徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡12 老年について

 1. 僕はどこを向いても、自分が年老いたことの証を見せつけられます。最近郊外の別荘を訪れたのですが、その老朽化して崩れかけた建物の修繕費用に、僕はケチをつけました。別荘番ははひび割れは彼の不注意のよるものではないと訴えました。「できる限りのことをしてまいりましたが、何分家が古くなりましたので…」この家は、僕自身の手で大きく育てたものです。僕と同い年のこの家の石が、もうこんなにボロボロになってしまうのだとしたら、この先僕はどうなってしまうのでしょう?2. 僕は腹を立て、別荘番をつかまえて僕の怒りをぶちまけて、こう叫びました。「見なさいこれを!明らかにこのプラタナスの木は手入れされていない!葉は一つもなく、枝はしなびている上にふしくれだち、幹は元気なく貧相ではないか!誰かが周りの土を掘り起こしたり水をやったりしていれば、こんなことにはならない!」彼は僕の守り神に誓って言いました*1。「可能な限りのことは致しましたし、手抜きもしませんでした。しかし木も、古いものになりまして…」ここだけの話ですが、それらの木を植えたのはこの僕です。最初の葉を見たのも、僕自身でした。3. それから僕は門のほうを向いて言いました。「あそこの見すぼらしい老人は誰だ?彼を戸口に置いているのは正解だ。実際、外を向いているのだからな*2。いったいどこから、あんなのを連れてきたんだい?おせっかいにも見ず知らずの人間の埋葬をしてやるためかい?」しかしその老人は言いました。「私をお忘れですか、旦那様?昔あなたが祭り人形を下さいました、フェリキオでございます。私の父は執事のピロシトゥスで、私はあなたに気に入られていました。」僕は言いました。「この老いぼれは全く狂っている。私のお気に入りがまた子供に戻ったのか?しかしそうかも知れない、こいつの歯も抜け落ちてる最中なのだから。」

 4. この別荘のおかげで、どこを向いても僕の老年は明らかなものとなりました。この老年を慈しみ、大切にしようではありませんか。それは上手く扱えば、喜びに満ちたものになるのですから。果物は、腐る直前にもっとも熟します。青年期は、終わりかけの時が最も楽しいものです。酔っ払いを喜ばせるのは最後の一杯です。その一杯は彼の酩酊に、最後の仕上げを加えます。5. こうした楽しみはその最後の時に、その最大の喜びを約束するものです。人生が最も楽しいのはその下り坂にある時ですが、まだ急な崖には達していません。そして僕自身、屋根の端に立つようになったら*3、その時はその時なりの楽しみがあると信じています。あるいは、われわれがもう楽しみを望む必要がなくなること自体が、大きな楽しみになるでしょう。飽食の欲求を弱め、それを断ち切ることはなんと楽しいことでしょう。6. 「ですが」君は言われる。「やはり死を眼前に据えると辛いものです。」しかし、死は若者にも老人にも同じように目の前にあります。われわれは、監査官の名簿*4の順に呼び出される訳ではありません。さらには、もう一日長く生きることが不当であると言われるほど、年をとった人もいません。どの一日も、人生という旅における同じ一歩です。

 われわれの生涯はいくつもの部分に分けられます。小さな円を囲む、大きな円があります。一つの円は他の全ての円を包み、境界を定めます。それは誕生から最後の日までを規定します。ある円はわれわれの青年時代を包み込み、ある円は子供時代の全てを、その内側に持っています。またそこには、一年という、それだけで一つの単位があります。一年はそれ自体の中に多くの区切りがあり、その集積が、われわれの人生になります。月は、さらに小さい単位です。最も小さい円は、一日と言えますが、この一日でさえ、始まりと終わり、つまりは日の出と日没があります。7. このためヘラクレイトスーーその難解さゆえあの異名を持つ人*5ですがーーは、次のように言いました。「どの一日も、同じ一日である」この言葉は、人によって各々異なる解釈をされています。一日はどれも時間の数において等しい、と解釈した人達がいますが、これは真実です。「一日」はどれも二十四時間で、昼が失うものを夜が獲得する訳ですから、全て等しくならなければなりません。またある人達は、一日は類似性によって他の全ての一日に等しくなる、と言います。つまり、光と闇の交代という要素が、共通にみられない一日はないということです。一日が永久に続いても長くても短くても、同じようにその交代が見られる、ということです。8. よって、われわれは、物語の締めくくりのように、われわれの存在を完成させ、極めるかのように、毎日を、規律あるものにしなければならないのです。

