徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡83 酔っ払いについて

 1. 君は僕の、毎日のことについて、その全てを教えて欲しいと言いました。そして、もし僕が日々のことを君に隠し立てしなければ、僕に対し良い評価を下さるのでしょう。確かにわれわれは、そのように生きるべきです。あたかも全ての人に見られているかのように生活し、あたかもわれわれの魂の奥底をのぞき込む誰かがいるかのように考えねばなりません。実際、のぞき込むことは可能なのですから。人が隠し立てすることに何の意味がありましょう?神の目を逃れられるものは何もありません。神はわれわれの魂や思考に保証人として介入します。「介入する」と言ったのは、いつでも離れ去っていくからです*12. ですから僕は、君が求める通りにしましょう。僕が何を、どのような順番で行ったかを、お手紙で喜んでお知らせします。絶えず僕自身を観察しましょう。そして、最も有益な習慣として、その日の一日を反省するようにしましょう*2。というのも、誰も自分の人生を顧みないことが、われわれを最悪にするのです。われわれは、これからやろうとしてることにのみ思いを馳せます*3。しかし、将来の計画というものは過去から生まれるのです*4

 3. 今日は充実した一日でした。誰も僕からその一部を奪い取ることはありませんでした。全ての時間を休息と読書に充てることができました。わずかな時間のみが運動に与えられ、この点で僕は自分の老年に感謝するのですが、それは殆ど労力を要しません。ほんの少し動くだけで、疲れることができますから。どんなに体力のある人にとっても、疲れることが運動の目的であり、終わりの合図です。4. 僕にはパリウス一人で十分です。君もご存知の、愛すべき少年奴隷です。しかし彼も、別の人と交代することになるでしょう。僕は今や、もっと年少の者を必要としてます。なるほどパリウスは、自分は僕と近しい年代だと言います。どちらも歯が抜け落ちている最中なのですから*5。しかし今でさえ僕は、彼の走る速さに殆どついていくことができません。すぐに、全くついていけなくなるでしょう。毎日の運動がどれほど効果的かお分かりになるでしょう*6。やがて、別々の方向に進むわれわれ二人の間には大きな差が開きます。僕が降りていく間に、彼は登っていくのです。降りる方がどれだけ早いかは、君もよくご存知でしょう。いえ、言い間違えました。僕の生は降りているというよりは、まさに落下しているのです。5. ところで、今日の僕たちの競走の結果がどうだったのかとお尋ねですか?競走*7では滅多に起こらないことですが、引き分けでした。こうして、運動というよりは疲労の後で、僕は冷水浴をしました。これは僕の家では、あまり熱くないお風呂のことを意味します。冷水浴の愛好家である僕は、かつては水路で泳ぐことで新年を祝っており、ちょうど何らかの読みものや書きものや演説をするのと同じように、年始めにウィルゴ水道*8に飛び込んでいました。しかし僕はその後陣営をティベリス河に移し、次に僕の家の浴槽に移しました。僕がとても元気で体調が万全の時には、この浴槽は太陽によってのみ温められます。温浴に耐える体力は、あまりもう僕には残っていません*96. 入浴の後は、乾いたパンで、料理もつかない朝食をとりました。そんな食事の後では、手を洗う必要もありません。それからわずかな時間を昼寝に充てます。君は僕の習慣をご存知でしょう。僕は短い時間眠るだけーー束の間うとうとするだけです。目を瞑っているだけで、僕には十分です。時には自分が眠っていることに気付きますが、時にはそれすら疑うほどです。

 7. そら、今僕には、競技場の騒音が聞こえます!いきなりの大きな歓声に僕の耳は驚かされます。しかし、これが僕の思索を揺り動かすことはないし、その連続性を妨げることもありません*10。僕は彼らの叫びに辛抱強く堪えます。様々な騒音が一つになることによって僕には、打ち寄せる波や、森に打ちつける風や、あるいはその他の無意味な音のように聞こえます。

