徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡33 格言を学ぶことの無益さについて

 1. 以前の手紙と同じように、君は僕がこの手紙を終える時、われわれの学派の偉人たちの何らかの格言を添えることを望んでいます。しかし彼らは精選された格言などに関心はありませんでした。彼らの功績はその全体が力強さに満ちています。一部のものだけを他のものより目立たせると、均衡が崩れることは君もご存じでしょう。森全体が同じ高さであれば、一本の木だけが目立つということもありません。2. 詩にはそうした言葉がぎっしり詰まっており、歴史もそうです。ですから、これらの言葉がエピクロスだけの所有物だと思わないで下さい。それらは共有財産であり、とりわけ、われわれの学派のものです*1。しかし、それらはエピクロスにおいてはより注目されてしまいます。なぜなら、それらは君が期待しない時に間隔をおいて稀に現れ、いつも女々しさを自称する人物が勇敢な言葉を語ることは驚嘆に値するからです。そのように、ほとんどの人は、彼を柔弱と考えますが、僕自身の見方では、たとえ長袖*2を着ていたとしても、エピクロスは真に勇敢な人物です。高帯を締めた男性*3と同じように、ペルシャ*4にも、不屈の精神、活力、戦いへの覚悟は見られます。*5

 3. ですから、抜粋や引用といったものを僕に求める必要はありません。他の哲学者たちのあらゆる功績から取り出し得る思想は、われわれの著作全体を貫いています。したがってわれわれは、「目立つ商品」を持ちませんし、客がわれわれの店に入っても、陳列窓で展示されているもの以外は何もないといった形で騙すこともありません。客がどこからでも自分の気に入ったものを得られるようにしています。4. 多くのストア派の哲学者から個々の格言を選び取りたいと思ったら、誰のものがよいでしょう?ゼノン、クレアンテス、クリュシッポス、パナイティオス*6、あるいはポセイドーニウス*7でしょうか?ストア派専制君主制ではありません。われわれ一人一人が、自らの自由を主張します。一方エピクロス派においては、ヘルマルコスの言葉も、メトロドロス*8の言葉も全てただ一つの情報源*9に帰せられます。その共同生活では、誰が発する言葉も、ただ一人の指導者の指揮と命令の下に語られます。どれだけ苦心しようと、非常に多くの同等に優れたものの中から、一つだけを選び取ることなどできないと僕は言います。

貧乏人だけが、自分の持つ羊の数を数える*10

 どこに目を向けても、君が同等に読まない限り、他のものから際立っているように思えるものを目にするでしょう。*11

 5. これゆえ、偉人たちの英知を、その縮図をもって拾い読みすることができるなどと期待することは諦めてください。彼らの英知を全体として精査し、学び取って下さい。それらは一つ一つが、全体として練り上げられ、織り上げられることで優れた一つの作品となっており、そこから何かを抜き取ることは、全体を損なうこと無しにはできません。必要であれば、人間の体の一部を調べるつもりで、その各々の部位を精査してみて下さい。足首や腕だけを褒められても、美人とは言えません。全身としての姿が個々の部位への賛美など忘れさせるほどの人を、美人と言うのです。

 6. しかし、君がどうしてもと言い張るなら、僕はきみにあれこれ言うことなく、ふんだんに差し上げましょう。これらの言葉は非常に豊富にあるからです。これらは至る所に多量に存在しており、探してかき集める必要はなく、単に拾うだけで十分です。それらは時々滴り落ちるのではなく、絶え間なく流れているのです。それらは途切れることなく、密接に結びついています。もちろん、そうしたもの*12は、まだ未熟な者や神殿の外で崇拝している者*13には、大いに役立つでしょう。単一の格言は、一行の詩のように、区切りをもって配置されることで、より簡単に馴染むものだからです。7. そのためわれわれは子供たちに格言——ギリシャ人が「クリア」と呼んでいるもの―—を暗唱するよう言います。より多くのことを学ぶには幼すぎる心でも、そうした内容を理解できるように。しかし、確かに成長した大人が、抜粋されたものを追いまわして、最もよく知られた最も短い言葉で自分の弱さを補い、暗記に依存するというのは恥ずべきことです。彼は今や自分自身を拠り所にすべきです。そうした格言を自分で生み出すべきであって、記憶すべきではありません。老人や、老年のすぐ手前にいる人になっているのに、格言の覚え書きを持っているのは見苦しいことです。「これはゼノンが言ったことだ。」しかし、君自身は何と言ったのですか?「これはクレアンテスの見解だ。」しかし、君自身の見解は何でしょうか?君はいつまで、他人の号令に従って行進するつもりなのですか?自らの指揮を執り、後世の人々の心に残る言葉を発して下さい。君自身の蓄えから、何かを引き出して下さい。8. このような理由から、自分自身の力で何一つ作り上げず、常に誰かの後ろに隠れ、解説者の役割を演じ、長い間学んできたことをただの一度も実行に移すことがなかった連中には、卓越したところなど何もないと僕は考えます。彼らは他人の財産で記憶力の訓練をしてるだけです。しかし記憶することと、理解することは全く別です。記憶するということは、単に頭に入ってきたものを保存するというだけです。一方、理解するということは、その全てを自分自身のものにすることを意味します。それは、模倣に依らず、常に指導者を振り返る必要がないということです。「実際に、ゼノンはこのように、クレアンテスはあのようにいったのだ!」9. 君自身と、君が持つ本との間には、違いを設けましょう!いつまで君は学ぶ側でいるのですか?今から君は、教える側にも立つべきです!格言を読ませれば済むものを、わざわざ語って聞かせるのなぜかとお尋ねですか?生きた言葉は多くのことを成し得るからです。もっとも、その声が単に他人の言葉を代弁するだけものや、ただ報道者の役割を果たすだけのものでなければの話ですが。*14

