徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡67 不健康と、苦痛への忍耐について

 1. ありきたりな書き出しをすると、少しずつ春らしい天気になってきています。しかし、暑い日になると予想される夏に近づいてはいるものの、まだ涼しさが続いており、まだ春という確信も持てません。この時期はしばしば、冬の天気に逆戻りしますから。いまだにどれほど不安定か、知りたいとお思いですか?僕はまだ完全な冷水浴に自信が持てません。今この時も僕は、寒さを和らげようとしているのですから。これは暑さにも寒さにも忍耐を示せていないと、君はおっしゃるでしょう。しかし僕は自分の年齢において、体の自然の寒さに満足しています。それは真夏にやっと少し緩和される寒さです。2. ですから、僕は殆どの時間を厚着して過ごします。そして、僕は自分を寝台に縛り付けてくれた老齢に感謝しています*1。どうしてこんな理由で老齢に感謝してはいけないでしょうか?僕が望むべきでなかったことを、今は行うことができなくなりました*2。僕の会話の相手は、殆ど本が務めてくれます。君の手紙が届くといつも、僕は君と一緒にいると思って、僕の返事を書き記すのではなく、答えを話そうとしているように感じます。ですから、あたかも共に実際に言葉を交わしているかのように、君の問題の本質について、一緒に精査していきましょう。

 3. 君は僕に、あらゆる善は望ましいものなのかとお尋ねになりました。君はこう言いました。「勇敢に拷問を受け、不屈の心で火炙りにされ、辛抱強く病気に耐えることが善であるならば、それらは望ましいものであることになります。しかし、それらのどれも、祈り求めるに値するとは思えません。少なくとも私はこれまでに、鞭で打たれたり、痛風で体がねじ曲がったり、拷問台で体を引き伸ばされたりすることのために、誓願を立てた人は誰も知りません。」4. 僕の親愛なるルキリウス君、これらの中身を精査しなければなりません。そうすれば君は、それらの中に望むに値する何かがあることを理解するでしょう。僕は拷問から免れることを好みはしますが、耐えねばならない時が来たら、勇敢さと高潔さと逞しさをもって、それらに立ち向かうことを望みます。もちろん僕は、戦争など起こらないことを好みますが、もし起こったならば、外傷や飢えや、戦争の非常性がもたらす全てのものに、気高く耐えることができることを願います。また、僕は病気を切望するほど狂ってはいませんが、もし病に苦しまねばならなくなったら、自制心の欠如や女々しさを示すことは、何一つしないことを願います。結論を言うと、苦難が望ましいのではなく、粘り強く苦難に耐えることを可能とする美徳が望ましいのです。

 5. われわれの学派のある者たちは、あらゆるそうした〔善の〕性質の中で、不屈の忍耐心は望ましいものでないと考えます。なぜなら、それらは嫌悪すべきものではないにしても、われわれは混ざり気がなく、平和で、煩わしさのない善を祈り求めるべきだというからです。僕としては、彼らに同意しません。それはなぜでしょう?それは第一に、望ましくない善というものはあり得ないからです。また第二に、もし美徳が望ましいものであり、美徳の欠けた善はあり得ないのならば、全て善なるものは望ましいものとなるからです。そして第三に、拷問の最中であっても勇敢さは望ましいものだからです。6. ここで君にお尋ねします。勇敢さは望ましくありませんか?それが危険を軽蔑し、危険に立ち向かうものであっても。勇敢さにおいて最も美しく、最も称賛に値する部分は、火炙りに屈することなく、傷に立ち向かい、時には投げ槍すら避けることをせずに、それを胸で受け止めることです。勇敢さが望ましいことなら、拷問に耐えることも望ましいことです。それも勇敢さの一部なのですから。僕が述べたように、ただこれらの中身を精査して下さい。そうすれば、君を迷わせるものは何もなくなります。というのも、ただ拷問に耐えることが望ましいのではなく、それに勇敢に耐えることが望ましいのです。

 7. 「しかし」君は言われる。「誰が自分自身のためにそんなことを願ったのでしょう?」ある種の祈りは、願いが個別に述べられて、公然とした率直なものですが、他の種類の祈りは、一つの願いの名の下に多くの要望が潜んでおり、暗示的に表現されます。例えば僕が、名誉ある人生を願うとします。そして、名誉ある人生とは様々な行為を意味します。そこには、レグルスが閉じ込められた桶*3、自らの手で引き裂かれたカトーの傷*4、ルティリウスの追放*5、あるいは、ソクラテスを牢獄から天界へと導いた毒杯があります。ですから、名誉ある人生を願う場合、僕はそれなしには人生を名誉あるものにできないことをも願ったのです。

