徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡90 人類の進歩において哲学が果たした役割について

 1. 誰が疑うことができましょうか、僕のルキリウス君。われわれが生きていることは不死なる神々の恩恵であり、善く生きることは哲学の恩恵であることを。哲学それ自体の恩恵*1を神々はわれわれに与えなかったのですから、善く生きることが単に生きることよりもいっそう大きな恩恵であるのに比例して、われわれが神々よりも哲学にいっそう大きな恩義を負っているという考えは、正しいものと見做されるでしょう*2。神々は哲学の知識は誰にも与えませんでしたが、それを獲得する能力は全ての人に与えました。2. というのも、もし神々が哲学を、(人類に)普遍的な善として与えていたら、そしてもしわれわれが、生まれつき賢明であったなら、英知は偶然の賜物ではないという、その最高の性質を失っていたでしょうから。つまり実際は、英知の貴重たる崇高たるゆえんは、われわれに自ずと与えられる訳ではないこと、各人がみずからその恩寵を勝ち取らねばならぬこと、他人の手によって獲得できるものではない、ということにあります。

 哲学がもし神々からの恩恵として(勝手に)与えられるなら、その中に尊敬に値するものが何かあったでしょうか?3. 哲学のただ一つの任務は、神的なものと人間的なものに関する真理を見出すことです。哲学からは宗教心も義務感も正義感も、互いに密接に結びつき一団となっている美徳の全体も、離れることはありません。哲学はわれわれに、神的なものは敬い、人間的なものは愛するように教えます。神々の中には導きがあり、人間同士の間には交友関係があることを教えます。この交友関係は、長い間損なわれることなく続いていましたが、やがて貪欲が共同体の結びつきを引き裂き、最も富める人達においても、貪欲が貧乏の原因となりました。というのも、人はあらゆるものを独占したいと望むことで、あらゆるものの所有を失ったのです。

 4. しかし、最初の人類と、そこから派生した人々は、純粋なまま自然に従い、一人の人物だけを指導者とも法律とも見なし、自分たちの中でより優れた人物の統治に身を委ねていました。自然は、優れた者に劣った者を従わせますから。物言わぬ動物においても、最大であったり最強であったりする者が、彼らの中で最も影響力を持ちます。群れを率いるのは貧弱な雄牛ではなく、体格においても筋肉においても他の雄を打ち負かした雄牛です。象においても、先頭に立つのは最も背の高い象です。人間においては、最善の人物が最高の人物と見なされます。ですから支配者は、その精神の崇高さに基づいて選ばれたのです。それゆえ最大の幸福は、より善き人でない限り、より強力な人にはなり得ない、とする人々の中にありました。つまり、自分がやらねばならないこと以外は何もしたくないと考える人物が、自分の望みを、誰も害することなく叶えていたのです*3

 5. したがって、ポセイドーニウス*4は、かつて黄金時代*5と呼ばれていたその時代には、統治権は哲学者の掌中にあったと言っています。賢者たちは自らの手腕を制御し、弱い者を強い者から守りました。彼らは人々に、すべきこととすべきでないことに関する忠告を与え、何が有益で、何が無益であるかについても教えました。彼らの思慮は人々が何も欠かないように気づかい、彼らの勇気は人々から危険を退け、彼らの慈愛は人々を豊かに、立派にしました。彼らにとって統治とは奉仕であり、権力の行使ではありませんでした。自分に統治権を与えてくれた人々に、可能な限り好き勝手に振舞おうなどど考える者もありませんでした。そして、賢者はよく統治し、人々はよく従ったので、誰も不正を行うことも、その弁明をすることもありませんでした。そして、統治者が不従順な臣民に対してなし得る最大の脅しは、彼がその王位から退くことでした*6

 6. しかし、やがて悪徳が忍び込み、王政が圧政に変化すると、法律が必要になり始めました。そしてこの法律も、最初のうちは賢者が作り上げていました。ソロンは、公正な法によってアテナイの基礎を確立した人物ですが、その英知で名高い七賢人*7の一人でした。リュクルゴス*8がもし同じ時代に生きていたら、この神聖な数字の七に、八番目の数として加えられていたでしょう。ザレウコス*9カロンダス*10の法律も誉むべきものです。この二人は中央広場フォルムや熟練の法廷関係者の顧問室ではなく、ピタゴラス*11の静寂で神聖な隠れ家で学び、その正義の法を、当時繁栄していたシチリアと、イタリアのギリシャの諸都市全域に確立させました。