 8. それでは、僕の関心の的は何だったのかと、君はお尋ねですか?お教えしましょう。昨日から引き続いてある考えが僕の心の中に残っています。つまり、最も聡明な人々が、最も重要な問題について、最も些末で煩雑な証明をするとき、彼らは何が言いたかったのだろうということです*11。彼らの証明は真実なのかも知れませんが、虚偽にも似たものです。9. ゼノンは最も偉大な人物であり、勇敢で神聖なわれわれの学派の学校の創始者ですが、われわれを泥酔から遠ざけることを望んでいました。ですから、善き人は酒に酔わないことを証明する彼の論法を聞いて下さい。「酔っ払った者に秘密を打ち明ける人はいないが、善き人に人々は秘密を打ち明ける。ゆえに、善き人は酔っ払わない。」これに対して、同様の三段論法を立てれば、ゼノンの話がいかに馬鹿げているかが分かるでしょう。それは沢山立てられますが、この一つで十分です。「眠っている者に秘密を打ち明ける人はいないが、善き人に人々は秘密を打ち明ける。ゆえに、善き人は眠らない。」10. ポセイドーニウス*12は、唯一可能なやり方でゼノンの主張を弁護します。もっとも僕は、そのやり方でも弁護はできないと思っていますが。というのも、ポセイドーニウスは、「酔っ払い」という言葉は二通りの意味で使われると言います。一方は、酒を大量に飲んで自制心を失っている者のことで、もう一方は、酔っ払うことが日常になっていて、その習慣の奴隷になっている者のことです。ポセイドーニウスによると、ゼノンの言っているのは後者つまり、泥酔状態にある者のことでなく、酔っ払いの習慣を持つ者のことだそうです。そして、この人に秘密を打ち明ける人はいない、酒が入ると漏らしてしまうから、と言うのです*1311. これは虚偽です。なぜならゼノンの三段論法は、今まさに酔っ払ってる人を指しているのであり、これから酔っ払う人を指してる訳ではありませんから。現に酔っ払っている人と酒好きでは、大きな違いがあることは君も認めるでしょう。実際に酔っ払ってる人は、その時初めて酔っ払い、習慣ではなかったかも知れません。その一方、酒好きは必ずしも酔っ払う訳ではありません。ですから僕は、「酔っ払う」という言葉を、普通の意味で解釈します。特にこの三段論法というやつは、言葉を慎重に用いることを生業とし、用語を重視する人が立てるものですから*14。さらに、もしゼノンがポセイドーニウスの言うような意図を持ち、われわれにもその意味で理解するように求めていたとすれば、彼は言葉の曖昧さを利用して、われわれを罠にはめたということです*15。真実が考察の対象となっている時に、誰もそのようなことをすべきではありません。

 12. しかし今はとりあえず、ゼノンはポセイドーニウスの言うような意味で*16用いていたとしましょう。もっとも、たとえそうだったとしても、大酒を飲むことを習慣にしている者に秘密は打ち明けられない、というのは誤りです。いかに多くの兵士たちが、必ずしも素面でなくとも、将軍や護民官や百人隊長から、秘密の事を託されたかを考えてみて下さい!有名なガイウス・カエサルの―—ポンペイウスを破って国家の実権を握ったカエサルのことです*17——暗殺に関してですが、ティリウス・キンベルはガイウス・カッシウス*18と同じくらい、その計画について(暗殺の秘密を洩らさないと)信頼されていました。カッシウスは生涯水しか飲みませんでしたが、ティリウス・キンベルは大酒飲みの上に喧嘩好きでもありました。キンベル自身もこのことについて、次のように言及していました。「酒を我慢できない私が、誰に我慢できようか*19!」13. そこで各人は、酒については信頼できなくても、秘密の話については信頼できる人について知っていたら、彼らのことを思い出すとよいでしょう。しかし、ある一つの事例が僕の心に思い浮かびましたので、忘れられないように、それについてお話させて頂きましょう。人生には印象深い事例が示されねばなりませんから。古い時代のことばかり思い出す必要はありません。

