徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡36 引退の価値について

 1. 君の友人のことを、引退の陰に隠れ、名誉ある経歴を捨て去り、より多くのことを達成できたかも知れないのに、それら全てよりも、平穏を好んだという理由で悪く言う人達を軽蔑するように、彼を励ましてあげて下さい。これらの批判者に対しては、彼が自身の責務のためにいかに賢明な判断をしたかを、日々示すことでしょう。人に羨まれるような人々は、彼をさしおいて、行進を続けることでしょう。そしてその地位から追い出される人もいれば、転落する人もいるでしょう。成功とは騒々しもので、自分自身を苦しめます。それは一つのみならず多くの手段で脳みそを刺激し、人々をあらゆる目的へ駆り立てます―—ある者を権力へ、ある者を贅沢な生活へと。ある者はそれによって増長し、またある者は柔弱にされ、無気力になります。

 2. 「しかし」反論する人もいます。「誰々は成功とうまく付き合っています。」ええ、ですがそれは、酒とうまく付き合っている、と言うようなものです。ですから、君がそうした連中に、大衆に囲まれてる人が幸福である、などと説得される必要はありません。大衆が殺到するその様子は、あたかも水を求めて池に押し寄せ、飲み干しながら水を濁らせるようなものです*1。しかし、君はこう言います。「連中は私たちの友人を、つまらない怠け者だと言います。」君もご存じのように、言葉がおかしい人間や、用語の意味を反対に使う人間がいます。彼らが君の友人を幸福だと言ったところで、それが何なのでしょう? 彼は幸福だったでしょうか?3. 彼のことを大変粗末で、陰鬱な心の人間だと見なす人がいるという事実すら、僕を悩ますには及びません。アリストーン*2はいつも、陽気で皆に好かれる人物よりも、気難しい気質の若者を好むと言っていました。「なぜなら」彼はつけ加えます。「葡萄酒も新しいものは舌触りが荒くて酸っぱいが、やがてはいい味になる。しかし、樽のうちから味のよかったものは、年代に耐えられない。」ですから彼らに、君の友人のことを陰鬱とでも彼らの出世の邪魔だとでも、言わせておけばよいのです。老年において役に立つのは、まさにそうした陰鬱さです。彼が徳を大切にし、進歩に役立つ学問をしっかり吸収することを続ければ―—振りかけるだけでは十分ではありません。心を深くそれに沈めねばなりません。4. 今が学ぶべき時です。「何ですって?では、学んではいけない時もあるのですか?」けっしてそんな時はありません。しかし、勉強することはあらゆる年齢の人にとって褒められたことではあっても、いつまでも教えを受けることはあらゆる年齢の人にとって褒められたことではありません。老人が子供の教えを学ぶことは、みっともなく馬鹿げたことです。若い人は蓄え、老人は使わねばなりません。ですから、君の友人をできる限り善い人間にすることは、君自身にとって最も良いことです。そうした親切は、人々も言うように、求めるべきであり、与えるべきです。それは受け取る側と同じように、与える側にも利益を与える、疑いようもなく素晴らしいものです。

 5. 今や、彼に自由は残されていません。彼はもう約束してしまったのですから*3。そして、確かな希望を破産させるよりも、債権者を破産させることの方が少ない恥で済みます*4。そうした負債を返済するためには、商人であれば儲け話に溢れた航海が必要ですし、農夫であれば実り豊かな畑と、望みの天候に恵まれなければなりません。しかし、君の友人の持ってる負債は、ただ善い心で完全に返済することができます。人格には運命も支配を及ぼすことはできません。6. 彼は自分の人格を制御し、どれだけ物事がうまくいかなくても、それ自身の内側で損も得も感じず、同じ姿勢を保つ精神を、全き平穏の中で、完成させるよう努めねばなりません。こうした精神は、それが世俗的な富で満たされていても、それらよりも高い所に自らを置き、反対に、そうした富の一部あるいは全部が偶然により奪われることがあっても、損なわれることはありません。

 7. 君の友人がもしパルティア生まれだったら、子供の頃から弓を張っていたでしょう。ゲルマニア生まれだったら、早くから細槍を振り回していたでしょう。彼がわれわれの祖先の時代に生まれていたら、馬を駆って戦闘で敵を打ちのめすことを学んでいたでしょう。これらは各民族の習慣が個人に課す責務です。8. では、君のこの友人は、何に関心を向けるべきでしょうか?僕は言います、すべての武器に対して、あらゆる敵に対して有用なこと―—即ち死を軽蔑することを、彼に学ばせて下さい。なぜなら、死には恐怖を呼び起こすものがあり、自然が自分自身を愛するようにと形作った私たちの魂を、脅かすものであることを疑う人はいませんから*5。そうでなければ*6、自然の本性によって定められていることに直面するために、自分自身を整え、勇気を奮い起こす必要もありません。全ての人は自己の生命を守る性向を持ちます。