 7. 以上の点までは僕はポセイドーニウスの意見に賛同します。しかし、日々の生活で利用される諸技術が哲学によって発明されたという考えには僕は同意しませんし、工匠の名声を哲学に帰そうとも思いません。ポセイドーニウスはこのように言っています。「人々が地上に散らばって、藁葺き屋根やくり抜かれた洞窟、あるいは木の幹のうろに守られていた時、哲学が彼らに、家を建てることを教えたのだ。」しかし僕に言わせれば、家の上に家が積み上がり、都市の周りに都市が連なるわれわれの不自然で煩雑な住まいを考案したのは、哲学ではありません。それは、魚を生け簀に囲い込むことで、食道楽たちが嵐の危険を冒さないで済むようにしたり*12、あるいは、どれだけ海が荒れ狂っていても、高級魚が飼育されている、贅沢にとっての安全な港を用意したりすることを、哲学が考案しないのと同じです。8. 何と!人々に鍵や錠前の使い方を教えたのは哲学だったのでしょうか?それは貪欲のきっかけ以外の何だというのでしょう*13?住む人々にとっても危険な、あの聳え立つ家々を建てたのは、哲学だったでしょうか?その場にあるものを何でも屋根にして、いかなる技巧も面倒もなく、自分たちのための何らかの自然な隠れ家を用意するだけでは、人々には不十分だったのでしょうか?僕の言うことを信じて欲しいのですが、建築師や漆喰塗り師が現れる以前の時代、人々は幸福だったのです!9. これらの類は全て、贅沢と同時に生じました。つまり、木材を四角に切ったり、予め引かれた線に沿って鋸を引き、確かな手腕で木材を切り離すことなどです。

昔の人々は、楔で木材を割っていた*14

 というのも彼ら*15は、宴会を開くための屋根を作ったりしませんでしたし、金葺きの重い天井板を支えるための用材として、松の木やもみの木が、長蛇の列をなした荷馬車によって、震える通りに沿って*16運ばれることもありませんでした。10. 地面の両側に立てられた二股の柱が、(昔の)家を支えていました。木の枝を密に並べ、木の葉を斜めに積み重ねることで、どんな激しい雨でもしっかり水が外に流れるようにしたのです。このような住まいで人々は、安心して暮らしました。かつて藁葺き屋根の下では自由な人々が暮らしていましたが、今や大理石と黄金の下では、奴隷根性が住んでいます。

 11. また別の点でも、僕はポセイドーニウスと意見を異にします。というのも彼は、鉄製器具の類は賢者によって考案されたと言うのです。そして、その見解に基づいて、あらゆる技術が賢者により発明されたとまで言うのかも知れません。

罠を仕掛けて獲物を捕らえたり、鳥もちで鳥をからめ取ったり、

猟犬と共に大きな森を取り囲む*17

これらを考案したのは人の機知であって、英知ではありませんでした。12. そして僕は、ポセイドーニウスが、「森林火災で焼けた大地が、地表近くにあった鉱脈を溶かし、金属を湧出させたとき」に賢者は鉄や銅の鉱山を発見したのだと言ったことについても、彼と意見を異にします。そうしたものを発見するのは、実際にそうしたことに携わっている人たちです。13. さらに、次のような問題も僕には、ポセイドーニウスが言うほど鋭敏なものだとは思われません。つまり、鎚と火ばさみのうち、使われ始めたのはどちらが先かという問題です。それらの両方とも、鋭敏で機知に富んだ人物によって考案されましたが、その人は偉大な人物でも崇高な人物でもありませんでした。そして同じことが、身をかがめて地面を一心に見つめなければ発見できない、他のあらゆるものにもあてはまります。

