徒然なる哲学日記

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日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡54 喘息と死について

 1. 僕の病気は長い間治まっていましたが、突然それがぶり返しました。「何の病気ですか?」と君はお尋ねになる。君がそれを知りたいのはもっともですが、僕は本当に、何という病気か分からないのです。しかし、僕は或る言わば特別な病気に引き渡されました。それにギリシャ語で病名*1をつける必要はありません。「喘ぐ息(suspiruim)」という言葉で十分に説明できるからです。その発作は、海の嵐のようにごく短い時間のもので、たいていは一時間*2もあれば治まります。実際、誰がそんなに長い時間をかけて息を引き取るでしょうか*32. 僕は肉体の全ての病気と危険をやり過ごしましたが、これほど厄介な病気もないように思われました。それも当然ではないでしょうか?他の病気であれば、ただその病になるだけですが、これはある種の継続的な「最後の一息」です。ですから、医者はこれを「死の練習」と呼ぶのです。いつの日か、一息はこれまで何度も試みていたこと*4を、成功させるでしょうから。3. 僕がこの病から逃れて、晴れ晴れとした気持ちでこの手紙を書いてるとお思いですか?そんな一時の小康状態を喜ぶのは馬鹿げています。それは、被告が法廷への出頭を延期したときに、裁判に勝訴したと思うようなものです。しかし、呼吸が苦しいさ中でも、僕は幸福であり、確かな思索の中で安らぐことを止めませんでした。

 4. 「何だ?」僕は自分自身に言い聞かせます。「死はそんなに頻繁にわたしを試すのか?ならば、そうするがよい。わたし自身、長い間死を試してきたのだ。」「いつからですか?」と君は言われる。生まれる前からです。死ぬとは存在しなくなることですが、僕はそれがどんな状態であるか、既に知っています。僕の前にあったことは、僕の後にも起こるでしょう。もしも死の状態に何らかの苦痛があるのなら、われわれが日の光を見る以前にも、そのような苦痛があったに違いありません。しかし実際は、われわれはその時何ら苦しみを感じませんでした。5. そして君にお尋ねしますが、ランプが消された後は、点灯される前よりも悪い状態だと信じる人がいれば、愚かさの極みだとは思いませんか?われわれ死すべき人間もまた、生命の灯を点火され、そして消されます。灯がついている間には苦しみがありますが、その前後には、どちらにも深い平穏があります。ですから、愛するルキリウス君、もし僕が大きく間違えてるのでなければ、死はわれわれに先行すると同時に、後続するものでもあるのに、後から迫るのみだと考えるのは誤りです。われわれが生まれる前の状態がどんなものであろうと、それは死です。であれば、この両方の帰結はいずれも存在しないということなのですから、君が全く生を始めないか、あるいは止めるかに、何の違いがあるのでしょう?

 6. 〔息が苦しくて〕言葉を発することができなかったので、当然僕は無言で、こうした教えをもって自分自身を励ますことを止めませんでした。そうすると少しずつですがこの息切れは、一種の喘ぎに変わり始め、発作の間隔も大きくなり、その後はゆったりしたものになり、ついには治まりました。もっとも、この時に至って、喘ぎは治まっても、普通に呼吸をすることはできませんでした。僕はまだある種の逡巡と遅延を、呼吸の中に感じます。それには好きなようにさせておきましょう、魂が息を切らすことがない限りは。7. 僕が次のように思ってることを信じて下さい。僕は最期の時が来ても決して怯えることはありません。僕は既に覚悟ができており、明日のことさえ考えていません。しかし君が称賛し、見習うべきなのは、生きることに喜びは感じてはいても、死ぬことを厭わない人物です。というのも、追い立てられて立ち去ることに、どんな美徳があるのでしょう?とはいえ、これにも美徳はあります。僕は確かに追い出される身ですが、それはあたかも喜んで立ち去るかのようです。というのも、賢者は決して追い出されることはありません。追い出されるとは自分が離れたくない場所から移動させられることですが、賢者は何事も自分の意に反して行うことはありませんから。賢者は必然を免れます。なぜなら、賢者は必然が彼に強制することを、自ら進んで行うのですから。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 54 - Wikisource, the free online library

・解説

 死は先行するものであり、生まれる以前には死の恐怖などなかったという理屈。このあたりにはセネカのスピリチュアルな死生観が見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:喘息はギリシャ語でάσθμα〔asthma〕といった

*2:古代ローマでは、日中を12の時間〔hora〕に区切った。ので、訳も「一時間」でよい

*3:喘息の発作を臨終の際の息に例えている

*4:最後の一息とすること