 10. そして、次のこともまた考慮に入れねばなりません。精神が自分自身に拠って立つにまで至っていない人は、まず第一に、誰もが先人の元を巣立った事柄に関して、先人の後に従うことです。そして第二に、真実が今も明らかでないことに関して、先人に従うべきです。しかし、既に分かっていることに満足していては、真実は決して見つけられません。さらに、従うべき人をあれこれ変えるような人は、真実を見つけられないだけでなく、調査すらすることもありません。11. では第三には、どうすればよいのでしょう?僕は先人たちの足跡を辿らないのがよいのでしょうか?僕は確かに古い道を使いますが、より通りやすい近道を見つけたら、新しい道を切り開きます。われわれより前にこれらを発見した人々は、われわれの主人ではなく案内者です*15。真理は全ての人に開かれています。いまだ独占されてはいません。そして、発見されるべきことは、後世の人にもふんだんに残されています。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 33 - Wikisource, the free online library

・解説

 偉人の著作をかいつまんで紹介する本やyoutuberが多く存在するが、一部だけを切り取って紹介することは本当に弊害が多いと思う。変な意味で偉人をキャラクター化して目立たせて、その言葉の普遍性というか本来の意味を損なうことが多い。一番いいのは、昔の哲学書なら、読みやすい口語訳で書かれた本の一冊全部を熟読することだし、このブログもそれを目的に書いている。

 こうした切り取りや一部だけを目立たせる心理の裏には所有欲や自己顕示欲がある。例えば、学校教師が簡単なことをあえて難しいことのように説明して、生徒にマウントを取るようなものだ。真理を自己所有化して独占してどれにあやかって自己顕示をしたい時、格言を切り取り、勿体をつけて紹介する。

 「itスペシャリストが語る芸術」という優れたブログに、名言について言及した須原良い記事があるので、そちらも参考にされたい。名言は天から与えられる : ITスペシャリストが語る芸術

 僕もツイッターセネカの名言を時おり紹介しているが、それらは全てこのブログで訳が終わった部分に限っているので、少なくともその名言が登場する書簡は全文が無料で読めるようにしている。いわゆる多読の弊害と熟読の勧めに似ている。真理の普遍性を大切にしていきたい。

*1:偉人の言葉を一部だけ切り取って格言のように目立たせると、それからは知識の普遍性や共有性が失われる。彼らの著作全体を捉え、森と見做し、有用なものがあれば、遠慮なく使っていこう、という意味

*2:長袖の下着で、女々しさの象徴

*3:短袖下着。前述の長袖下着とは反対に、男らしさの象徴

*4:長い裾の服を着ていた

*5:セネカにしてみればエピクロスはもともと勇敢な人物で、そのような人物が語る格言は、高帯を締めた男性にも、ストア派にももともと相応しい。だから、エピクロスの言葉を、「柔弱な人物がまれに発した勇敢な言葉」として、森の中で目立つ一本の木のように特別扱いするのでなく、「勇敢な人物であれば誰にでも当てはまる言葉」として全体が高い森の中の一本の木として、普遍的な共有財産として捉えよ、という意味。

*6:前185~109年頃のギリシャの哲学者。中期ストア派を代表する人物。

*7:アパメイア出身のストア派の哲学者。前135~51。パナイティオスの弟子で、中期ストア派の代表的人物。キケローやポンペイウスなどからも尊敬された。この後の書簡でも頻繁に登場

*8:エピクロスの弟子であり親友。書簡6,書簡14,書簡18参照。

*9:エピクロス

*10:オヴィディウス「返信物語」13.824

*11:普遍的な目で読まなければ、格言を偏った目で見てそれを帰する人物を崇めることになりかねない、という意味

*12:格言や要約など

*13:まだ修業が未熟なため、神殿の内部に入ることを許されていないもの

*14:教える側にも立つべき~からここまでは、英語でもラテン語原文でも意味が通るように訳すのは非常に難しかったので、かなり意訳になった。教える側にも立つべき→どうして声に出して教える必要がある?→生の声・言葉にはその人の生きた思想が籠る=著作〔書かれた言葉〕との間に違いを設けることができる。という意味で解釈した。このあたりは人によって解釈が違うと思うので、各自3種の日本語訳なり英語原文なりラテン語原文を参考にされたい

*15:第一に、充分に研究されつくしたことに関して先人に従い、第二に、研究の途上にあることに関して先人に従い、第三に、先人の教えを参考にしつつも、自分で新し道を切り開け=格言に頼らず、自分自身の考えをもって思想を組み立てよ。ということ