徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡64 哲学者の仕事について

 1. 昨日君は、われわれと一緒でした。「昨日」だけと言ったら、君は不満に思ったかも知れません。ですから僕は、「われわれと」を付け加えたのです。僕とのことであれば、君はいつも僕と一緒にいますから。幾人かの友人が現れ、彼らのために普段よりいくらか明るい火が焚かれました。この炎は金持ちの台所の煙突から噴き出して見張り番を驚かせるものではなく、客人が来たことを示す穏やかなものです。2. われわれの話題は、会食においては当たり前なのですが、多岐に渡りました。問題の対象を最後まで追求することはなく、ある話題から別の話題へと飛び移りました。次にわれわれは、父親のほうのクイントゥス・セクスティウス*1の本を読みました。彼は偉大な人物であり、僕の意見を信じて貰えるのであれば、彼自身は否定するでしょうが、真のストア学徒でした。3. ああ何と、偉大な活力と精神が彼の中にあることでしょうか!哲学者であれば誰でもそうである訳ではありません。有名ではあっても、その著書は駄作でしかない人たちもいます。それらには秩序があり、議題があり、論駁がありますが、彼らには信念がないので、そこに魂はこもっていません。しかしセクスティウスを読むと、君は次のように言うでしょう。「彼は生きており、力強く、自由で、人間を超越した存在だ。彼は本を閉じる私を、大きな自信で満たしてくれる。」4. 僕が彼の本を読んでどんな気持ちになったかを君にお伝えしましょう。僕はあらゆる困難に立ち向かいたくなり、このように叫びます。「運命よ、どうして私を待たせるのか?戦おう!見よ、私は覚悟ができている!」僕は自分自身を試さんとして、自分の真価を発揮できる状況を探し求める人の心を想像します。

そして臆病な獣の群れの中で、彼は願う。

口に泡吹く猪が、彼の前を横切るよう、

あるいは金色の獅子が、丘を駆け降りてくるよう。*2

 5. 僕は克服すべきもの、僕の忍耐を試すことができるものを求めます。これは、セクスティウスが持つ素晴らしさのゆえんなのですが、彼は君に幸福な人生の偉大さを示しながらも、それを達成することを絶望させもしません。それは高みにあるものですが、それを求める意志を持つ者にとっては、そこに至るのは可能なことであることを君は理解するでしょう。

 6. そして美徳そのものも、これと同じ効果を君にもたらし、それにより君は美徳を称え、更には美徳に到達することを望むようになります。そして僕について言うと、英知について熟考すること自体に、多くの時間を費やしています。僕はそれらを当惑しながら眺めるのですが、それはあたかも、僕が時折、天空を初めて見るかのように見とれるようなものです。7. ですから僕は、英知が発見されたことと発見者を崇拝します。言うなれば多くの先人たちの遺産の中に入ることを喜びます。彼らは僕のために、この遺産を築いてくれました。彼らは僕のために苦労をしてくれました。しかしわれわれは、〔哲学という遺産を継いだ〕家の主人としての役割を果たさねばなりません。自らが受け継いだものを、増やしていかねばなりません。この相続は、僕が受け取ったよりも大きなものにして、子孫に渡さねばなりません。為さねばならない多くの仕事がまだ残っており、これからも沢山残されることでしょう。たとえ千年後に生まれてくる人であっても、さらに増やす機会を妨げられることはありません。8. 昔の人が全てを発見したとしても、新しいものは必ずあります。つまり、他の人によってなされる、応用や学問研究、発見の整理などです。たとえば目の治療法がわれわれに伝えられてきたとします。別の治療法を探し求める必要がないほどの。しかしそれでもなお、これらの治療法は、個々の疾患や、個々の病気の段階に合わせて調整をする必要があります。この治療法は目のできものを治し、この治療法はまぶたの腫れを抑え、別の治療法は急な痛みや涙の流出を防ぎ、さらに別のは視界を明瞭にします。それから、これらの治療法をいくつか組み合わせ、用いる適切な時期を見計らい、個々の状況に正しく合った治療を施します。

 魂の治療法も古の賢者によって発見されました。しかしそれらをいつ、どのように用いるかを学ぶのはわれわれの仕事です。9. われわれの先駆者は多くの偉業を成し遂げましたが、まだ解決すべき問題は残されています。そうはいっても彼らは尊敬に値し、神聖な儀式をもって崇拝されねばなりません。どうして僕が偉大な人々の彫像を並べ記念日を祝い、僕の熱意を刺激してはいけないでしょうか?どうして僕が敬意と礼賛をもって、常に彼らに語りかけてはいけないでしょうか?僕は自分の先生に抱いている尊敬の気持ちを、彼ら人類の先生にも抱いています。彼らはあのような偉大さが流れ出てくる源なのです。10. 僕は執政官か法務官に出会ったら、彼の名誉ある立場が受け取るべき全ての賞賛を送るでしょう。僕は馬から降りて、帽子も脱ぎ、道を譲るでしょう。ではどうでしょう?僕は大小のマルクス・カトー、賢者ラエリウス*3ソクラテスプラトン、ゼノンとクレアンテスに最大の敬意を払うことなく、僕の魂に招き入れるべきでしょうか?僕は彼らを真に崇拝し、常に立ち上がって、彼らの偉大な名前に敬意を表します。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 64 - Wikisource, the free online library

・解説

 哲学者はたとえ先人から多くの偉大な財産を受け取っても、それを更に増やすことができるし、それを自らの務めとすべきだということ。「人生の短さについて」でも語られている、セネカの哲学に対する絶対の敬意が現れている。

 

 

 

 

 

 

 

*1:書簡59参照。次に続く文章が示すように、自らを折衷主義と見做し、半ストア派、半ピタゴラス派と考えていた。

*2:「アエネイアス」4.158-9

*3:小スキピオの友人。書簡7書簡11書簡25参照。