徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡29 マルケリヌスの危機的な状況について

 1. 君はわれらが友マルケリヌスについて尋ねており、彼がどのように過ごしているかを知りたがっています。彼はめったに僕のところには来ませんが、その理由は他でもなく、真実を聞くことを恐れているからです。彼は今のところその難を逃れていますが、聞く耳を持たない者を、説得しようとする人はいません。そういうわけで、ディオゲネスや他のキュニコス派の人々が、誰彼問わず自由に語りかけ、道中出会った全ての人に助言を与えていましたが、そんなことを遂行する必要があったのかどうかは、しばしば疑問視されます。2. 耳が聞こえない人や、生まれついてあるいは病気で言葉が話せない人を𠮟る者があるとしたら、どうでしょうか?しかし、君は言われる。「なぜ私は言葉を惜しまなければならないのですか?それには費用はかかりません。私の助言が相手のためになるかどうかは、私にも分かりません。しかし、私が多くの助言をすれば、誰かを助けることができることはよく知っています。僕は多くの救いの手を差し伸べねばなりません。沢山試みる者は、いつかは必ず成功するものですから。」

 3. 親愛なるルキリウス君、まさにこうしたことこそ、偉大な魂を持つ人物がしてはいけないことだと、僕は信じています。彼*1の権威は力を失い、もしそれほどまでに影響力が弱まっていなければ矯正できたであろう人々に、殆ど何も影響を与えられなくなってしまいます。弓の射手はたまに的を射るのではなく、たまに的を外すのでなければなりません。偶然に効果を発揮するものを、優れた技とは言いません。英知は優れた技であり、目標を明確に定め、進歩を遂げるであろう者だけを選び、望みがないと見做した者からは退かねばなりません―—その場合もすぐに彼らを見捨てるのではなく、状況が絶望的になった時に、最善の治療を試みはしますが。

 4. われらが友人のマルケリヌスについては、僕はまだ希望を失ってはいません。彼はまだ救われる可能性がありますが、すぐに救いの手を差し伸べねばなりません。彼が自分の救済者を引きずり下ろす危険は確かにあります。というのも、彼の生来の資質にはとても活力がありますが、それが既に邪悪へと傾いているからです。それでも、僕はこの危機に果敢に立ち向かい、勇気を持って彼に彼の悪徳を知らしめてやりましょう。5. 彼はいつものように振る舞い、機知に頼るでしょう―—哀悼者にすら笑いを呼び起こす機知に。彼は最初に自分自身に対して、次に僕に対して、冗談を言うでしょう。彼は僕が発しようとする言葉の全てに先回りをするでしょう。彼はわれわれの哲学体系について問答し、哲学者達は贈り物を受け取り、愛人を囲い、食欲をほしいままにしていると非難するでしょう。6. 彼は、姦通に捉われた哲学者、居酒屋に出没する哲学者、宮廷に現れる哲学者について、僕に指摘するでしょう。彼は、マルクスレピドゥス的であり、いつも駕籠で運ばれてる間に議論をしていた―—この間に、自分の学問の研究の整理をしていたのですが―—哲学者のアリストン*2の話を持ち出すでしょう。スカウラス*3は、彼*4が所属する学派について尋ねられた時に、こう言いました。「とにかく彼は、散歩学ペリパトス派ではない。」ユリウス・グラエキヌス*5という著名な人物も、同じ点について意見を求められ、次のように答えました。「なんとも言えない。下車してる時の彼の行動を知らないから。」あたかも戦車闘技士のことについて述べているかのように。7. マルケリヌスは、そうしたペテン師たち―—哲学を捨て置いた方が売りものにするよりもずっと名誉である連中*6——を、僕の顔の前に投げ込むのです。しかし僕は、嘲りを耐えることにしました。彼は僕を笑わせようとするかも知れませんが、僕はおそらく彼を泣かせるでしょう。あるいは、彼が冗談を言い続けるなら、僕は言わば、悲しみの中で喜ぶでしょう。彼はそんな陽気な類の狂気に包まれているのですから*7。しかし、そんな陽気さは長くは続きません。そうした人物を観察すると、彼らが極めて短い時間の間に、度を越して笑ったり、度を越して激怒したりするのが分かるでしょう。8. 僕の作戦は、彼に近付き、多くの人に軽視されている時こそ、彼の価値がどれほど大きなものになるかを彼に示す、というものです。彼の過ちを根絶させることはできないかも知れませんが、抑えることはできます。彼は完全にとはいかずとも、一時的に止まることはできます。そして止まることを習慣にすれば、悪徳が止むかも知れません。こうしたことは軽視すべきではありません。というのも、重篤な状態にある人にとっては、一時の癒しが、健康の代わりになるのですから。9. よって、僕がマルケリヌスへの措置を準備しているその間に、次のことをしておいて下さい。君には能力があり、どこからどこまで進んだかを理解し、どこまで先に進めるかを予見しているのですから、君の心を整え、勇気を奮い起こし、君の恐怖の対象となっていたものとしっかりと向き合って下さい。君に恐怖を抱かせる人の数を数えたりしないで下さい。一度に一人しか通れない場所について、大勢の人を恐れるのは愚かだと思いませんか*8?そのように、君を殺すと脅す人は沢山いても、実際にそのようにできる人は多くはありません。自然は、ただ一つの存在が君に生命を与えた時と同じように、ただ一つの存在が生命を奪うことを定めます。

