徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡112 凝り固まった悪徳の改善について

 1. 君の友人が、君の望む通りに改善され、教化されることを僕も心から願っています。しかし、彼は非常に凝り固まった状態にあり、そして一層厄介なことに、悪徳の習慣により(善き精神が)崩れて、非常に軟弱な状態に陥っています。

 僕は自分が取り組んでいる果樹園の栽培法から、一つの例を君にお示ししたいと思います*12. どんな葡萄でも、接ぎ木ができるという訳ではありません。古くなって枯れたり、弱って痩せたりしたら、そうした葡萄の木は若い接ぎ穂を受け入れないか、(受け入れたとしても)栄養を供給することもできず、接ぎ穂の性質や特質と、一体化することもできません。ですからわれわれは通常、地面より上で葡萄の木を切り取ってそこに接ぎ木し、それが上手くいかなければ、次の試みとして、地面より下で切り取って接ぎ木するのです*2

 3. お手紙に書いてくれた君のその友人にも、活力がありません。自分の悪徳に耽ってきたのですから。彼の場合は萎びると同時に頑になってしまいました。彼は理性を受け取ることも、それを育むこともできません。「しかし」君は言われる。「彼自身は理性を望んでいるようです。」信じてはなりません。もちろん僕は、彼が嘘をついていると言っている訳ではありません。彼は本当に欲しているでしょうから。贅沢が彼の腹を立てたのですが、すぐにそれと彼は和解するでしょう*34. 「しかし、彼は自分の生活にはもううんざりだと言っています。」それもそうでしょう。嫌悪感を抱かないことがありましょうか?人は自分の悪徳を、好むと同時に憎みます。ですから、われわれが彼について判断を下すのに適切な時期とは、彼が贅沢を真の意味で嫌っているという保証を、われわれに示した時です。今のところ彼は、贅沢と痴話喧嘩をしているだけです。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 112 - Wikisource, the free online library

・解説

 書簡25書簡29でも、セネカらの友人の改善について述べられている。

 この書簡112の3,4節における、「自分自身にうんざりする」という点は、「心の安定について」2.7~11に詳しい。「人生の短さについて」の文庫版のいずれにも収録されているので、是非とも読まれたい。

 

 

 

 

 

 

 

*1:セネカは別荘で葡萄やオリーブを栽培することも趣味としていた。

*2:今度は周りが土に囲まれているので、より強力に接ぎ穂を支えられる。

*3:贅沢ゆえにうんざりして、何か新しいものとして理性を本当に欲しがっているだろうが、すぐ贅沢と和解するだろう、という意味。