバーチを持ち上げてる訳ではないが、やはり他人にはできる限り親切に振る舞うことを心がけたい。冷たくせざるを得ない時でも、信念に基づいてそうしたい。決して快楽や恐怖心に流されてではなく。

 

 

利他という言葉の気持ち悪さ

 

 別にシルバーバーチを悪く言うつもりはないが、「利他」という言葉はやはり気持ちが悪い。利己主義を克服するというと聞こえがいいのに、利他的に生きるという言葉は非常に胡散臭くて気持ち悪い。自己犠牲を強いてやりがいを搾取するブラック企業のように、ひたすら気力と体力と時間をすり減らさせて、使い捨てるのが目的なのだろう。実際、若者の誰かのために役立とうという気持ちは、余生をエンジョイしようと企てる中高年や老人によって搾取される。ピタゴラスは年長者を敬えといったが、彼らはそのまた年長者(過去の哲人)を敬うことなく、横柄に振る舞っているのだから、ピタゴラスを尊敬する若者は、自分を尊敬させようとするこの中高年よりは優れているということになる。

 

 何かにつけて「人の役に立ちたい」と言いたがる人間の薄っぺらさに言及したのはシュタイナーで、本質を見抜く力のある人とはこういう人のことを言うのだろう。利己主義なしに人は生きることはできないし、利己主義を正しい形で発揮することで、人は善に向かうことができる。やたらと「利他!利他!」と怪しげな呪文のように繰り返す人間の胡散草さといったらない。利他を説くSDGsはそれ自体がなんかもう怪しい宗教団体だし、漫画かゲームだったらもう完全に悪の組織である。もっと他人を思いやれとか、人とコミュニケーション取れとか、利他的に生きなければ人は幸せになれないとか何とか、それっぽいことをいう「聖者」は沢山いるが、それも結局、彼らがいい思いをしたいからで、それは利己主義とは言わないのだろうか?

 

 そういった打算や承認欲求を目標にして人のために生きることなんて苦しいことでしかないだろう。報われないにも関わらず多くの人達が自分の真面目さがいつかは評価されると虚しい期待を抱いて、身も心もすり減らして無益な仕事に身をやつす。しかも賃金もギリギリまで低く抑えられているので、簡単に辞めることもできない。おっさん達は贅沢も性欲も放蕩も何一つ節制しようとする意志は持たないし、そんな醜い自分達を高尚で文化人的だとすら思ってる連中もいる。

 

 こういうと、利他主義が気持ち悪いなら、ひたすら快楽を追求する利己主義が善なのですね、などと言うバカが必ず現れる。利他主義は気持ち悪いが、利己主義もそれに劣らず充分に気持ち悪いのである。人が真の善に達するには、きっかけは利己主義であってもいいかも知れないが、やはり行為そのものへの愛から善を行うのでなければならない。そしてこれは、利他主義とも全く性質の異なるものなのだ。善はその性質上人々を相互に利するが、それを利他主義などと呼ぶのは徳に対する冒涜に他ならない。

 

 「お客さまのため」だの「患者に寄り添う」だの薄ら寒い「道徳」があらゆる企業のスローガンとして声高に叫ばれる。けれども、行為そのものへの愛があれば、そんな気持ち悪いフレーズは絶対に出てこないのである。そして、行為そのものへの愛があれば、仕事それ自体が勝手に動きだし、然るべき善を果たしてくれる。そこには、作為的な善や立派なスローガンの入る余地はない。全てが自然で無理なく、肩の力を入れずにスムーズに行われ、あらゆる理は然るべきところにおさまる。

 

 結局誰かを支配下に置き、害する或いは利益を得ようとする気持ちがあるから、大声で他人に向かって「利他!利他!」などと喚くのである。キリストも、「偽善者は人前で祈る」と言っている。SDGsなんかもう、偽善者の極みでなければなんだろう。

 

ウクライナ危機であぶり出される、「信念のない目立ちたがり屋」

ウクライナが譲歩して降伏すべき」

プーチンにも『正義』がある」

「宇宙から見たら、国境なんてなかった」

「暗殺ってね、意味ないんですよ。すぐ衛兵に殺されるから」

 

