徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡101 将来の計画を立てることの無益さについて

 1. 毎日毎時が、われわれがいかに無力な存在かを思い知らせてくれますし、われわれが自身の儚さを忘れていることを、何らかの新たな証拠によって思い出させてくれます。そして、われわれが永遠を期待する時には、死を振り返るよう強要します*1

 この前置きが何を意味しているかをお尋ねですか?君もご存知の、高潔で忠実なローマの騎士、コルネリウス・セネキオ*2のことです。彼は貧しい生まれから高い地位へと登り上がり、彼の残りの道はもはや下るのみでした*3。というのも、ひとたび成功すれば、それを大きくするのは始めの頃よりもずっと楽ですから。2. そして金銭も、貧困の頃はなかなか入ってきませんが、そこを抜け出すと、溜まり始めます。セネキオもすでに金持ちになりつつあり、二つの最も効果的なもの、つまり、金の儲け方と運用方法が彼をそこまで導きました。そのどちらか一つでも、彼は金持ちになっていたことでしょう。3. 彼は最も倹約な人物でもあり、健康と金銭のいずれにも気を配っていました。ある朝彼はいつものように僕を訪ね、それから夜まで一日中、重篤で回復の見込みもない病気に臥した友人の側に付き添いました。そして夕食を楽しんだ後に、彼は突然の扁桃炎の発作*4に襲われ、腫れ上がった喉で息が塞がって、明け方まで息をつなぐことができませんでした。つまり彼は、健全で健康な人としての義務を果たし終えてから、ほんの数時間で亡くなったのです*54. 陸に海に広く投機をしていた彼は、公的な事業も引き受け、どんな種類の金儲けにも手をつけないことはありませんでしたが、まさに経済的な成功が実現し、金庫に流れ込む資金が増大している真っ最中に、亡くなってしまったのです!

さあメリボエウスよ、今こそ梨の樹の接ぎ木をし、ぶどうの樹を順番に植えよ*6

 しかし、明日という日の持ち主ですらない人間が人生を順番づけるとは、何と愚かなことでしょう!遥か将来の楽しみを計画するとは、何と狂ったことでしょう!人々は言います、「私は買ったり建てたり、貸し付けたり取り立てたり、栄誉ある職を勝ち得たりして、やがて歳を重ねたら、安楽な余生に身を委ねよう。」5. 僕を信じて欲しいのですが、繁栄に恵まれた人にとってすら、全ては不確かなのです。誰も未来のことを、自分自身に期待させるべきではありません。掴み取ったものですら手からすり抜け、われわれが確保していると思ってる時間も、偶然がそれを断ち切ります。たしかに時間は一定の法則に従って進みますが、それはまるで暗闇の中を行くようです。そもそも、僕にとって不確かなことが、自然にとって確かであるかどうかが、僕になんの意味がありましょう?

 6. われわれが計画するのは、遠方まで航海し、異国の海岸をあちこち巡った後、長らく帰らなかった祖国に帰ることであったり、兵役に就いて厳しい軍務を終えて、遅まきにその報酬を受け取ることであったり、地方総督や別の役職を求めて、次から次へと昇進することであったりします。そしてその間にも、死はわれわれの側にあります。しかしわれわれは、身近な人を襲うのでもない限り、決して死を思いめぐらしたりしないので、われわれが死すべき存在であることを思い起こさせる出来事が日々生じても、それが心に留まるのは、それに驚いている間くらいのものです。

 7. しかし、毎日でも起こり得ることがある一日に起こったことを驚くほど愚かなことがあるでしょうか?確かにわれわれには定められた最後があり、それは容赦のない運命の法則によって決められています。しかしわれわれの内誰も、自分がその最後のいかに近くにいるかを知りません。ですからわれわれはあたかも、すでにその最後に到達したと考えて、心を備えましょう。何事も先延ばししないようにしましょう。日々人生の、決算をしましょう。8. 人生の最大の欠陥は、人生が常に未完成であり、その或る部分が先送りされていることです。毎日自分の人生の最後の仕上げをしている人は、時間が不足するということはありません。しかし、これが不足する人には恐怖心や将来への渇望が生じ、それらが心を蝕みます。将来の出来事の結果がどうなるかという心配以上に、惨めなものはありません。残っている時間がどれほどあるか、どうなるのかということは、われわれの混乱した精神を、言いようのない恐怖で揺さぶります。

 9. ではどうすれば、われわれはこの動揺から逃れられるのでしょう?その方法はただ一つ、われわれの生を未来に押しやるのではなく、それ自身の内で完結させることです。というのも、未来のことをあてにする者は、現在を台無しにしてしまうのです。しかし、僕が自分の魂に然るべき報酬を与え、健全で揺るぎない精神が、一日と永遠に少しも違いはないことを知るに至ったなら、将来どんな日々や出来事が生じるとしても、その魂は高みから見渡し、絶え間ない時の継承を嘲笑うのです。というのも、偶然の変化や混乱が、どんな動揺をもたらすというのでしょう?もし不確実な出来事に対して、確実な態度を取ることができるのなら。

