今回からシュタイナーの輪廻転生論に登場する、歴史上の登場人物についてまとめていく。セネカに言わせれば、こうした細かい知識についての探究は頭の体操にはなっても叡智に結びつくものではないらしいが、いかんせんセネカの倫理書簡集の訳が終わってからやることがないので、ブログのコンテンツを充実させるためにも、苦にならない程度に進めていく。なお、内容についてはシュタイナーの言っていることはほぼ無条件で正しいものと信じることにして、それを基に知識を整理したり考察を進めていくこととする。
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ギルガメシュ神話
古代メソポタミアの文学作品。詳細はWikipedia「ギルガメシュ叙事詩」を参考にされたい。神人とも言えるほど強大な力を持つギルガメシュの圧政に苦しんでいた都市ウルクの人々は神に助けを求めた。すると神は人間であるエアバニ(エンキドゥ)を地上に送り出した。このエアバニは獣の毛皮をまとっており野蛮人に見えたが、太古の見霊能力を備えていた。ウルクにやってきたエアバニはギルガメシュと衝突するが喧嘩を通じて仲良くなり、親友となった。
しかしやがて色々あってエアバニは死んでしまうことになり、それによりギルガメシュは深い悲しみに襲われることになり、不死について考えるようになる。そして遥か西方に永遠に生きる人物シストロスがいると噂を聞いて、彼に会うために西方に向かう。
シストロスの国に辿り着いたギルガメシュは、どんな人も死を自覚(覚悟)しなければならない*1ことを学ぶ。
そしてギルガメシュはシストロスに尋ねる。(以下そのまま「歴史を生きる」から引用。)
「どのようにしてあなたは、自分の存在の永遠なる核心を知ることができたのですか。なぜあなたは不死を自覚できたのですか。」
そうするとシストロスはこう答えます。
「あなたもそうなることができます。けれどもそうなるには、私と同じように恐怖と不安と孤独のすべてに耐えなければなりません。神エアが人類のこれ以上存続すべきでない土地を破滅させようと定めたとき―—アトランティスの大破局のことです―—、神エアは私に、船の中に座っていなさい、と命じられました。私は生き続けるべき人びとと一緒に船に乗り、大破局を生き延びたのです。」
シュタイナー「歴史を生きる」P23
そしてなんやかんかあってギルガメシュはその後不老不死の秘薬を手に入れるが、ある時蛇に奪われてしまう。しかし魂の不死を知ったギルガメシュは、それでもエアバニに会いたいと願う。
すると本当にエアバニの霊が現れて、ギルガメシュは親友と再会を果たす。
(このあたりの内容については、ずんだもん動画で分かりやすくまとめてくれている人がいるので、参考にされたい。当たり前だがアトランティスとかの話は出てこない。)
この物語に登場するギルガメシュは神的な本性を持つが、一方のエアバニはもっと人間的で「若い魂」を持っている。転生回数がまだあまり多くないので、太古の見霊能力を持っている。
ギルガメシュとエアバニの転生
このバビロニア=カルデア文化期になされたことが、ギリシャ=ラテン文化期にも形を変えて繰り返される。すなわちギルガメシュはアレクサンドロス大王に転生し*2、エアバニはその師アリストテレスに転生した。そしてアレクサンドリアで、霊的な力が個人的な力へと変わった。キリスト教がこの地から生まれたのもそのため。非個人的な道徳を謳うはずのキリスト教だが、この地のキリスト教徒から四世紀の大司教テオピロスと、その後継・血縁者のキュリロス*3のような個人的・利己的な人物が現れたのもそのため。キリスト教はその初期には、みずからの最大の弱点としての、個人的な側面をそのようにさらけ出した。
ヒュパティアの殉教
このアレクサンドリアで、オルフェウスの霊的な本性を物質界に投影した素晴らしい女性がいた。それがヒュパティアである。