 賢者は生活のために苦心することはありませんでした。それは何故でしょう?われわれの時代においても、賢者はできる限りあれこれ煩わされたりしないことを望みます。14. お尋ねしますが、どうして君はディオゲネス*18ダイダロス*19の二人を、同時に賞賛できると思うのでしょうか?君はこの両人のうち、どちらを賢者と見做すでしょうか?鋸を考案した人物か、それとも、或る少年が手のひらにすくった水を飲むのを見るやいなや、自分の小袋から杯を取り出して叩き割り、「こんなにも長い間余計な荷物を持っていたとは、私はなんと愚かなのだ!」と言ってから、樽の中に潜り込んで寝た人物でしょうか?15. 今日においても、君は次のどちらを賢者だと思うでしょうか?隠れた導管からサフランの香水を非常に高い所まで噴出させる仕掛けを発明した者や、突然の水の放出や排出によって、水路を満たしたり空にしたりする者や、あるいは、動きやすく作られた食堂の天井板を巧みに組み合わせて、次から次へと天井の板の配置を変えて、料理が変わるのに合わせて天井の模様も変わるようにした者たちでしょうか。それとも、自然はわれわれに、大理石工や工匠がいなくとも生活できることで、絹の交易をせずとも衣服を着れることで、大地の表面に置かれたもので満足すれば、必要なものは全て得られることで、(自然は)いかなる困難も苦労も(われわれに)命じることはなかったことを、自分自身にも他人にも教える者たちでしょうか。もし人々が、こうした賢者の言葉に聞く耳を持つならば、料理人とは兵士と同じくらい、彼らにとって不必要であることを理解するでしょう。16. 彼ら賢者、あるいは賢者に近い人たちは、肉体の世話は容易に解決がつく問題だと考えました。必要不可欠なものは、手に入れるのに大した労苦を要しません。贅沢のみが、苦労を要するのです。自然に従えば、名職人など必要ありません。

 自然はわれわれが、苦しめられることなど望みません。われわれに何を強いることがあっても、それへの備えを用意してくれました。「しかし、裸の身には寒さは耐え難い。」ではどうでしょう?野生の獣やその他の動物の毛皮は、われわれを十分に、いえ十分以上に、寒さから守ってくれないでしょうか?多くの部族は、樹の皮で体を覆わないでしょうか?羽毛を縫い合わせて、衣服にすることはできないでしょうか?今日でもスキュタイ族の大部分は、手触りが柔らかく、風も通さない狐や鼠の皮を着てはいませんか?17. 「それでも、人は夏の太陽の暑さを防ぐためには、もっと厚い覆いが必要になる。」ではどうでしょう?長い時の経過の中で浸食やその他の現象が空洞を形成し洞窟へとなり、沢山の隠れ家を作らなかったでしょうか?ではどうでしょう?原初の人々は枝を網み合わせて覆いを作り、それにどこにでもある泥を塗りつけ、それから刈り株やその他の野草を使って屋根を組み上げ、そのようにすることで冬は過ぎ去り、そのようにすることで雨は屋根の傾斜を流れ去らなかったでしょうか?ではどうでしょう?シュルティスの沿岸*20に住む人々は、掘った穴に立てた家*21に住んではいないでしょうか?そして実際、これらの部族は皆、太陽の猛烈な炎のゆえに、乾燥した土地そのもの以外に、その暑さを避けるための十分な防御手段を持っていないのです。

 18. 自然は他の全ての動物は簡単に生活できるようにして、人間のみがあれら多くの技巧*22無しでは生きていけなくするほど、意地悪ではありませんでした。それら(の技巧)はどれも、自然がわれわれに課したものではありません。それらのどれも、われわれが命を長らえるために、苦労して探し求める必要はありませんでした。必要な全ては、われわれが生まれた時に用意されていました。容易なことを軽蔑することで、全てを困難にしてしまったのはわれわれ自身です。家も隠れ家も、快適な服も食料も、今では大きな苦労の原因となってしまったそれらのものは、かつては誰の手にも無償で用意されており、わずかな労力で得ることができました。何であれそれらの限度は、必要に応じていましたから。それら全てを高価なものにし、驚嘆すべきものにし、多大で多様な手段によって求めねばならぬものにしたのは、われわれ自身です。自然の欲求に、自然は十分に応じてくれます。19. 贅沢は自然に背きました。贅沢は日々それ自体で拡大し、あらゆる時代を通して肥大し、その狡猾さで悪徳を助長してきました。まず最初に、贅沢は自然に不要なものを望み始めました。次に、自然に反するものを。最後には魂を肉体に縛り付け、肉体の情欲の完全な奴隷となることを命じました。都市を巡回する―—というよりは喧騒させていると言うべき―—あれらのあらゆる技術は、肉体に関する仕事にのみ従事します。かつては肉体には、あらゆるものが奴隷に与えられるように与えられていたのですが*23、今や主人に対するのと同じように、肉体にあらゆるものが提供されています。このため、織物や大工の工場が生まれました。このため、熟練の料理人が美味しそうな香りを漂わせます。このため、軟弱な者たちが軟弱な踊りを教え、また軟弱で柔弱な歌が歌われるのです。つまり、われわれの欲求を限られた必要な事物に制御するあの自然の境界は、すでに破棄されてしまったのです。今では、必要な分だけを求めることは、野暮ったく、完全に貧乏であることの証になってしまったのです。

