徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡13 根拠のない恐怖について

 1. 君が優れた精神をもっていることを僕は知っています。というのも、困難を克服するための健全で力強い教えを身に着けるより前から、君は誇りをもって運命と戦っていました。そして、運命と組み合って自分自身の力を試してる今、それはいっそうの真実です。われわれは自分の力では、あらゆる場面で多くの困難に直面し、時にはそれらがわれわれに肉薄してくるような状況でもない限り、自分自身に絶対の信頼を抱くことができません。真の精神——自分自身の外にあるものの支配下におかれることに決して同意しない精神——が試されるのは、そのような状況においてのみです。それは偉大な精神の試金石なのです。2. どんな闘技選手も、身に青あざをつくらないうちは、勇敢に試合に臨むことはできません。自信をもって競技者の名簿に名を連ねることができるのは、自分の血を見た者、敵の拳で歯がガタガタになるのを感じた者、投げ飛ばされて敵の力のほどを思い知らされて体が倒れても、心は倒れなかった者、何度倒されても、それ以上の対抗心で立ち上がった者です。3. ですから、この喩えを続けると、運命は過去においてしばしば君の優位に立ちましたが、それでも君は打ちひしがれず、高みにのぼり、力強く自分の立ち位置を守っていました。勇敢さは困難によって増していくものです。しかし、君が受け入れてくれるなら、君をより強固にするためのいくつかの保護手段を提供させて下さい。

 4. ルキリウス君、世の中にはわれわれを打ちのめすよりも、恐れさせるだけのものの方が多いのです。われわれは現実よりも想像の中でよりいっそう苦しみます*1。僕はストア派的に君と話してるのではなく、もっと穏やかな言い方をしています。というのも、われわれストア派のやり方では、叫び声やうめき声を引き起こすものは全て、重要でもなく注目にも値しないものとみなしますから。しかし、僕や君は、そうした偉大な言葉——神に誓ってそれは真実ですが―—は使わないでおきましょう。僕が君に忠告するのは、危機がくる前に不幸になってはならないということです。それは、あたかも君を脅かして青ざめさせているように思われる危険は、起こらないかも知れないからです。そして確かに、まだ起こってはいません。5. ですから、われわれはある時は必要以上に苦しみ、ある時は必要以前に苦しみ、ある時は全く苦しむ必要がないのに苦しみます。われわれには苦痛を誇張したり、想像したり、予測したりする習慣があります。

 これらの三つの過ちのうち最初のものについての言及は、猶予を下さい。というのはそれらは今も議論の最中にあり*2、いわば審議中だからです。僕が取るに足らないと呼ぶことも、君は深刻なことだと主張するでしょう。僕はもちろん知っています。鞭に打たれながら笑う人もいれば、軽く殴られただけで縮み上がる人もいることを。こうした悪徳がそれ自身の強さから力を引き出しているのか、それともわれわれ自身の弱さから引き出しているのかは、いずれまた検討しましょう。

 6. 僕が君にお願いするのは、人々が君を取り囲み、君が不幸だと君自身に信じさせようとしても、君が聞いたことではなく、君自身が感じたことを熟慮し、君の気持ちと疑問について君自身に独りで相談するように、ということです。君は自分のなすべきことについて、他の誰よりもよく知っているのですから。君自身にこのように尋ねて下さい。「この人々はなぜ私について悲しみの言葉を漏らすのだろう。なぜ彼らは心配し、まるで苦難が伝染するものでもあるかのように、私から何らかの影響を受けはしないかと恐怖するのだろう。そこには何らかの悪があるのだろうか?それとも、単に悪と思われているに過ぎないものだろうか?」そしてまた次のように自問自答して下さい。「私は十分な理由もなく苦しんでいないか?悪ではないものを悪だと捉えて、悩んだりしていないか?」7. 君は次のように反論するかも知れません。「自分の苦しみが現実のものか想像のものか、どうやって知ることができましょう?」そうした問題には次のような法則があります。われわれは現在のことに、または未来のことに、あるいはその両方によって苦しめられます。現在のことに関しての判断は簡単です。君の肉体が自由で健康で、いかなる外傷にも苦しんでいないのなら。未来に起こることについては、いずれ分かります。今日のことに関しては、何も心配する必要はありません。8. 「しかし」君は言われる。「何かが起こるかも知れません」まず第一に、将来の困難が確かなものかどうかをよく考えて下さい。というのも、われわれは自分の不安に苦しめられたり、あざけりや噂話——個人を振り回す以上に、戦争の結果に寄与する噂話——に振り回されます。確かに、ルキリウス君、われわれは他人の言うことにすぐに同意します。われわれは恐怖を引き起こすものを調べ、精査しようとはしません。われわれは、逃げた羊の群れが立てる土煙に驚いて陣営を捨てる兵士や、根も葉もない噂話に慄いて混乱する兵士のように怖気づき、尻込みします。9. そしてどういうわけか、われわれを最も悩ませているものは、根拠もない噂話です。真実は明確な境界を持ちますが、不確かなものから生じるものは、憶測と、無責任な怯えに満ちた心と引き換えにもたらされます。ですから錯乱した恐怖ほど、破滅をもたらす制御不能なものはありません。ただの恐怖は根拠を欠いたものですが、錯乱した恐怖は理知すら欠いたものだからです。