(このヒュパティアについても、ずんだもんの分かりやすい動画があるので参考にされたい。また映画「アレクサンドリア」にも描かれている。こちらはレイチェル・ワイズが美人である。)
映画「アレクサンドリア」でレイチェル・ワイズ演じるヒュパティア。美しい。
オルフェウス教徒の求める秘密は、ザグレウス・ディオニュソスの神話の中に見られる。ザグレウスは巨人たちに八つ裂きにされたが、心臓のみはアテーナーによって救い出され、ゼウスの元へ届けられた。そしてゼウスは心臓を呑み込んでセメレーと交わり、ディオニューソスをもうけることで、そのからだに高次の生命力を授けた。このことがオルフェウス教徒によって追体験された。つまりヒュパティアも同じような形で(牡蠣の殻で生きたまま肉を削ぎ落されて)八つ裂きにされた。これにより、オルフェウス教徒は、キリスト教以前に、すでにキリスト教的な最高の体験をしていた。
ヒュパティアの前世は、まだギリシャの哲学史が残される以前のとある人物で、オルフェウス教秘儀の弟子で、シュロスのペデキュレースの師であった。
この人物が4世紀のアレクサンドリアにヒュパティアとして転生し、オルフェウス教の秘密を個人的な体験に置き換えた。彼女はオルフェウス教秘儀におけるすべての体験内容を、数学の中に甦らせた。この叡智に満ちた個性に、初期キリスト教の権力を指向するだけの個性は憎悪を抱き、テオピロスやキュリロスのような人物をあのような所業に至らせた。
アリストテレスの真の教え
話をアレクサンドロスとアリストテレスに戻す。今日残っているアリストテレスの著作はその全体のわずかな部分にすぎず、宇宙と人間に関する彼の素晴らしい洞察の本質を知ることができない。一例として、アリストテレスはアレクサンドロスに、次のように教えている(シュタイナー曰く)。
「地球の熱の作用圏で働くあのエーテル、つまり光エーテル、化学エーテル、生命エーテルは、かつて地球と結びついていた。すべてのエーテルが地球にまで達していた。しかし太古の時代に月が退いたとい、エーテルが地球から去った。そして、外なる空間という死せる世界に属する地上は、エーテルに貫かれていない。ただ春になると、月大霊たちが、生成する植物、動物、人間たちのために、エーテルを月の領界からこの存在たちの中へ持ち込む。そのときの月は形成者として働いている。」
シュタイナー「歴史を生きる」P244
方角とエーテルの働き
アリストテレスはこれらのことを徹底して教えた。人間の骨には血の要素が生き、血液・体液には水の要素が生き、呼吸・言葉には風の要素が生き、思考の中には火の要素が生きていることを。そして東方遠征にあたって、アリストテレスはアレクサンドロスにこう言った。
「東方へ旅立つお前は、ますます乾燥させる元素の中へ、乾燥した土地へ入っていく。」
そして東南のインドに向かうにあたってアレクサンドロスは、次のように言った。
「私は冷と湿の(北西)元素の中から、火の(南東)中へと身を投じなければならない。インドへ進軍しなければならない。」
これが自然に従うことであり、古代の見霊意識(エアバニが持っていたような)にとっては道徳衝動であり、それをアリストテレスはアレクサンドロスに教えた。
また、アレクサンドロスが生誕したまさにその日(紀元前356年)、エフェソスのアルテミス神殿は、ヘロストラトスという冒頭者の放火によって消失してしまった。アレクサンドロスは、東方において失われたものを再び、少なくともギリシャにおいて彫像として保たれていた形だけでも、東方にもたらそうと考えた。
この東方遠征により、西南アジアの各地に、アリストテレスの自然学が根付くことができた。後の時代になっても、多くの学者がギリシャから東方の各地へと渡り、とりわけエデッサの学園とゴンディシャプールの学園は、何世紀にもわたって、ギリシャから優れた人物を迎え入れることができた。
この後19世紀に至るまでのアリストテレスの精神の二つの流れについて語られる。興味がある人は上記の「歴史を生きる」を購入されたい。が、ぶっちゃけ途中から訳が分からなくなってくる。