 20. 愛するルキリウス君、とても信じがたいことですが、たとえ偉大な人物であっても、言い回しの魅力に惑わされて、いかに容易に真実から遠ざかってしまうことでしょう。例えばポセイドーニウスにしても、僕は彼を、哲学に最も貢献した人物の一人だと考えていますが、機織りの技術に関して次のように表現しています。彼はまず、ある糸がどのようにして撚り合わされ、ある糸がどのようにして柔らかくほぐされた毛玉から引き出されるかを語ります。次に、どのようにして縦に張られた糸が、吊り下げられた重りによって真っ直ぐに伸ばされるのかを。最後に、どのようにして挿入された横糸が、生地の両側を締め付ける縦糸の張りを柔らかくし、当て木によって押しつけられて、縦糸と共に細かく織り込まれるのかを。彼は、機織りの技術すらも賢者によって考案されたと言いましたが、彼の語ったこのような技術が、(賢者よりも)もっと後の時代の発明品であることを忘れているのです。そのような技術においては、

縦糸は軸に巻き付けられ、その糸を棒が二つに分ける。

その糸の間に鋭い当て木によって横糸が差し込まれ、

幅広い櫛の鋭い歯が、それを織り込む*24

もしもポセイドーニウスが、われわれの時代の機織り機を見たら、どうなるのでしょう*25!それが作るのは何も隠すことのない衣服であり、体だけでなく、羞恥心を守ることにも何の役にも立たないものです*26

 21. ポセイドーニウスはその後、農夫に話を移します。彼は、鋤によって砕かれ、再び耕される大地を、同じような雄弁で描写します。このように柔らかくされた大地は、根をより自由に伸ばせるようにします。それから種が蒔かれ、雑草が引き抜かれ、他の穀物や野草が蔓延って、作物が台無しにされることが決してないようにします。ポセイドーニウスは、これらの作業も賢者が考案したものだと言っています。あたかも、現在においても土地を耕す人々が、土地を肥沃にするための様々な方法を、新たに沢山発見してはいないかのように!22. さらに、彼の関心はこれらの技術だけに留まらず、賢者を製粉場に送り込んで、その名誉を損なうことすらするのです。なぜなら彼は、賢者がどのように自然の過程を真似て、パンを作り始めたかを語るのですから。「穀物は」彼は言います。「口の中に入れられると、互いにぶつかり合う上下の歯によって押し潰されて、滑り落ちても全て舌によって同じ歯の間に戻される。それから唾液と混ぜ合わされることで、喉を滑らかに通りやすくなる。これが胃に達すると、胃の均等な熱で消化される。それからようやく、身体に吸収されるのだ。この例によって、」23. 彼は続けます。「誰か或る人物が、歯と同じように、あるざらざらした石をもう一つのざらざらした石の上に載せて、片方を動くようにして、もう片方は固定した。それから、上の石を下の石に擦り付けることで、穀物が何度も砕かれたり戻されたりすることによって、ずっと挽かれた穀物はついには粉末となるのだ。それから彼はこの粉に水をふりかけ、絶え間なく捏ねて練り上げ、パンの形を作った。このパンは、最初は熱い灰や、熱された土器の中で焼かれていたが、後にパン焼き窯やその他の、熱が賢者の意のままに従う様々な装置が開発されたのだ。」ポセイドーニウスはそのうち、靴屋の仕事さえも賢者によって考案されたと言わんばかりです。

 24. 確かにこれら全ては理性が考案したのでしょうが、それは真の理性ではありません。それを考案したのは人間ではありましたが、賢者ではありませんでした。それは彼らが、川や海を渡る船を発明したのと同じです。風の力を受けるために帆が取り付けられた船や、船の進路をあちこちに向けるために、舵が船尾に取り付けられた船があります。これらは魚を模範したもので、魚は尾で自分の動きを制御し、体の僅かな動きによってその素早い泳ぎを操ります。25. 「しかし、」ポセイドーニウスは言います。「それら全てを発見したのは確かに賢者だ。そして、自分たちが取り扱うにはあまりに些末な分野を、下位の従者たちに任せたのだ。」そうではなく、かつてこれらを発明した人々とは、今日でもそうした仕事に従事してる人たち以外の、誰でもありません。われわれは現代になってようやく現れた、何らかの発明があることを知っています。例えば、透き通った羽目板を通して澄んだ光を取り入れる窓の使用や、壁に埋め込まれた導管を通る温かい空気によって、室内の最も高い所から最も低い所まで均一に温めることのできる、丸天井の浴室などです。われわれの神殿や邸宅を輝かせる大理石については、言うには及ばないでしょうか?あるいは、一部族が住めるほどの広さの家屋を建てるための列柱を支える、丸く高価な石の塊については?あるいは、全ての言葉を網羅し、どんな早口で話されたことも、舌の速度が手の速度に追随し、その内容を書き留めることができる符丁*27については?こうした類のことは全て、最下級の奴隷によって考案されたものです。26. 英知はより高いところに座し、手仕事ではなく、心を教える師なのです。