 14. ローマの保安長官のルキウス・ピソ*20は、就任の時から酔っ払っていました。彼はいつも夜の殆どを宴会で過ごし、正午まで眠っていました。それが彼の朝の時間の過ごし方でした。それにもかかわらず、彼はローマの警護を含む自らの公務に、最も勤勉に取り組みました。神君アウグストゥス帝においても、彼をトラキア*21の指揮官にした時、彼を信頼して秘密の命令を与えました。彼はその地を平定しました。ティベリウス帝もまた、猜疑心と憎悪のいずれをも呼び起こした多くの重大事をローマに残してカンパーニアに赴く時、ピソを信頼しました*2215. 僕が思うに、ピソの酔っ払いが帝には好都合に働いたため、その後、ローマの長官にはコッススを任命したのでしょう。彼は権威と節制を併せ持つ人物でしたが、極度の酒好きで酒に浸かっているような人物でもあり、ある時、宴会の後に元老院の議会にやって来たのですが、眠気を催してついに起きることができず、そのまま家に運ばれたのでした。ティベリウス帝はまさにこの男に、自筆の手紙で多くの事柄を書きました。その手紙は、帝が自分の側近にさえも託すべきではないと考えていたものです。コッススは公的なことであれ私的なことであれ、どんな秘密も漏らすことはありませんでした。

 16. ですから、次のような空論は全てやめにしましょう。「酩酊に束縛されて、自分の心を支配する力を持つ人はいない。ちょうど発酵中のぶどう酒によって樽が壊れたり、底にあるものが何でも(発酵による)熱の力で上に押し上げられるように、酒に浮かれ立った人は心の底に隠れていたものが何でも露わになる。飲み過ぎて酔っ払った人が食べものを胃に留めておくことができないように、秘密も留めておくことができない。彼は他人の秘密も自分の秘密も、同じように吐き出す。」17. こうしたことはもちろんよくあることですが、われわれは同時に、好き放題に酒を飲む習慣があると知っている人たちに、深刻な問題について相談します。ですから、ゼノンの三段論法を弁護する名目で提示された命題つまり、大酒を飲むことを習慣としてる人物に秘密を打ち明けられないというのは、間違いです。

 それよりも、酔っ払いの状態を直接的に非難し、その悪徳を露わにする方が、どれほどよいでしょうか!完全な存在である賢者については言うまでもありませんが、喉の渇きを潤すことで満足できる中程度の善人ですら、それらを避けているのですから。時には楽しさにつられて友人のために長い時間を酒と過ごすことになっても、常に泥酔の手前で自制します。18. 賢者の精神が酒の飲みすぎによって揺り動かされ、酔っ払いがするような愚行をすることがあるかどうかについては、いずれ考えることにしましょう。しかし一方で、善き人が酔っ払うべきでないことを証明したいのなら、どうして三段論法など用いて解決しようとするのでしょう?自分の胃袋の容量も知らずに、度を越えて酒を流し込むことがいかに恥ずべきことかをお示し下さい。素面であれば赤面するようなことを、酔っ払いはどれほど沢山行うかをお示し下さい。泥酔は、自ら作り上げた狂気の状態に他ならないと、どうか言って下さい。泥酔状態を何日も続けている人がいれば、その狂気を疑う者がありましょうか?その狂気は短くなりはしても、小さくはなりません*2319. マケドニアアレクサンドロス大王のことを思い出してみて下さい。彼は最も親しく最も忠実な部下であったクレイトス*24を宴会の最中に刺し殺しました。大王は自分が何をしたかを理解して、死にたいと願いました。確かに死ぬべきでした。

 酔っ払うことは、あらゆる種類の悪徳を燃え上がらせて曝け出させ、われわれの邪悪な企てを覆い隠していた恥の概念をも取り去ります。というのも、多くの人は、自らの善き性向のためよりも、罪を犯すことに対する羞恥心から、禁じられた行為を避けるからです。20. 酒の力が強すぎて心を支配するようになると、隠れていたあらゆる悪が現れ出ます。酔っ払うことは悪徳を作り出すのではなく、それが目に見えるようにするだけです。そのとき、淫らな人物であれば寝室の秘め事も待てず、自らの情欲を即座に求めるがままにすることを自らに許します。そのとき、恥知らずな人物であれば自分の悪癖をあからさまに公言します。そのとき、厚かましい人物であれば、舌も手も控えることはありません*25。傲慢な人物であれば横柄さを増し、冷酷な人物であれば残忍さを増し、嫉妬深い人物であれば、より深い憎悪を抱きます。あらゆる悪徳が解き放たれ、前面に出てきます。21. さらには、自分が誰かを忘れ、ろれつが回らなくなり意味不明な言葉を発し、視線は定まらず、足どりはよろめき、頭はくらくらと眩暈を感じ、まるでつむじ風が家全体を動かしているかのように天井そのものがぐるぐると回り、酒が発砲して腸が膨れ上がることで、胃は苦痛に苛まれます。この時当人にある程度の体力が残っていれば、まだこれらの困難にも耐えられるでしょうが、眠気によって妨害されて、単なる酩酊が消化不良の病的状態にまでなれば、彼に何ができるというのでしょう?

