徒然なる哲学日記

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日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡113 魂とその属性の生物性について

 1. 君は、われわれの学派で議論されている問題、つまり、正義や勇敢や賢慮、その他の美徳は生き物であるか、について僕の意見を手紙に書くことをお望みです。愛するルキリウス君、このような緻密な議論によってわれわれは、無益な事柄に知恵を絞り、不毛な議論のために閑暇を浪費していると、人々に思われてきました。しかし僕は、君の望みに応え、この問題についてのわれわれストア派の見解をご説明しましょう。そして僕自身としては、別の意見を述べましょう。ある事柄は、パイカシウム靴やパリウム外套*1を身に着けた人々に相応しいものです。しかし、昔の人々を動かした事柄とは、あるいは、昔の人々が動かした事柄とは何かについて、説明していきましょう。

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 ここから2~25節にかけて、「美徳や善や正義(といった魂の属性)は生き物であるか(生物性があるか)?」という主題で議論が続くが、あまりに冗長でどうでもいいので丸ごと割愛する(興味のある人は英訳を読まれたい)。簡単にまとめると、「魂は生き物である。美徳は魂の属性である。ゆえに、美徳も生き物である」というストア派の三段論法を、セネカが揶揄するという形である。

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 26. 君は言われる。「まったく、今われわれが議論していることは、どれも織物職人の仕事です*2。」文法破綻や独自表現や三段論法も生き物であると考えて、画家のように、その各々に相応しい顔を与えるとしたら、とんだお笑い草です。これが、眉間を寄せ額に皺を作って議論すべきことでしょうか?僕は今ここで、カエリウスの言葉「ああ、なんという悲劇か」などと言うことはできません。これらはもはやただの滑稽劇です。なぜわれわれは、有益で健全な事柄について話し合い、どうすれば美徳に達することができるか、そこに繋がる道はどこにあるのかを、探究しようとしないのでしょうか?

 27. 勇敢が生き物であるかどうかではなく、次のことを教えて下さい。つまり、勇敢でなければ、危難に立ち向かうための強さを持ち、災いに予め備えて覚悟をしておくことで、あらゆる運命の襲撃を克服することができなければ、生き物は幸福ではないということを。そして勇敢とは何でしょうか?それはわれわれの生来の弱さを守る難攻不落の要塞であり、それに守られた者は、この人生における包囲攻撃の中にあっても、不安を免れ持ち堪えることができるのです。その人は自分自身の力、自分自身の剣を用いているのですから。28. これについて、われらがポセイドーニウスの言葉をお伝えしたいと思います。「君は運命が与えた武器によって、自分は安全になれるなどと決して考えてはならない。自分自身で戦いたまえ!運命は運命自身に対抗しうる武器は与えてくれない。それゆえ敵に対して武装を整えたものであっても、運命に対して備えができているとは限らないのだ。」

 29. アレクサンドロスは確かに、ペルシャ人やヒルカニア人やインド人、その他の海洋にまで広がるあらゆる東方の種族を侵略し、追い回しましたが、彼自身は友人を殺したり失ったりして、暗夜に(寝台で)転がり回って、ある時は自分の犯した罪について、ある時は自分の喪失について嘆き悲しみました。彼は多くの王族や国々を征服しましたが、彼自身は怒りと悲しみ征服されたのです!というのも、彼が目指していたのは、自分の感情以外の全てを支配することでしたから。30. ああ、海の彼方まで支配権を広げることを望み、最も幸福なこととは、軍を率いて数多の属州を占領し、古い領地に新しい領地を加えることだと考える連中は、何と愚かな過ちに捉われていることでしょう!神々に近しい所にある偉大な王国について、彼らは何も知らないのです!31. 自己を支配することこそ、あらゆる支配の中で最も偉大なものです。常に他人を慮り、自分自身については必要なもの以外求めない、そのような正義がどれほど神聖なものであるか、僕に教えて下さい。この正義は野心や虚栄心とは何ら関りを持たず、自分自身で満足をします。

 人が何よりもまず、自分自身に確信させるべきは次のことです。「何の見返りがなくとも、自分は正義を守ろう。」そしてこれだけでは十分ではありません。次のことも確信させましょう。「この最も崇高な美徳を守るため、自らの意で喜んで身を捧げよう。」自らの考えは、個人的な利益からできる限り遠ざけましょう。正義の行為は、その報酬を求める必要はありません。それ以上の報酬が、行為そのものの中にあるのですから。32. 僕が今述べたこれらのことを、君の心に刻みつけて下さい。君の正義を知る人が何人いるかということは、どうでもいいことです。自分の美徳を公言することを願う人は、美徳ではなく名声を求めているのです。君は名声などなくとも、正しくありたいと思いませんか?いいえ、それどころか君は、悪評を受けてでも正しくあらねばなりません。そしてその時は、もし君が賢明であるなら、悪評を甘んじて受け入れ、それを喜びとすらして下さい。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 113 - Wikisource, the free online library

・解説

 内容的には26~32節だけで充分に読むに値する。

 

 

 

 

*1:いずれもギリシャの衣類。つまり、どうでもいい議論に夢中になるギリシャ人のような人に対する皮肉。

*2:つまり、「美徳は生き物であるか?」についての議論は、複雑で緻密なだけで、どうでもいいことだということ。