 長期の用益権によりシリアを自分のもののように考えていたパクヴィウスは、ぶどう酒と通常の葬儀の形式で、彼の自己満足のための葬儀の宴を定期的に行っていました。宴会場から寝室に移る時には、男娼に拍手させ、ギリシャ語で次のように歌わせました。「βεβίωάταιベビオータイ βεβίωάταιベビオータイ(おん方は生命を終えたり!おん方は生命を終えたり!)」このように、パクヴィウスは毎日自分の葬式をしていました。9. しかし、彼が恥ずべき動機でしていたことを、われわれは崇高な動機で行いましょう。満足と喜びをもって死の床について、このように言いましょう。

私は十分に生きた。運命が定めた道を、歩き通した。

 そして、もし神がもう一日を追加して下さったら、その時は喜んで迎え入れましょう。明日に不安を抱かない人は、最も幸福であり、彼自身の中に安らぎを見出すことができる人です。そのような人物が「私は十分に生きた」という時、彼は毎朝大きな祝福を受け取るのです。

 10. しかしそろそろ、手紙を終えねばなりません。君は言います。「そんな。私へのささやかな支払いもなしにですか?」心配は無用です。何かーー「何か」よりもっと有益なものですがーーを、君に差し上げましょう。この手紙に託して次の言葉を君に届けさせます。これ以上に優れた言葉もないでしょう。「不自由に生きることは間違っている。しかし不自由を強制する不自由など、本当は存在しない*6」存在する訳がありません。自由(死)に至る短くて単純な道は、いたるところにあるのですから。そして、誰にも死の道が残されていることを、神に感謝しましょう。われわれはまさに自分たちを不自由にしてるものを、追い払うことができるのです。11. 君は言います。「エピクロスでしょう、その言葉を語ったのは。なぜあなたは、他人の財産を持ち出すのですか?」いかなる真実も僕のものです。そして僕はこれからもエピクロスの言葉を引用していきます。そうすることで、誓いの言葉をたて*7、語られた内容ではなく語った人物が誰かに重きを置くような連中も、最善のものは共有の財産であることを理解できるでしょう。お元気で。

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 12 - Wikisource, the free online library

 

・解説

 ここまでで倫理書簡集の1巻である(全22巻)。少なくとも1巻を終えることができたので、三日坊主にはならずに済んだと思える。最低でも3巻まで(書簡30まで)を完成させられたらと思う。後半の書簡は特に一つ一つが長く、時おりとても冗長でどうでもいいことをあくまで悪例としてなのだが(善は物質か、についてなど)述べている部分がちらほらあり、そこで心が折れないことを祈る。

 この書簡12「老年について」は僕は1巻の中で一番好きな所である。特に冒頭のセネカが別荘番に八つ当たりした話などは2000年前の作品とは思えないほどユーモアがあり、こうした余裕や機智に、セネカの深さを感じてならない。「怒りについて」などでさんざん怒りをたしなめていたセネカが、子供のように怒る場面を自供しているのはとても面白い。こうした描写は「吾輩は猫である」にもあり、国も時代も超える、人類に共通のユーモラスなのかも知れない。セネカは読んでいてクスリとなるような表現がとても多く、読み手にとても寄り添った作風なのだ。

*1:嘆願や断言の時の言葉

*2:葬儀の際は、遺体を運ぶ時に足を外に向けた。死にかけたよぼよぼの老人なのだから、という意味

*3:死を目前にしたら、の意味。

*4:いわゆる戸籍

*5:前6世紀のギリシャの哲学者。その孤独な境涯とその暗い人生観により「暗い人(闇の人)と呼ばれた。これとは対照的に、デモクリトスは「笑う哲学者」と呼ばれた。

*6:人間にはいざとなれば死ぬ自由すらあるので、不自由になど生きようがない、という意味

*7:学派に属する時に、誓いの言葉があった。