8. 彼らは三度も四度も祝福されたのだ。

トロイの高い城壁の下で、父母の眼前で、

幸福な死を迎えた者たちは。*6

この願いを誰に祈るかとか、これはかつても望ましいものであったかどうかなどは、どうでもよいことです。9. デキウス*7は国家のために自らを捧げました。彼は馬を駆り立て、死を求めて敵の真っ只中に突撃しました。彼の息子のデキウスも、父親の武勇に劣ることなく、今や神聖な家訓となった言葉*8の通りに、戦いの最も激しいところへ突撃しました。自身の犠牲が勝利の先駆けとなることのみを考え、高貴な死を願わしいものと見做しました。では、栄誉ある死を遂げ、勇敢な行いとすることが、最高善であるかどうかを疑う必要がありますか?10. 拷問に勇敢に耐えている時、人はあらゆる美徳を用いているのです。ただ目に映る明白な美徳は、恐らく忍耐のみでしょう。しかしそこには勇敢さがあり、忍耐と不屈さと粘り強さが、その枝葉なのです。そこには思慮深さもあります。思慮深さがなければ、先の計画を立てることはできません。避け得ないことを可能な限り勇敢に耐えるよう助言するのは思慮深さです。またそこには、不動心もあります。それは自らの持ち場を離れることなく、どんな権力にもぎ取られそうになっても、自らの目的を放棄しません。そこには互いに不可分な美徳の総体があります。全ての立派な行いは、ただ一つの美徳の働きによるものですが、それは美徳の評議会全体の判決に従ったものなのです。そして、あらゆる美徳に認められたものは、ただ一つの美徳による仕事のように見えても、望ましいものなのです。

 11. 何でしょう?君は快楽と安寧の中に生ずるものや、扉を飾ってその到来を歓迎するものだけが、望むべきものだと考えるのですか?或る善は、悲しげな表情を装います。或る祈りは、歓喜する人々ではなく、敬虔にこうべを垂れて崇拝する人々から捧げられます。12. レグルスがカルタゴに戻ることを望んだのは、そのようであったと君は思わないのですか?英雄の勇敢さを身に纏って、大衆の意見からは少し距離を置きましょう。極めて壮麗で、極めて偉大な美徳の正しい理想像を思い描いて下さい。この理想像をわれわれは、乳香や花輪ではなく、汗と血をもって崇拝せねばなりません。13. 見て下さい。マルクス・カトーがその神聖な胸の上に汚れのない手を置き、彼を殺すには浅すぎた傷口を引き裂くのを!君は彼のために、何を望むべきでしょう?「あなたの(叶えられなかった)平穏を全て私は望む。」とか、「私は悲痛に思う。」と言うべきか、それとも「あなたの行いは最高の誉れだ!」と言うべきでしょうか?

 14. これに関して、僕はわれらが友デメトリウス*9のことを思い出します。彼は安楽で、運命の攻撃に晒されることのない生活を「死の海*10」と呼んでいます。君を奮い立たせ、行動へと駆り立てるものが何もなかったら、脅威と敵意によって君の不屈さを試すものは何もありません。安穏とした快適さの中で寛ぐことがあっても、それは平静さではありません。ただの凪です。15. ストア学派のアッタロス*11は、よく次のように言っていました。「私は幸運に恵まれて贅沢に過ごすことよりも、運命の野営地に留まることを望む。私は拷問に遭っても、勇敢に耐える。それは全て善きことだ。私が死ぬことがあっても、勇敢に死ぬのならば、それも善きことだ。」エピクロスに聞いてみて下さい。彼は実際に快いと言うでしょう*12。僕自身も、そのように名誉ある厳粛な態度にあって、女々しい言葉を使いたくはありません。16. 僕は火炙りにされることがあっても、打ち負かされません。どうして僕が火炙りを望まないことがありましょうか?火が僕を焼き尽くすのではなく、僕が火に打ち勝つというのに。美徳より優れているもの、美しいものはありません。美徳の命令に従ってわれわれがすることは何であれ、善きことであり、望ましいことです。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 67 - Wikisource, the free online library

・解説

 書簡66とほぼ同様の内容。美徳がある限り、どんなものでも願い求めるに値するものになる。

 

 

 

 

 

*1:喘息(書簡54参照)や熱によって

*2:「僕の悪徳と、悪徳を助長するものだけが年老いました。」書簡12

*3:カルタゴに帰ったレグルスは拷問の末殺された、とローマでは言い伝えられ、彼の態度は市民の美徳のお手本とされた。一説によるとその最後は、釘を打ち込まれた桶に入れられ不眠の拷問の末だったという。wikipediaより。また、象にサッカーボールにされたという話もある。いずれにせよ、何か狭い入れ物に閉じ込められた。

*4:書簡13参照

*5:書簡24参照

*6:アエネイアス1.94-96

*7:前343-341年の第一次サムニテス戦役の時、執政官でもあったデキウスは敵に突っ込んで戦死した。

*8:「我は、敵の大軍と援軍を、我が身と共に、神々と大地に捧げる」リウィウス『ローマ建国以来の歴史』8.9.6

*9:キュニコス派ギリシャの哲学者で、セネカの友人。書簡20参照

*10:パレスチナ死海の他にも、この言葉は流れが停滞してる水域に対して用いられた。

*11:ティベリウス帝時代のストア派の哲学者で、セネカの師。書簡9,書簡63参照。

*12:書簡66参照