 英知が何を発見し、何をもたらしたかを知りたいですか?それは、肉体の優美な動きでも、息が中に入ったり出たりすることで音へと変換される管楽器や笛によって奏でられる音楽でもありません。武器も城壁も戦争に用いられる道具も、英知が考え出したのではありません。英知の声は平和を求め、全人類に調和を呼びかけます。27. 日々の生活に必要な道具を作り出したのは英知ではないと、僕は申します。どうしてそのような下らぬものを英知に割り当てるのでしょう?英知は人生の制作者と見做すべきです。なるほど英知は、その他の諸技術もその支配下に置いています。なぜなら、人生が仕える人*28には、人生(生活)を整えるあらゆる手段*29も仕えるでしょうから。しかし英知とは、幸福な状態へと進むものであり、そこにわれわれを導き、そのための道を拓いてくれるのです。28. 英知はわれわれに、何が悪であり、何が悪のように見えるのかを教えてくれます。英知はわれわれの心から下らぬ幻影を取り払います。われわれに真の偉大さを与えますが、肥大した、派手なだけで空虚に溢れた偉大さは抑制します。英知はわれわれが、偉大なものと膨れ上がっただけのものの違いに無知であることを許しません。自然全てと、英知それ自身についての知識をわれわれに与えます。英知はわれわれに、神々とは何であり、どのような性質をもつか、冥界の神々とは何か、家の守り神とは、人の守護神とは何か、永遠の生命を与えられ、神々に次ぐ者となった魂とは何か、彼らはどこに住まうのか、彼らの生活とは、その力とは、その意図とは何かといったことを、教えてくれます。

 以上が英知による伝授の儀式ですが、これにより田舎の神殿ではなく、あらゆる神々の広大な神殿つまりは宇宙そのものが開かれ、英知はその真の全貌、真の姿を、われわれの精神が眺められるものとして提供してくれます。というのも、われわれの視力は、そのような偉大なものを見るには鈍感すぎますから。29. 次に英知は事物の始原に立ち戻ります。つまり、万物に与えられた永遠の理性ロゴスと、あらゆる事物の種子に内在し、各々をその性質に基づいて形作る力にです。それから英知は魂について、それがいつ生じ、どこに、どれほどの期間存在し、どれほど多くに分かれているかについて探求し始めます。最後に英知は、物体的なものから非物体的なものへと関心を移し、真実とそれを知るための証を熱心に探究し、次に、生活においても言葉においても、真実と曖昧なものをどのように区別するかを探究します。生と言葉のどちらにおいても、真実と虚偽が混ざり合っているからです。

 30. 僕が言いたいのは、ポセイドーニウスが考えているように、賢者は先に上げたような諸技術から身を引いたのではなく、最初から全く関与しなかったということです。なぜなら賢者は永久の使用に値すると見做せるもの以外は、何も発明するには値しないと考えましたから。取り去らねばならないものは、取り扱いませんでした。

 31. 「しかし、アナカルシス*30は」ポセイドーニウスは言います。「陶工に用いるろくろを発明した。その回転によって容器の形を作り出すことができる。」そして、ホメロスの書でも陶工用のろくろについて言及されているため*31、人々はポセイドーニウスの話よりもホメロスの詩のほうが虚偽であると信じるのです!しかし僕は、アナカルシスはろくろの発明者ではないと言いますし、仮にもし発明者であったとしても、賢者である彼が発明したのは確かですが、「賢者として」発明した訳ではありません。賢者が、賢者としてではなく人間として行うことが、とても沢山あるのと同じです。例えば或る賢者が、物凄く足が速いとします。彼が競走で他の全ての走者を追い抜くのは、英知によってではなく、機敏さによってです。僕はポセイドーニウスに、或るガラス職人を見せてやりたいと思います。彼らは息を吹き込むことで、どれだけ熟練の技術者でも手によっては作り得ない様々な形を、自在に作り出すことができます。けれどもこうした技術は、われわれが英知を見出せなくなってから発見されたのです。