 22. 泥酔が国々にどんな災いを引き起こしたか、考えてみて下さい!この悪徳は、最も活発で好戦的な種族を、敵の手に引き渡しました。長年に渡る頑固な戦争において強固に守り抜いてきた城壁を破りました。隷属に対して最も不屈で反抗的だった種族を、他国の支配下に追いやりました。戦場では無敗だった者たちを、酒で打ち負かしました。23. 僕が先ほど言及したアレクサンドロス大王は、多くの進軍を、多くの戦闘を、多くの冬の遠征を(多くの季節的、地理的困難を克服して、彼はこの遠征を切り抜けました)、水源も不明な多くの河を、多くの海を、その全てを安全に通り抜けました。彼を滅ぼしたのは度を越した飲酒であり、かの有名な死をもたらすヘラクレスの盃でした*26

 24. 大酒を飲むことに、何の名誉があると言うのでしょう?君が勝利を勝ち得て、他の宴会客が眠りこけたり吐いたりして、さらにもう一杯という君の誘いを拒んだとき、君だけが酒宴で酔い潰れずに生き残ったとき、君が素晴らしい剛勇を発揮して、君ほど酒に強い人はいないことを証明して周りの人々を打ち負かしたとき、君は結局は酒樽に打ち負かされるのです。25. マルクス・アントニウスは偉大な人物であり、優れた能力を持っていましたが、彼を滅ぼし、異国の習慣やローマのそれとは異なる悪徳に追いやったのは、酩酊と、酒にも劣らないクレオパトラとの恋以外の何だったでしょう*27?これらが彼をローマの敵にし、これらが彼をローマに敵わなくしました。これらが彼を残忍にしました。彼は食卓の席に、自国の高官たちの首を運び込ませました。非常に華美な、王室のように贅沢な祝宴の真っ最中に、彼が死刑を命じた人たちの首と手を確認したこともあります*28。たくさんの酒を飲んでいても、なお血には渇いていたのです。彼がこれらのことを行いながらだんだんと酔っ払っていったのは許しがたいことですが、完全に酔っ払った状態で行っていたというのは、さらに許しがたいことです!26. 酒宴の後にはたいてい、残忍な行為が続きます。人の健全な精神が腐敗し、野蛮な状態となるからです。病気が長引くと人は愚痴っぽく苛立ちやすくなり、少し気に障ることがあるだけで激怒してしまうのと同じように、酔っ払いの状態が長く続くと魂は残忍に、邪悪になるのです。というのも、人がしばしば我を忘れることで狂気が習慣化して続き、酒が作り出した悪徳が、酒のない時にも力を保持するようになるからです。

 27. ですから君は、なぜ賢者は酔っ払ってはいけないかを述べるべきです。ただの言葉ではなく事実に基づいて、泥酔の恐ろしさと、それにつきものの悪徳について説明して下さい。最も簡単なことを行って下さい。つまり、人が快楽と呼ぶものは、限度を超えると責め苦になることを証明すればよいのです。というのも、もし君が、賢者は多量の酒に浸かって泥酔しても、自分の進路を真っ直ぐ保って歩き続けることができる、などと証明しようとすると*29、君はより三段論法を進めて、賢者は毒を飲んでも死なないとか、眠り薬を飲んでも眠らないとか、ヘレボルス草を用いても、胃の中のものを吐き出すことも下すこともないとか、言えることになるでしょう*30。しかし、彼の足がふらつき、ろれつが回らなくなっている時、どうして信じることができましょう?その人は半分は素面で半分は酔っ払っている、などと*31。お元気で。

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 83 - Wikisource, the free online library