 10. ですから、僕のルキリウス君、今すぐ生きて、毎日をそれぞれ一つの人生と考えて下さい。そのように自分自身を備えてきた人、毎日を人生全体と思って生きてきた人は、心安らかです。しかし、希望だけを求めて生きる人は、目の前の時間すら悉く手から滑り落ち、貪欲が忍び寄り、最も呪わしく、また全てを最も呪わしくする死の恐怖に晒されます。ここから、マエケナス*7のあの最も恥ずべき祈りが生まれました。彼はその苦痛の中にあっても生き長らえさえするのならば、身体の傷害も不具も、最後には尖った拷問杭さえも甘受すると言ったのです。

11. 手を損ね、私を不具にして下さい。

足を損ね、私を不具にして下さい。

背中に瘤を作り、背骨を曲げさせて下さい。

ガタガタになるまで、歯を打ち付けて下さい。

命さえ残して貰えるなら、全て結構です。

お願いですから、命だけは、命だけは助けて下さい。

たとえ棒杭の上に座ることになっても*8

 12. もしそうなったら最も惨めなことを、彼は請い願っているのです!あたかも生を求めるかのように、苦痛の引き延ばしを求めているのです。もし処刑の瞬間まで生き延びるのだとしたら、それこそ僕は最も彼を哀れんだでしょう。彼は言います、「私の体を不具にしてくれて構わない、ボロボロで無力になった肉体に、命さえ残っているのなら!傷めつけてくれて構わない、どれほど醜く姿かたちが変わっても、ほんの少しでも生き長らえることができるなら!私を突き刺しても、尖った棒杭の上に座らせても構わない!」自分の傷口を重くしたり、拷問台に縛り付けられることで、あらゆる悩みの慰めであり、苦痛の終わりである処刑を先延ばしにすることは、それほど価値のあることなのでしょうか?やがては終える命の息を長らえることが、それほど価値のあることなのでしょうか?君はマエケナスのために、天国の救い以外の何を祈ってやれるでしょう?13. 彼はこのように女々しく低劣な詩によって、何が言いたかったのでしょう?この狂気じみた恐怖により何がしたかったのでしょう?これほど醜い命乞いで、何がしたかったのでしょう?彼は一度も、ウェルギリウスが次のように言うのを聞いたことがなかったのです。

死ぬのはそれほどまでに悲惨なことだろうか*9

彼は苦しみの極みを求め、さらには苦痛を長引かせ引き延ばすという、いっそう耐え難いことを願っているのです。そうすることに何の得があるのでしょう?ただ生が延びるというだけです。しかし、長引いて死ぬことが、どんな生だというのでしょうか?14. 一息に死ぬよりも、苦痛の中で衰弱し、手足ごとに滅んでいき、いわば一滴ずつ命を吐き出すことを望む人がいるでしょうか?すでに不具にされ、胸や肩には醜いできものが腫れ上がり、命の息は苦痛を長引かせるだけであるのに、あの呪わしい木*10に、喜んで縛り付けられる人がいるでしょうか?磔になるより前に、いくらでも死ぬ機会はあったように僕には思えます。

 死が避けられない約束であることは、自然の大いなる恩恵であることを、否定できるでしょうか?15. ところが多くの人々は、より恥ずべき契約をしようとしています。自分が長生きするために、友人を裏切ったり、わが子を凌辱に差し出したりして、自らの犯罪を全て見てきた日の光をなおも享受することを望むのす。われわれは生へのこうした執心を振り払い、いつ苦しみが来るかということは、大した問題ではないことを知らねばなりません。いつかは必ず苦しむのですから。大切なのは、いかに長く生きるかではなく、いかに善く生きるかです。そして善く生きることはしばしば、長く生きることではありません。お元気で。

 

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 101 - Wikisource, the free online library

・解説

 人生の花盛りにありながら、急死した友人セネキオを例に、あれこれと将来を心配して人生を無駄にすることのないようにと説いている。このあたりは「人生の短さについて」を読めば理解が深まる点も多い。将来への不安は、結局は死の恐怖がもたらしている。だからセネカは度々、死を想うことで、死の恐怖を克服することを勧めている。将来を不安に思う人というのは自分の人生が永遠に続くと思っている人で、ある意味でそれはとても贅沢なのだ。だから、時折は追放や大病のような「死」を思い出させる不幸に遭うことが、自分に人生の意義を問い直させてくれたりする。セネカは若い時には大病で、中年期には追放で、老年期には引退で、それぞれ「死」を疑似的に体験してきた哲学者である。言うなれば、この世とあの世を何度も往復してきた哲学者だ。だからこそ、彼の言葉には活き活きとしたリアリティがあり、説得力がある。