 9. 必要とあらば、いばらの寝台に落ち着いて横になることができるようにと、何かを学ぶ者はいません*7。しかし次の目的のために、勇気を奮い立たせる者はいます―—信念が拷問の苦痛に屈しないこと、そして必要とあらば、危機が生じた時は、負傷していても、槍に寄りかかることさえせずに―—というのも小道具に寄りかかった人には、容易に睡魔が忍び寄りますから―—防塁の前で見張りのために立ち続けることのために。

 死に有害なものはありません。というのも、死を有害にする何かがあるだけですから。10. それでも、もし君がより長い人生への強い渇望に取り憑かれているなら、われわれの視界から消えて無くなるものなど何もなく、世界に再び吸収されて、それが生じたところよりすぐにまた現れ、また消えていくであろうこと*8を思い出して下さい。それらは一生を終えただけで、滅びたのではありません。そして、われわれが恐れ慄く死は、生を止めるだけで、奪うことはありません。われわれが日の光を浴びる時が戻ってきます。そして、多くの人は、過去を忘却することができなければ、これを拒絶したことでしょう*9

 11. しかし、いずれまた詳しく*10、滅びたように見えるものは全て変化しただけであることを示したいと思います。帰るべきところに帰る運命に従って、君は心静かに旅立たねばなりません。宇宙の循環がどのようにその軌道を繰り返すかを考えてみて下さい。われわれの空の星は消えることはありません。それらは全て、交互に沈んだり、昇ったりしていることがお分かりになるでしょう。夏が過ぎ去っても、次の年にはまた訪れ、冬は大人しくなっても、それ自体の適切な月によって復活します。夜は太陽を押し出しましたが、昼はすぐにまた夜を打ち負かします。動きゆく星々は、かつてと同じ軌道を辿ります。天空の一部は絶えず上昇し、一部は絶えず下降します*1112. 最後に次の言葉を添えて、終わりにしたいと思います。赤子も子供も狂人も、死を恐れることはありませんが、愚かさによってももたらされる心の平和を、理性がわれわれに与えることができないとしたら、それはとても恥ずべきことです。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 36 - Wikisource, the free online library

・解説

 宇宙が生成と消滅を繰り返し、人間の魂もまた同じように転生を繰り返すというのは、ストア派の死生観なのだが、セネカの場合は死後の生にかなりの確信を持って語っているように思われる。恐らくは、エジプトにいたころにそうした死生観を学んだのかも知れない。いずれにせよ、これはルドルフ・シュタイナーや様々なスピリチュアルな思想に共通のもので、死後の生つまりは魂は永遠に存在し、転生を繰り返すので、死をそれほど怖がる必要はない、という思想である。哲学者の中でも、セネカはかなりの確信をもってこうしたことを語っている。誰かに学んだということもあるだろうが、恐らくは、ルドルフ・シュタイナーが言う所の、鍛えられた悟性によっても把握していたのだろう。優れた思想家は、自ずと自然の正しい姿を洞察するものなのだ。

 

 

*1:池の中に下品に飛び込んで、池をかき回しで汚しながら水を飲むようなもの

*2:キオス生まれのストア派の哲学者で、ゼノンの弟子。

*3:もう引退を決めたのだから、大人しく哲学に邁進するしかない、という意味

*4:哲学に勤める引退の生活を台無しにするよりは、世俗的な成功を台無しにする方がマシだという意味

*5:自然が自己愛をわれわれに与えたので、当然死は怖いものである、という意味

*6:死が恐くなければ

*7:人間の自然の本能としての死の恐怖を持たない者は、ただの異常者だということ

*8:誕生と消滅を繰り返す、ストア派の宇宙観

*9:転生の際に、過去つまりは前世の記憶を持たないことは、魂の成長にとって大きな恩恵となる。例えば、前世が大悪人であったり、恥ずべき記憶しかなければ、記憶を持ったまま転生しても、その記憶に苦しめられて、うまく魂が成長できない、といった弊害が生じる。例えば転職や大学デビューで、過去の自分を忘れて成長したい、という状況に似てる。こうした事情のために、人間は前世の記憶をリセットして、転生することが許されてるという、セネカの精神世界的な死生観。こうしたスピリチュアルなセネカの死生観は、書簡の後半に特に多く見られる。

*10:書簡77

*11:地平線から昇り、また沈む、という意味か