徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡26 老年と死について

 1. 僕はつい最近君に、僕が老年に近づいているという話をしました*1が、今や、老年を過ぎ去ってしまったのではないかと心配しています。というのも、僕の年齢、あるいは少なくとも僕の体には、別の言葉が相応しいからです。老年期とは疲れた年代を意味するのであって、潰えた年代を意味するのではありませんから。僕を老いぼれに数え入れて下さいーー最期の近い人々に。

 2. それでも僕は、君を証人として、自分自身に感謝します。年齢は僕の体には影響を与えていますが、心への障害は感じませんから。僕の悪徳と、悪徳を助長するものだけが年老いました。僕の精神は強健で、体との繋がりがわずかであることを喜んでいます。その重荷の大部分を、脇へ置きました。精神は鋭敏なものとなり、老年の問題について僕と口論し、老年期こそが花盛りであると主張します。僕はその言葉を信じ、老年期がもつ利点を最大限に活用したいと思います。3. 精神は僕に、この心の平穏と人格の穏やかさの、どれだけを知恵に、どれだけを人生の長さに負っているかについてよく考えるよう命じます。精神は僕に、何が出来なくなって、何を望まなくなったかを注意深く区別するよう命じます。厭わしい権力が力を失ったというのに、どうして不平を言ったり、それを不利益と考えることがありましょう?4. 「しかし」君は言われる。「疲れ果てて死に絶えていくこと、或いは文字通りに言うと、少しずつ溶け落ちていくことは、考え得る限りの最大の不利益です!なぜなら私たちは、突然打ちのめされて倒れるのではないからです。私たちはだんだんと摩耗し、毎日確実に活力を失っていくのです。」

 しかし、自然が手綱を緩めた時に、安全な場所に穏やかに放り込まれるよりも、よい終わり方があるでしょうか?死への一撃や、生から突然引き離されることにあるような苦痛とは無縁だからというのでなく、単に、この老衰による離脱の方が簡単ーーつまり少しずつ撤退してくものだからです!いずれにせよ、僕はあたかも試練が近づいて、僕の人生の全ての年月に関しての総決算を発表する日が来たかのように、自分自身を監視し、次のように自分自身と語らい合います。5. 「私たちがこれまで取り繕ってきた言葉や行動には、何の価値もありません。これらは全て、私たちの精神の稚拙で欺瞞的な誓約に過ぎず、多くの虚飾に包まれています。私がどれだけの進歩を遂げたかの判断は、死に任せます。よって、私は臆することなくその日を迎えましょうーー全ての舞台装置と役者の化粧を捨て去り、私が勇敢な精神を単に宣言してるだけなのか、それとも心から自分がそうであると感じているのか、私が運命に対して放ったすべての大胆な言葉は偽りの茶番に過ぎなかったか、自分自身に判決を下すその日を。6. 世間の評判は遠ざけましょう。それは常に揺らいでおり、容易に反対のものに変わります。これまでの人生で研究してきた学問を遠ざけましょう。死が私に研究結果を下します。これが私の考えですーー私の討論や私が学んだ話し方、賢人の教えからかき集めた格言、教養のある話ーーこれらは全て、私の魂の本当の強さの証を示すものではありません。どんなに臆病な人間でも、大胆に演説することはできます。私の過去の行いは、私が息を引き取るときにのみ明らかになります。私はこの条件に従い、判決を恐れることはありません。」7. これは僕が自分自身に言い聞かせていることですが、君に対して言っていることでもあると考えて下さい。君の方が若いですが、何か問題がありますか?われわれの年数は定められてはいません。どこで死が待ち受けているかも分かりません。どこであろうと、備えておきましょう。

 8. 僕はちょうど手紙を終えようと思っていたので、締めの言葉を書くつもりでしたが、いつもの儀式は行われておらず、この手紙の運賃も支払われていません。そして、必要な金額をどこから借りるつもりなのか、僕がまだ言ってないとしても、君は僕が、誰の財源に頼るかを知っています。少し時間を頂ければ、僕は自分自身の蓄えから支払いをします。その間、エピクロスが次の言葉を僕に命じます。「死を思え」あるいは、次の言い方のほうがよければ、「天国に住め」です。9. 意味は明らかですーー死ぬことを徹底的に学ぶことは素晴らしいことですから。一度しか使えない教えを学ぶのは無意味だと君は思うかもしれません。しかし、それこそが、われわれが死について考えるべき理由です。あることを本当に知っているかどうかを証明できない以上、常にそれについて学んでいる必要があります。10. 「死を思え」こう言うことで彼は、われわれに自由を教えてくれるのです。死ぬことを学んだ人が、奴隷根性を学ぶことはあり得ません。彼はいかなる外部の力よりも優れているか、少なくとも超えたところにいるからです。牢獄や鎖や鉄格子の、何が恐怖だというのでしょう?彼の出口は明白です。われわれを生に縛りつける鎖はただ一つ、生への愛着です。その鎖は外すことはできないかも知れませんが、削っていかねばなりません。そうすれば、必要に迫られた時に、いつかはしなければならないことをすぐに実行することを、妨害されたり手間取ったりすることはないでしょう。お元気で。

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 26 - Wikisource, the free online library

・解説

 後半特にセネカの死に際しての判決に関する文章は、非常にスピリチュアルな死生観と言える。人間は生前の行いでその魂の評価が決まり、然るべき判決が下される。そしてこれは、シルバーバーチもホワイトイーグルも言ってることなのだが、判決を下すのは自分自身なのである。良心に背くことをしなかったか、道徳に背くことをしなかったか、自分の魂に恥じることをしなかったかーーそうしたことを人間の魂は死後に全てを精査することになる。2000年も前から、良心に恥じぬことがどれだけ大事かを理解していたセネカは、やはり最も優れた哲学者なのだ。