 人間の悩みの殆どは、将来に対する不安から生じる。そこから、あらゆる競争や他者支配、宗教や哲学、芸術が発達してきた。他者に打ち勝ちたいという気持ちも、結局は自分の将来に対する不安から生じる。そこから、序列や階級が生まれ、他者に対して自分の立場を優位な形で固定し、将来の安全を確かなものにしたいという欲求が生まれた。あらゆる宗教が死後の幸福を約束したり、あるいは支配に都合よく使われてきたのにも、こうした背景がある。

 しかし、恐怖心を動機にした活動は何事も決して創造的にはなり得ない。自由とは自らに由来することで、恐怖心の行動の理由にする人は、結局他者や周囲に、自分の幸福を依存しているのである。それが限度をわきまえている間は許されるかも知れないが、殆どの場合、過ぎた不安は過度の贅沢や貪欲に走り、他者への残忍や利権への異様なまでの執心や、自分より立場が弱い人への搾取行為に繋がるのである。だからセネカは死の恐怖や将来への不安を厳しく諫めるのだ。逆説的になるが、今を生きることで死の恐怖は克服することができるのだ。それが、「今ここ」に集中することであり、クリシュナムルティ的に言うならば、「絶え間ない創造」であり、シュタイナー的に言うなら、「キリスト衝動」なのである。

 未来を不安に思う人は意思決定を外部に委ねる。何らかの権威やインフルエンサーに傾倒したり、あるいはAIに何もかも決めて貰い、自分に安全を確保してくれそうな機構を求める。それでいてこうした人は、何らかの目新しい出来事が自分を喜ばせてくれることを望み、流行に飛びつき続けることで、自分は安全な人生を送りながらも、新たな刺激が楽しませてくれるだろうと思っている。だが、セネカもいうように、流行に飛びつくことは、大衆に判断を委ねることであり、大衆はいつも、真理に対して誤った判断しか下せない。だから大衆は常に不安に揺さぶられ続けるので、頼りなく、残忍な存在なのである。

 であるから死の恐怖を克服するには、とりもなおさず大衆とは距離を置く必要がある。そのためには、追放や大病や引退といったことが大きな助けになるし、それが難しいなら少し多めに休みを取るとか、誰もいない所へ旅行に行ってみるとか、完全に自分しか興味がない趣味に没頭するとかしてみるといい。逆に、飽きるまで俗っぽいことをやってみて、世間や大衆の虚しさを思い知るというのも一つの手である。

 とにかく、死の恐怖、将来への不安、他者への支配欲、大衆への依存、金銭への依存、流行への依存、異様に他人の目を気にすること、これらはいずれも、現在に、自分自身に集中できていないことに端を発する悪徳である。幸福になりたければ、まずはそのあたりを振り返ってみる必要がある。そして、真の意味で死の恐怖を克服した者は、実際に永遠に生きることも可能なのである。真理を知れば、生きていることと死んでいることに、それほど大きな違いはないのである。

 自由に生きるとは、自らの個性を信じることであり、それが自らの「霊」の使命というか、存在意義である。肉体が目に見えるのに、霊は目に見えないのは、霊は外的なものに依存する必要がないからなのである。そして、真に霊に忠実であれば、物質をないがしろにすることもない。そのあたり、神様は本当に上手く、われわれを創ったのである。

 

 



 

 

 

 

*1:「いったい、どうしてこんなことになってしまうのだろう。それは、あなたたちが、まるで永遠に生きられるかのように生きているからだ。あなたたちが、自分のもろさにいつまでも気づかないからだ。あなたたちが、どれだけたくさんの時間が過ぎてしまったかを、気にもとめないからだ。あなたたちが、まるで豊かにあふれる泉から湧いてくるかのように、時間を無駄使いしているからだ。たぶん、そんなことをしているうちに、あなたたちの最後の日となる、まさにその日がやってくるのだろうーーまあその日だって、[自分のためでなく]別のだれかや、別の用事のために使われているわけだがね。あなたたちは、どんなことでも、死すべき人間のように恐れる。そのくせ、どんなことでも、不死なる神のように欲するのだ。」人生の短さについて3.4

*2:この箇所以外に知られていないが、セネカの友人。

*3:努力して立派になって金を稼いだので、後は悠々自適に楽な道を辿るだけだった、というニュアンス。

*4:つまり急性扁桃炎。原文の「angina」の辞書での意味は「扁桃炎、口峡炎」

*5:健康な人が猶予もなく、突然死んでしまった、ということ。

*6:ウェルギリウス「牧歌」1.73

*7:書簡19参照

*8:マエケナス断片1

*9:「アエネイアス」12.646

*10:拷問の柱