・解説

 「酔っ払った者に秘密を打ち明ける人はいないが、善き人に人々は秘密を打ち明ける。ゆえに、善き人は酔っ払わない。」これは確かにおかしな三段論法だが、これに異様に食ってかかるあたり、セネカは相当な酒好きだったのではないかと思う。他の著作においても、セネカは全体的に酒に肯定的な意見である。たとえば、「心の安定について」では以下のような記述がある。

 ときには、酩酊するまで飲まなければならないときもあろう。だが、われわれは、酒浸りになってはならない。たしなむ程度にしておくべきだ。酒は、憂いを洗い流してくれる。精神の最も深い部分を揺り動かしてくれる。それは、幾つかの病気を癒してくれるが、そればかりでなく、悲しみも癒してくれるのだ。[酒の神]リベルが、その[「自由にする者」という意味の]名で呼ばれているのは、舌を滑らかにしてくれるからではない。精神を憂いの束縛から自由にして、解き放ち、元気を与えて、なにをするにも大胆にしてくれるからなのだ。

 とはいえ、自由に健全な節度があるように、酒にも健全な節度がある。ソロンやアルケシラオスは、酒に溺れたと信じられている。カトーは、酒癖の悪さを非難された。(もっとも、だれが非難するにせよ、立派な告発をするのは簡単でも、カトーを貶めるのはそう簡単ではない。)しかし、われわれは、あまりひんぱんに飲酒をすべきではない。精神が悪い習慣に染まらないようにするのだ。だが、ときには、楽しく自由な気分になって、厳しいしかめ面を、しばしの間、追い払うことも必要なのである。

 

「心の安定について」17.8~9

 このように、酒を飲むことそれ自体をおかしいと言ってる訳ではなく、あくまで節度を持って楽しめと言っている訳である。こうした中庸的なセネカの思想は、その著作の中で変わることはない。

 

 

 

 

 

 

*1:神が常に見ているが、同時に自分自身の自由意志による自制心も大事だ、という意味。

*2:「あらゆる感覚は忍耐を養わねばならぬ。感覚が忍耐強くなるには、心が感覚の堕落化を止めれば自然とそうなる。そのため、心は理性回復のため毎日呼び出されることである。これを励行したのがセクスティウスだ。彼は、一日が終って夜の休息に戻るとき、自分の心に向かって次のように言うのであった。今日お前のどんな欠点を治したか。どんな悪徳に抵抗したか。どんな部分で向上しているか。』毎日審問人のところに出頭しなければならぬことを自覚すれば、やがて怒りは止むであろうし、今までよりも慎重になるであろう。従って、このような一日全体を検査する習慣ほど立派なことはないではないか。自分自身を審査した後の眠りは、一体どのように快いものであろうか。どんなにか平静で、どんなにか深く自由な眠りであろうか。その時には、心はすでに誉められたか、あるいは戒められた後である。この自分自身の、いわば隠れた審問人、ないしは観察官は、すでに自分自身の性格を知り尽くしているのである。このような能力を利用して、私は毎日、自己の前で申し開きをする。明りが視界から消え去り、私の習慣をとうに熟知している妻が沈黙すると、私は自分の全一日をつぶさに調べ、自分の行為と言葉を深く顧みる。私は自分に何ごとも隠さないし、何ごとも忽せにしない。なぜ私は自分の過ちを恐れる理由があろうーー私は次のように言うことができるのだから。『そんなことを二度と再びしないように、気を付けるがよい。今度だけはお前を許してやる。あの討論で、お前の話し方は喧嘩腰であった。今後は馬鹿者たちと会ってはならない。かつて学ばなかった者は、これからも学ぼうとしない。お前は彼に、必要以上に遠慮のない注意を与えた。その結果は彼を改心させたのではなく、怒らせてしまった。これからは、お前の言うことが真実であるかどうかのみならず、言い聞かせる相手が真実に堪えるかどうかも考えるがよい。立派な人間は注意されることを好むが、極悪の人間ほど忠告者に激しい反感を示す。』」怒りについて3巻36.1~4。セクスティウスについては、書簡7,書簡11,書簡25,書簡64参照。