 32. しかしポセイドーニウスはまたしても、次のように言います。「デモクリトス*32は弓形門(アーチ)を発明したと言われている。それは少しずつ傾けて曲線に並べられた石が、中央の要石で結び付けられるようにしたものだ。」僕はこの見解は、間違いであると言いましょう。なぜならデモクリトス以前にも、頂上がほぼ弓なりになった橋や門があったに違いありませんから*3333. この同じデモクリトスが、どのようにして象牙を柔らかくすることができるか、どのようにして小石をエメラルドに変える*34ことができるか―—今日でもこの用途に適した石が、同様の加熱方法で着色されています―—を考案したことを、君たちは完全に忘れてしまっています!それらのことを発見したのは賢者*35だったのかも知れませんが、賢者として発見したのではありません。なぜなら賢者が行うことの中には、全く賢明さを欠いた者たちによって、賢者と同様に、あるいはより巧みに、より器用に行われるのをわれわれが目にするようなことも、沢山あるのですから*36

 34. それでは賢者は何を発見し、何を明らかにしたのかとお尋ねですか?第一に、真理と自然についてです。賢者は他の動物たちのように自然を求めたのではありません。肉眼は、自然のもつ神性を認識するには鈍すぎますから。第二に、人生の法則についてです。賢者は人の人生を、普遍的な法則に沿って形作りました。そして神々を知るだけでなく、神々に従うことも教え、偶然の出来事をあたかも神の命令のごとく受け入れることを、われわれに教えました。偽りの見解に従うことを禁じ、あらゆるものの真の価値を、それぞれに適切な評価基準によって測りました。良心が恥じる快楽を非難し、常に十分と思わせてくれる善きものを賞賛しました。そして、最も幸福な人とは幸福を必要としない人であり、最も強力な人とは自分自身への支配力を持つ人であるという真理を、われわれに示しました。

 35. 僕が話しているのは、市民を祖国の外に置き、神々を世界の外に置き、美徳を快楽に捧げた哲学*37についてではなく、立派なもの以外は何も善ではないと考え、人間の贈り物にも運命の贈り物にも惑わされることはなく、どんな対価を払っても、その価値を買うことはできないような哲学についてです。そのような哲学が、未だ諸技術や工芸が知られることなく、有益な事柄は実際の経験によって学ばれていたあの未開な時代に存在していたとは、僕には信じられません。

 36. 次に訪れたのは幸福な時代であり、自然の恵みが全ての人に差別なく与えられていました。それは貪欲と贅沢が人々を結び付けていた絆を引き裂き、共同体を破棄し、略奪へと転じさせる以前のことでした。この時代の人々は賢者ではありませんでしたが、賢者のように(自然に従って)生活していました。37. 実際誰もがとても高く評価する人類の状態として、この時代に勝るものはありません。そして、もし神々が誰か或る者に、地上に人類を作り、その人たちに法を与えるよう命じたとしたら、その者は、この時代の人々が従っていた法則以外は承認しないでしょう*38。そのような人々の間では、

農夫は誰一人土地を耕すことはなく、

自分の土地に目印を付けたり、境界線で区切ることは不正なことであった。

人々は富を分かち合ったし、

大地も求めらずとも、気前よく人々にその恩恵をもたらした*39

 38. この時代の人類よりも、恵まれた人々があったでしょうか?彼らはみな共同で、自然の恵みを享受していました。かつて万物を生み出した自然は、今度は万物の保護者として尽くしていました。そしてこの自然の贈り物は、各人が確実に手に入れることのできる共有財産でした。このような人類こそ最も豊かであると、どうして言ってはいけないでしょうか?そこには貧しい人など見つからないのですから。

 しかし、この幸福な状態にある共同体に、貪欲が押し入りました。そして貪欲が、あらゆるものを持ち主から切り離して自分だけのものにしようと熱望することで、逆に全てを他人のものにしてしまい、自らを無限の豊かさから所狭い貧窮へと貶めたのです。貪欲が貧乏をもたらし、多くのものを渇望することで、全てのものを失いました。39. それで、貪欲は今では、自分が失ったものを再び取り戻そうとして、隣人を買収するか不正を加えることによって隣人を追い出して、農地に農地を加えたり、属州の広さにまで農地を拡大し、土地を所有しているということは、自らの敷地内だけで海外まで旅ができるという意味だと考えたりしています。しかし、貪欲がこうしたあらゆる試みによってどれほど土地の境界を広げたとしても、われわれがかつて見捨てた、あの(幸福な)状態に戻ることはできません。