 10. この問題を、もっと注意深く見ていきましょう。いくつかの危機はわれわれに降りかかる可能性があります。しかしそれは、現在の事実ではありません。予想もしないことが、どれほど多く起こったことでしょう!予想していたことが、どれほど多く起こらなかったことでしょう!そして、もし起こることが決まっていることでも、君が悩みに立ち向かうことに尽力することに、何の意味があるでしょう?苦しむのはそれがやってきてからでも遅くありません。それまでは、もっと楽しいことを考えましょう。11. そうすることで君は何を得られると思いますか?時間です。その間に、君の近くに、あるいは目の前にある苦難を延期したり、終わらせたり、他の人に引き継いだりするような多くの出来事が生じます。火事の炎が、逃げ道を開くことがあります。建物が崩壊した時、瓦礫の下にやんわりと横たわった人もいます。剣は時に喉元まで突きつけられてから、差し戻されました。ある人は自分の処刑人よりも長く生き延びました。不運もまた、気まぐれなのです。来るかも知れないし、来ないかも知れません。そして予期している間は、まだ実際に起きていません。なので、良いことを期待しましょう。

 12. 悪いことを示す兆候が何もない時も、心は時おり、偽りの災いを創造します。意味があいまいな言葉を、悪いように解釈し、敵がどれほど怒っているかではなくいつまで怒っているかを考え、個人の恨みを実際より深刻なものとして捉えます。しかし、われわれが自分たちの恐怖心のなすがままに、恐れをどこまでも増長させるなら、人生は生きるに値せず、悲しみは際限のないものになります。この問題に関しては、英知を役立たせ、たとえ不幸が明白な場合でも、強固な精神でそれに対抗しましょう。もしこのようにできない時は、弱点で弱点を補って下さい。つまり、希望で恐怖を和らげるのです。それら恐れを抱かせるものに、確かなものは一つもありません。確かなのは、われわれの恐れはいずれ静まり、希望には欺かれるものだということです。

 13. それゆえ希望と恐怖を慎重に比べ、あらゆることが疑わしく思われる時はいつでも、君自身の性向を信じ、君自身に従って判断して下さい。そしてもし恐怖心が過半数を勝ち取ったら、とにかく反対方向に傾いて、君の魂への嫌がらせをやめ、多くの人々は、たとえ苦難が実際に近くになかったり、将来確実に起こることが予想されえない場合でも、動揺し、不安になるものだということを、絶えず思い出して下さい。いったん押し出されると、自分を戻すことのできる人はいません。また彼は真実に従って、恐怖を制御することもできません。誰も、「虚妄の噂を語る者は愚かであり、それを信じる者も、捏造した者に劣らず愚かだ!」とは言いません。われわれはどんなそよ風にも踊らされます。不確かなものにあたかも確かなもののように怯えます。どこにも落ち着きは見られません。われわれはちょっとしたことですぐに狼狽え、恐怖と混乱に陥ります。

 14. しかし、僕は君に厳しい口調で忠告したり、あるいは穏やかな薬でごまかすようなことは望みません。別な言い方をしてみましょう。「おそらく最悪の事態は起こらないでしょう」君は次のように言うべきです。「もし起こったらどうするかですって?どちらが勝つか見るとよいでしょう。おそらく私にとって最も有益に働きます。なぜなら、そのような死は私の人生を栄誉あるものにするでしょうから」ソクラテスは毒ニンジンによって偉大な存在となりました。カトーの手から自由の保護者である剣をもぎ取ることは、彼の栄光の大部分をももぎ取ることになります。15. 僕はこんなにも君に長くお説教をしていますが、それは君に必要なのはむしろお説教よりも反省だからです。僕が君を導いてる道は、君の自然本性が導く道と変わりません。君はまさに僕が述べたような行動をするべく、生まれついているのです。ですから君は、よりいっそう自分の長所を伸ばし、美化すべきなのです。