*3:「以上のごとき原因のほかに、また幾つか別の原因もあって、われわれから少なからず重大な任務をむしり取る。それらのうちで第一の、しかも最も強力な原因は、われわれが常に新しい欲望に忙殺されて、現にわれわれが所有しているものではなく、所有せんと求めるものを得ようと努めることである。新しい欲望に執心する者たちにとっては、手もとにあるものはみな、つまらないものになる。」恩恵について3巻3.1。

*4:過去を大切にして振り返って見ることができない人間は、結局実りある未来も得られない、ということ

*5:書簡12に似たような表現がある。

*6:必死についていくことでヘトヘトに疲れるので。

*7:こちらの競走は一般競技における競走。つまり、一般には滅多に起こらないことだが、の意味。

*8:ヴィルゴ水道古代ローマに水を供給していた11本の水道の内の一つ。その終端が現在もあるトレヴィの泉

*9:水路で冷水浴する体力も、炎で加熱した温水に入浴する体力ももうあまりなく、元気な時には、かろうじて太陽光で温められたぬるま湯につかる余裕がある、という意味。

*10:書簡56参照

*11:書簡82に引き続き、無意味な屁理屈を批判する。特にギリシャ人に関してセネカはその哲学の功績を認めつつも、無意味な言葉遊びを頻繁に行っていることを手厳しく非難している。

*12:前2世紀のギリシャの哲学者。書簡33,書簡78参照。

*13:ポセイドーニウスの弁護とは、「善き人は(物理的に)酔っ払わない」とゼノンが言ってるのではなく、「善き人は酒を習慣的に飲むという(悪癖を)持たない(酒好きではない)」と言っている、というもの。

*14:もちろん皮肉。言葉を大事にするならなおさら、ゼノンの言う「酔っ払い」とは言葉通り、「今まさに泥酔状態にある者」のことだろう?というセネカの主張で、これによりポセイドーニウスの弁護は誤りだと言っている。

*15:「酔っ払い」を「酒好き」の意味でゼノンが用いてたとしたら、それは言葉の曖昧さを利用して聞き手を罠にかける、卑怯な詭弁だとセネカは言っている。

*16:「酔っ払い」をという言葉を「酒好き」という意味で

*17:同じガイウス・カエサルでもカリグラ帝(12~41)のことではないとの説明

*18:いずれもブルートゥスらと共に、60人ほどでカエサルを暗殺した。

*19:暗にカエサルのこと。

*20:前48~後32。ネロの暗殺を企てたガイウス・カルプルニウス・ピソとは別人。

*21:トラキアマケドニアと戦闘状態にあったが、ピソはその戦争を勝利に導いた。

*22:二代目皇帝のティベリウス帝は後継者選びをめぐる混乱を逃れた、26年にカンパーニアに隠遁し、その後ローマに戻ることはなかった。

*23:日が経って酔いが冷めたように見えても、短い瞬間に大きな狂気を爆発させる、という意味か。原文を見ても訳は難しかった。

*24:マケドニアの貴族で、アレクサンドロスの古くからの友人。「彼は自分にとって誰より親しい、一緒に育てられたクレイトスを、宴会の最中に己の手で刺し貫いた。おもねることを知らず、マケドニア人、自由人から、ペルシア風の隷従へなかなか移ろうとしなかったからだ。」怒りについて3巻37.1。

*25:食べ物や金銭をあさましく求める、といったニュアンスか。

*26:ヘラクレスケンタウルスを虐殺するきっかけとなった大盃のこと。ここでは大酒が祟って熱病に罹って死んだと言われているアレクサンドロスを象徴するものとして用いている。

*27:クレオパトラの自殺の虚報を信じて、自らもアレクサンドリアで自殺した。

*28:アントニウスキケローを残酷な方法で殺し、その様子を笑っていた。

*29:ゼノンの「ゆえに、善き人(賢者)は酔っ払わない。」を証明しようとすると。

*30:いずれも、先述の「ゆえに、善き人(賢者)は眠らない」に代入できる。

*31:仮に先述の「賢者は酔っ払わない」ことを証明しようとして、ふらふらでろれつが回らない人を、「半分だけ酔っている(ので完全には酔っていない)」などと言おうとしても、そんな馬鹿げた屁理屈が通用するか、とセネカはは言っている。