 われわれはあらゆることをこれ以上ないほどに成し尽くせば*40、多くのものを所有することでしょう。しかしわれわれは、かつては全世界を所有していたのです。40. 土地そのものも、耕されずとも実り豊かで、略奪を知らない人々にとっては十分以上の恵みがありました。自然が何を与えくれる時にも、人々はそれを見つけた時に劣らず、人に教えることを喜んだのです。誰も他の誰かより過剰になることはなく、不足することもありませんでした。争いを知らない友の間で、それらは分かち合われたのです。強者が弱者を手にかけることは、まだありませんでした。強欲な人物が持ち物を隠して、生活に必要なものを他人から閉め出すことも、まだありませんでした。誰もが自分自身に対してと同じように、隣人を気にかけました。41. 武器が用いられることはなく、人の血で汚れていない手は、全ての敵意を野獣に向けていました。人々は深い森の中で太陽から身を守り、冬の寒さや雨の激しさを避けるための安全な隠れ場所を見つけ、その木の枝葉の下で暮らし、ため息をつくこともなく穏やかな夜を過ごしました。われわれは紫の服を着ていても不安に悩まされ、その鋭い*41棘に駆られて寝返りを打っています。しかし、固い地面で寝ていた当時の人々の眠りは、何と穏やかなものだったことでしょう!42. 彼らの頭上を覆っていたのは浮き彫り細工が施された天井板ではありませんでしたが、広大な空の下で彼らが横たわっていると、星々が上方を静かに滑り、夜の壮大な光景を見せる天空は、穏やかにその仕事を営みながら、素早く運行していました*42。彼らには昼も夜も、この天界の素晴らしい住まいの光景が開かれていました。或る星座が中天から沈むのを眺め、また別の星座が、隠れた所から昇るのを眺めることが、彼らの喜びでした。43. 天空に点在するそれらの驚嘆すべき星々の間を遍歴することが、喜び以外の何であったと言うのでしょう?しかし、今や君たちは、家の中のあらゆる物音に身震いし、壁画の間から何か軋む音でもするようなら、恐怖で逃げ出します。かつての人々には、都市のように大きな家はありませんでした。そよ風や、開けた野を自由に行き渡る空気、岩や木陰の穏やかなゆらめき、湧き上がる澄み切った泉、また水道管や水路の整備といった、人の手の働きかけによって損なわることなしに、流れ続ける小川、自然のままで、人の手がなくとも美しい牧草地。こうした風景の中に、彼らの素朴な手で作られた、質素な住まいがありました。その住まいは自然に即したものでした。その中で、住まいそれ自体についても、その安全性についても*43何一つ恐れることなく暮らすことが、彼らの喜びでした。しかし現代では、家がわれわれの恐怖心の大半を占めています。

 44. しかし、かつての時代の人々の生活がどれほど優れた、純粋なものであったとしても、彼らは賢者ではありませんでした。この称号は、最高の功績を成し遂げた者に与えられるからです。とはいえ僕は、彼らが崇高な心の持ち主であり、言うなれば、神々から離れてすぐの人たちであることを、否定しようとは思いません。使い果たされる以前の世界がより優れた人達を生んだことは、疑いようもない事実ですから。しかし、彼らのすべてが、われわれよりももっと力強く、もっと労働に適していたとしても、だからといって最高の精神を持っていた訳ではありません。なぜなら自然は、美徳を授けはしませんから。善き人になることは、一つの技能です。45. たしかに彼ら*44は、地の最下層の砂礫の中で金や銀や透明の石を探し求めることはありませんでしたし、もの言えぬ動物に対しても、いまだ慈悲深かったのです。怒りや恐怖のためではなく、ただ見せものにするためだけに人を殺すという習慣からも、遠く離れた時代でした!彼らの衣服はいまだ刺繍はなく、金の糸が織り込まれることもなく、金そのもののいまだ採掘されてはいませんでした。

