徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡116 感情の制御について

 1. 感情は適度に持つ方がよいのか、それとも全く持たない方がよいのかという問題が、これまでもしばしば論じられてきました。われわれ(ストア派)の学派に属する哲学者は感情を排除し、ペリパトス派はそれを抑制します。しかし僕としては、中途半端に病気であることが、どうして健康だとか、有益だとか言えるのかが分かりません。心配しないで下さい。君が失いたくないもの(感情)を、何一つ僕は奪おうとは思っていません!君が心を向けているもの、つまり生きる上で必要で、有益で楽しみをもたらすと君に思われるものについて、僕は好意的で寛大な態度を示しましょう。僕は悪徳を取り除こうとしているまでです。というのも、僕が君の欲望を禁じた後でも、君にはその同じことを恐れることなく、より確かな判断力をもって行い、以前よりも大きな快楽すら感じて欲しいと思っているのですから。そして、もし君が快楽の奴隷ではなく主人となるのならば、それらの楽しみは、どれほどより容易に君の求めに応じることでしょう!

 2. 「しかし」君は言われる。「友を亡くした時に悲嘆するのは自然なことです。当然のこととして流れる涙に、特権を認めて下さい!人々の意見に影響されたり、悪評に落ち込むのも自然なことです。であれば、悪い評判に対し立派な恐れを抱くことが、どうして許されないのでしょう?」

 どんな悪徳も、自己弁護を欠くことはありません。どんな悪徳も最初は大人しく、容易に取り払うことができます。しかし後には、大きく拡がっていきます。ひとたびそれが始まれば、もう決して食い止めることはできません。3. どんな感情も、最初は弱いものです。そこから自分自身を湧き立て、前進しながら力を得ます。感情は追い出すよりも、未然に防ぐ方が容易です。全ての感情は或る種の自然の源から流れ出てくるということを、否定する人がいるでしょうか?自然はわれわれが、自らの悦びに配慮できるようにして下さいました。しかしこの配慮に、過度に耽溺すると悪徳になります。自然は、必要なものには快楽を混ぜ合わせましたが、それはわれわれに快楽を求めさせるためではなく、生きるために不可欠な事柄に快楽を加えることで、それがわれわれの目に魅力的に映るようにするためでした。快楽がそれ自体の権利を主張すると、贅沢となります。

 ですから、これらの悪徳が侵入を求める時、われわれはこれを拒否しましょう。なぜなら、先にも言ったように、これらは立ち去らせるよりも、入場を未然に防ぐ方が容易だからです。4. そしてもし君が、「或る程度の悲しみや、或る程度の恐れは許されるべきです。」と言うのなら、僕はお答えしましょう。その「或る程度」が長引く可能性があり、君が望むところで、立ち止まることはできないのです。賢者は少しも不安を抱くことなく、完全に自分を支配することができます。彼は涙も快感も、意のままに止めることができるでしょう。しかしわれわれの場合、引き返すことは容易ではないので、初めから前進しないことが最善です。5. パナイティオス*1は或る若者に、賢者は人を愛することがあるかを尋ねられた時、非常に上手く答えたと僕は思います。曰く、「賢者については、後ほど見ることにしよう。しかし、いまだ英知から遠く離れている君や私のような人間は、熱狂的なことや制御のきかないこと、他人の奴隷になることや、それ自体で軽蔑されるべきようなことに陥ってはならない。もしわれわれは愛に気に入られれば、その優しさに情欲を煽られ、もし拒否されれば、憤怒に駆られるからだ。容易に得られた愛も、困難の末に得られた愛も、同じようにわれわれを害する。容易なものはわれわれを虜囚にし、困難なものはわれわれと闘争をする。であるから、われわれは自分の弱さを知り、平静に努めるべきなのだ。そして、この不安定な心を、酒や美貌や甘言や、あらゆる追従や誘惑に、さらされないようにしよう。」

 6. ここで、パナイティオスが愛についての質問に答えたことは、どんな感情についても当てはまると僕は申しましょう。滑り易いところからは、出来る限り距離を置きましょう。われわれは乾いた地面の上ですら、しっかり立つことができないのですから。7. この時点で君は、ストア派に対してなされる非難を、僕に突きつけてくるでしょう。「あたながたの誓いはあまりに大きすぎ、あなたがたの教えはあまりに厳しすぎます。われわれはか弱い人間に過ぎず、自分自身に全てを拒否させることなどできません。われわれは悲しみますが、それは激しいものではありません。われわれは欲望を抱きますが、それはほどほどにです。われわれは怒ることがありますが、それは宥められます。」8. では、どうしてわれわれがストア派の説く理想の通りにできないかをご存知ですか?われわれが、自分の力を信じることができないからでしょうか。そうではなく、誓って申しますが、別の理由があるのです。それはわれわれが、自分の悪徳を愛しており、それらを支持し、追い払うことよりも擁護することを好むからです。われわれは自然から、生まれつき十分な強さを与えられており、われわれはこの力の全てを用い、集中させ、われわれの助けとすることができるように、あるいは少なくともわれわれを妨げることのないように、奮い立たせさえすればよいのです。そうはしたくないというのが本当の理由であって、できないというのは言い訳に過ぎません。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 116 - Wikisource, the free online library

・解説

 「怒りについて」などでもたびたび論じられているが、セネカは感情的になることを厳しく戒めている。怒りや悲しみが時として美化されがちな昨今、こうした自制心についての教えは、とても貴重なものだと思える。

 

 

 

 

 

 

 

*1:前185~109年頃のギリシャの哲学者。中期ストア派を代表する人物。書簡33参照。