 恥ずべき言葉を書き写すだけでも気分が憂鬱になる。ましてやそれを発した人間の名前を書くとよりいっそう気分が悪くなるので、引用はここまでに留めておきたい。沢山の民間人が侵略戦争に巻き込まれて亡くなっているのに、上の言葉ように、「自分がただ目立ちたいからという理由で、歪んだ発言をする」輩が次から次へと湧いて出てくるのは、どういう訳なんだろう。二番目のやつはあれか?クレヨンしんちゃんのヒロシのセリフ「正義の反対は悪じゃねえ、また別の正義だ」を観て感動して、言いたくて言いたくて仕方なかった時に、絶好のタイミングでウクライナで戦争が起きたから、「よっしゃああああああああここでかっこよく言うぜえええええうおおおおおおおおおおお『プーチンにもっ!正義はっ!あるっ!』うおおおおおおお決まったぜえええええええええええ」とか何とか内心思ってるのだろう。「勝負の3週間」とか「神のみぞ知る」という言葉をドラマか何かの影響でノリノリで使っていた前のコロナ担当大臣に、相通じるものがある。ほかの3人も全く同じで、要するにこの連中は、侵略戦争に苦しむ現地の人たちを嘲笑することで、自分の承認欲求を満たそうという訳だ。黙ってウクライナを応援することができない。クレヨンしんちゃんの世界はどうか知らないが、今回のようなケースではプーチンを「絶対悪」と呼んで差し支えない。ここで「正義は一つじゃない」とか「ウクライナ側にも問題があった」とか「宇宙から見れば国境はない」とか「暗殺は意味ない」とかいちいち無意味で下らない上にウクライナの人を冒涜するような言葉を吐いて悦に浸ってる連中はもはや頭がイカれてる。人間というものはここまで腐ることができるのだと、戦争が起きていない筈の日本で、戦時中よりも非道な言葉を発する人がいる。

 

 立場の弱い人を攻撃することには快楽が伴う。だからパワハラをする人が生まれるし、教師はクラスのいじめを見て見ぬふりするのみならず、一緒になって加担する。いじめやパワハラには、綱渡りのようなスリルが伴う。暇を持て余してる田舎の人間にとって、陰湿ないじめは娯楽になる。同じ理屈で、侵略されているウクライナを悪くいい、ロシアを擁護することには麻薬的な快楽が伴う。ちょうど暴力的な男性が自分にだけ優しくしてくれることにこの上ない幸福を感じる女性がいるように。ウクライナに譲歩しろと言ってるのはあれだろう、「いじめられる側にも原因がある」とか何とかいっていじめられてる子を自殺に追い込むタイプの人間だろう。強者が弱者を虐げ奪うことに、何の疑問も持っていない。息をするように差別できる。彼はウクライナの人々に、「ロシアに隷属しろ」と命じているのである。まあ仮に中国あたりが日本に侵略してきたら、真っ先に中国共産党に媚びを売りそうな人物ではあるが。

 

 侵略戦争で、実際に民間人が死んでいるのに、自分の承認欲求を満たすことを優先させる人たちがいる。上記のセリフを吐いている人たちはみなニヤけているか、ドヤ顔だ。真剣で、切実に、悲しそうに言ってる人なんて一人もいないし、ウクライナでの出来事を完全に他人事だと思っているからこそ、ただ思いついたことを無神経に口から垂れ流せるのである。黙ってウクライナの人を応援して、民間人の無事を祈る。そんな幼稚園児でもしてるようなことが出来ない。そんな人間が、呼吸をして、酸素を消費して、大手を振って歩いている。これが今の日本で、こんな国はもしかしたら、戦地よりも遥かに悲惨かも知れない。

 

 他人事というと、EUのフォンデアライエンとかいういかにも無能そうな委員長が、「ヨーロッパに戦争が戻ってきました」などと眉間に皺をよせて勇ましく言っていたが、こいつも他人事としてドラマか映画の出来事のように、ウクライナの情勢を楽しんでいるようだ。まず戦争じゃなくて、侵略戦争だ。そしてヨーロッパでなく、ウクライナだ。助けに行かない癖に何故「ヨーロッパに戦争が戻ってきた」などと言うのだろう。かっこつけたくて仕方ないのはよく分かるけど、こんな無能を委員長に据えているようではEUの未来も大変明るいものになるだろう。因みにこのフォンエアライエンはドイツの人間だそうで、そのドイツは資源輸入を鑑みてロシアへの経済制裁からは手を引いたそうだ。

 

 こうした連中は他人の危機や不幸を自分が目立つために利用しようと今か今かと待ちわびて、アニメやドラマや映画で覚えたセリフを繰り返すことを生きがいとするガキであり、人前に出る資格などないのである。せめて匿名でブログか掲示板にでも書いたらどうだろう。こんなブログでも、少なくとも自分のオツムを振り絞って、なけなしの語彙力で頑張って自分の言葉で書いているというのに。アニメやドラマのセリフを言うのが生きがいなら、それこそもう死んでいるのと同じだ。