 16. しかし今は、この手紙を締めくくるために、いつもの印を捺しましょう。つまり、君に届ける立派な言葉を同封します。「愚か者は、他の全ての欠点と共に、次の欠点を持つ。彼らは常に、生きることを新しく始める*3」僕の親愛なるルキリウス君、この言葉の意味をよく考えれば、毎日新しく人生の基盤を築き、墓場の瀬戸際にあってさえ新たな希望を抱き始める人々の気まぐれが、いかに醜いものであるかが分かるでしょう。17. 君の周りの人を一人一人よく見てごらんなさい。ある老人は政治家としての出世や、旅行や、金儲けの準備に大半の時間を費やしています。しかし、老齢になってから新たに生きる準備をすることほど、醜いことがあるでしょうか*4?この言葉が誰のものかあえて言う必要はないでしょう。それがあまり有名でない言葉だったり、人々がよく口にし、僕が称賛し、受け入れているエピクロスの言葉の一つでないというなら、話は別ですが。お元気で。

 

 

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 13 - Wikisource, the free online library

 

 

・解説

 根拠のない恐怖心に踊らされてパニックになってる人々の姿というのは、新型コロナウイルスに大騒ぎしていた人々の姿が記憶に新しい。殆どただの風邪なのに必要以上に恐怖し感染者に誹謗中傷を浴びせたり、ここぞとばかりにテレワークで仕事をサボったり会社を休むような大変な「仕事好き」の連中がだ。地震などもそうだが、とかく過度の恐怖心に陥った人間というのは醜い。シルバーバーチやホワイトイーグルも、再三恐怖心の弊害について説いている。

私共は幽界のモヤを越え、更にたちこめた濃い地上の霧の中へ下ってきます。その時、目に映るのは、いかに多くの災いが恐怖によってひき起こされているか。そうです、目に映るのは、災いの源の多くが恐怖に根ざしているということです。人間の心は、未来の怖れ、明日はどうなるか分からないという不安で一杯です。皆さんは既にお分かりと思うが、どんなに困ったこと、心患わすことがあっても、それは一時のこと。自分が大切な教訓を学ぶための、ほんの仮相に過ぎないということ。皆さんは、今、自分が幸せになるための、欠かせない教訓を学ぶために、此処に居ます。それこそ、貴方がこの世を生きぬくための、生きた経験、知恵です。

 ホワイトイーグル霊言集P154~155

 

  実際、必要以上に明日を恐れる人間というのは褒められたものではない。そうした強い恐怖の裏には、強い欲望があるものだからだ。ヒステリックな恐怖心の背後にあるのは、限度を知らない貪欲だ。シュタイナー的にいうなら、アーリマンに過度に囚われた状態だ。アーリマンは、人を唯物主義へ導く霊的存在である。

人間はこの権力の影響を、今述べた地球の作用を受けたとき、一緒に自分の中に取り入れ、その結果、恐怖の感情が、人間の心に植えつけられた。恐らくこの感情は、そのような影響がなければ、まったく別なものになっていたに違いない。このような権力の本性は、アーリマン的本性と呼ぶことができる。

 ルドルフ・シュタイナー「神秘学概論」P264~265

 

 レールから外れることに過度の恐怖心を抱かせることで成り立っている日本の教育システムや社会システムからすると、知られたくない事実だろう。教師は内申で生徒を脅し、上司は査定で部下を脅す。学校や会社を変えたりやめたりすることに恐怖心を抱かせれば、魂を骨抜きにしたも同然である。また日本には、「世間体」という恐怖システムも存在する。そのように恐怖心で雁字搦めになって自分で自分の首を絞めた結果が、今の円安や経済の衰退なのかも知れない。

 最後のエピクロスの言葉も、現代の老人たちに聞かせてやりたい。下らない思い付きから何かを嬉々として始めたり、東京オリンピックにウキウキして取り組む老人達の醜さといったらなかった。適当な思い付きでやたら新しいことを始めたがる老人というのは、信念を何も持たずに生きてきた赤ん坊も同然であり、そんな人間はセネカ的に言うならば、長く生きたのではなく、単に長く存在していただけなのだろう。

 

 

*1:ストア哲学の基本の教えの一つ。シルバーバーチやホワイトイーグルの教える「恐怖心を追い払え」に通じるものがある

*2:ストア派と他の学派との間で

*3:エピクロス断片494。或いは、「生きることをやめなければならないときに、生きることを始めるとは、遅すぎるではないか。」人生の短さについて3.5

*4:「自分が死すべき存在だということを忘れ、五十や六十という歳になるまで賢明な計画を先延ばしにし、わずかな人たちしか達することのない年齢になってから人生を始めようとするとは、どこまで愚かなのか」人生に短さについて3.5