徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧

セネカ 倫理書簡117 論理の巧妙さ以上に優れた真の倫理について

1. 君はそのように巧妙な問題を提起することで、大変な厄介事を持ち込み、知らず知らずの内に僕を論争と苦悩に巻き込むのでしょう。というのも、それらを解決するために、僕がストア派の仲間たちと意見を異にすれば、彼らに対して申し訳が立たないし、かとい…

セネカ 倫理書簡116 感情の制御について

1. 感情は適度に持つ方がよいのか、それとも全く持たない方がよいのかという問題が、これまでもしばしば論じられてきました。われわれ(ストア派)の学派に属する哲学者は感情を排除し、ペリパトス派はそれを抑制します。しかし僕としては、中途半端に病気であ…

セネカ 倫理書簡115 表面的な幸福について

1. ルキリウス君、僕は君が、言葉や構文について必要以上に拘ることを望みません。君がより配慮すべき、もっと大切なことがあります。追及すべきは、どう書くかではなく、何を書くかであり、この書くということにおいてさえ、目的は書くことではなく考えるこ…

セネカ 倫理書簡114 性格を表す鏡としての文体について

1. 君がお尋ねのことは、なぜある時代に堕落した文体が生じるか、またどのようにして才能ある人々が悪趣味(な文体)へと落ち込み、ある時は大げさな表現が、ある時は気取った表現が、ある時は歌のような調子の表現が広まるのかについてです。あるいは、なぜあ…

セネカ 倫理書簡113 魂とその属性の生物性について

1. 君は、われわれの学派で議論されている問題、つまり、正義や勇敢や賢慮、その他の美徳は生き物であるか、について僕の意見を手紙に書くことをお望みです。愛するルキリウス君、このような緻密な議論によってわれわれは、無益な事柄に知恵を絞り、不毛な議…

セネカ 倫理書簡112 凝り固まった悪徳の改善について

1. 君の友人が、君の望む通りに改善され、教化されることを僕も心から願っています。しかし、彼は非常に凝り固まった状態にあり、そして一層厄介なことに、悪徳の習慣により(善き精神が)崩れて、非常に軟弱な状態に陥っています。 僕は自分が取り組んでいる…

セネカ 倫理書簡111 頭の体操の空虚さについて

1. ギリシャ語の「σόφισματαソピスマタ(詭弁)」をラテン語では何と言うのかと、君はお尋ねです。多くの人々がこの言葉の定義をラテン語で決めようとしましたが、定着したものはありません。その概念自体われわれが一般的に受け入れ、用いたものではないの…

セネカ 倫理書簡110 真の富と偽の富について

1. ノメントゥム*1の別荘から君に挨拶を送ると共に、君が善き精神を保つことを願います。つまりは、全ての神々の好意を得て下さい。というのも、神々が祝福と恩恵を授けるのは、自分で自分自身に好意を持つことができる人だからです。或る人々が信じているこ…

セネカ 倫理書簡109 賢者と賢者の交友について

1. 賢者は賢者の役に立つのかどうかを知りたいと君はお望みです。というのも、われわれ(ストア派)は、賢者はあらゆる善を多分に備えており、完全の域に達していると主張するので、最高善を有する人に、誰がどのように役立つことができるのか、という疑問が生…

セネカ 倫理書簡108 哲学への取り組みについて

1. 君がお尋ねのことは、それを知ることが単に知ることだけに関係するような問題の一つです*1。それなのに、関係しているがために、君は先を急ぎ、僕が今君のために執筆している、倫理哲学の部門全体をまとめた本を待とうとはしません。僕はその本をすぐにで…