 10. 君がもし遠慮してくれたら、僕は最後の支払いを免除されていたでしょう。しかし、僕もけちけちしたくないので、借金を最後の有り金まで支払い、僕の借り分を君に押し付けます。「私は大衆に応えたい思ったことは一度もない。私が理解することを彼らは受け入れないし、彼らが理解することを私は受け入れないのだから。」11. 「誰がこの言葉を」君はあたかも僕が誰を引き合わせたか知らないように尋ねます。エピクロスです。しかし、これと同じ言葉があやゆる学派から君の耳に鳴り響いています―—ペリパトス派、アカデメイア派、ストア派キュニコス派、といった。美徳を喜ぶ人物が、大衆を喜ばせることができるでしょうか?大衆人気を得るには小細工が必要です。そして君は、彼らに似た人間になる必要があります。彼らは君を自分達の一員として認識しなければ、君の考えを受け入れないでしょう。しかし、君が君自身をどう思うかは、他人が君をどう思うかよりも遥かに重要です。卑劣な人間からの賞賛は、卑劣な手段によってのみ得られます。12. それでは、われわれが賞賛し、あらゆる学問や、あらゆる事物より優先されるべきと語る、あの誇るべき哲学は、どんな恵みをもたらすというのでしょう?それは確実に、君が大衆よりも自分自身を喜ばせるように導き、様々な見解を数え立てるのではなく、その価値について考えることを君に促し、君が神や人間を恐れずに生きていけるようにし、苦痛を克服するか、終わらせるかのどちらか*9にします。そうでなければ、もし君が、大衆の賞賛の中にいるとしたら、君の入場が、歓声と拍手で迎え入れられるとしたら、国全体女子供に至るまで、君を讃える歌を歌うとしたら、どうして僕は君への同情を禁じ得ましょう?どんな道がそのような賞賛につながるのかを、僕は知っていますから。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 29 - Wikisource, the free online library

・解説

 ここまでで3巻である。少しは形になってきただろうか。

 友人のマルケリヌスとは、ようはわれわれ現代人のような人間だ。ひねくれた物の見方をして、何とかして優れた人物や優れた教え(哲学)の揚げ足を取ろうとする。しかしそんな人物でも、救いはあるとセネカは説いている。やはりまずは自分を顧みて悪徳を自覚することが、救いへの第一歩なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

*1:偉大な魂を持つ人物

*2:前3世紀、キオス島出身のストア派の哲学差

*3:マメルクス・スカウラス。タキトゥス年代記6.29に、「高貴な血筋と法廷弁論では際立っていたが、私生活は破廉恥だった」と述べられている。

*4:アリストン

*5:ティベリウス時代の元老院議員で、法務官になった。

*6:セネカは「恩恵について」4.31.3で、スカラウスの放縦さを厳しく批判している

*7:彼は狂っているが、幸せなのだろうと喜ぶ、という意味

*8:恐らく書簡24のこと。仮に沢山脅す人がいても、死ぬのは一回だけだから心配するな、と励ましてる

*9:耐えきるか、死ぬか。セネカの頻出表現