 46. それでは、結論はどうなのでしょう?当時の人々が純粋であったのは、物事に無知であったためです。そして、罪を犯すことを望まないか、罪を犯すことを知らないかの間には、大きな違いがあります。彼らは正義を知らず、思慮深さも知らず、自制心や勇敢さも知りませんでした。これら全ての美徳と似たものが、彼らの未開な生活にありはしましたが。美徳が魂に備わるのは、心が鍛えられ、教化され、不断の努力によって完璧へと向かう限りにおいてです。われわれは美徳を獲得するために生まれてきたのであり、あらかじめ所有して生まれたのではありません。そして、最も優れた人々においてすら、指導によって導かれるより以前には、美徳の素材はあっても、美徳それ自体はないのです。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 90 - Wikisource, the free online library

・解説

 技術は賢者が考えたのではないという意見には、ハッとさせられるものがある。ルドルフ・シュタイナーは科学技術などはアーリマンによって授けられた知識で、それをキリスト意識(言うなれば美徳、中庸の感覚)によって正しく使うことが重要だと言っている。科学技術を盲信すると唯物論に陥り神々や人間の本質を見失いがちになるので、こうした教訓を忘れないようにしていきたい。そして、後半の昔の人類の純粋性とその精神の進歩性については、ルドルフ・シュタイナーの語るルシファーの話が分かりやすい。人は悪に傾く自由を持つからこそ、善を求める努力に意味があるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:つまり完成された哲学の知識

*2:人は哲学を学んで人生をより善くできる分、神々よりも哲学にいっそう多く恩義があるということ。哲学を自らの努力で学び、限られた人生を永遠の価値のあるものにできるという点において、初めから永遠の生を持つ神々よりも人間は優っていると、セネカはたびたび主張する。

*3:かつてのそのような優れた指導者にとって、自分の望みのままに生きることは、自分のなすべき義務を果たすことと同じだったので、人々の害にはならず、益にしかならなかった、という意味。

*4:前2世紀のギリシャの哲学者で、ストア派に属する。書簡33,書簡78,書簡87,書簡88参照。

*5:ギリシャ神話の、クロノスが神々を支配していた時代。書簡31参照。

*6:退任が最も嘆かれるほど、かつての指導者(賢者)は優れた人物であったということ。

*7:ソロンの他に、クレオブロス、ペリアンドロス、ピッタコス、ビアスタレス、キロンがいた。

*8:前9世紀のスパルタの立法家。ソロン達は前6世紀。

*9:前7世紀のギリシャの立法家。

*10:前6世紀のギリシャの立法家。

*11:ピタゴラス教団に入るには5年の間沈黙することが義務づけられらので、文字どおり「静寂」でもある。

*12:海に出る必要がないので。

*13:金庫に鍵をかけるので。

*14:ウェルギリウス「農耕詩」1.144

*15:昔の人々

*16:重荷の震動で。

*17:ウェルギリウス「農耕詩」1.139

*18:樽の中のディオゲネスキュニコス派ギリシャの哲学者。

*19:ギリシャ神話の登場人物で、ギリシャ彫刻の伝説的な始祖とされている。鋸などの様々な大工道具や、船の帆柱を発明したと言われている。

*20:アフリカ北海岸にある流砂海域。

*21:いわゆる竪穴式住居か。

*22:建築や漆喰塗りのような

*23:つまり肉体の価値は低かったということ。スピリチュアルな言い方をするならば、霊主肉従。

*24:オウィディウス「変身物語」6.55~57

*25:賢者は機織り機を発明したというのなら、現代の透ける羞恥心のかけらもない衣服も、賢者によって発明されたと言うのか?とセネカはポセイドーニウスに問いたいのだろう。

*26:透けているので。

*27:速記法に用いられた符丁。

*28:英知

*29:諸々の技術

*30:前600年頃のスキタイの王族であり哲人。アテナイでソロンと交流があった。火口やいかりや陶芸のろくろを発明したと言われている。

*31:イーリアス」600.18

*32:前460~370年頃のギリシャの哲学者。当時唱えた原子論が奇抜であったため、人々に変人と思われた。その狂気を治療するためにヒポクラテスが招かれたという逸話もある。書簡7,書簡79参照。

*33:実際アーチ構造は、紀元前3000年頃のバビロニアやエジプトの時代には既に存在していた。

*34:ここでいうエメラルドは、緑色の石全般。ある種の水晶には加熱されることで、緑色になるものがあった。アメジストの中には加熱されることで緑色になるもののある。

*35:デモクリトス

*36:愚かな人間であっても、賢者より上手に扱える諸技術は沢山ある、ということ。

*37:エピクロス派は、市民生活から退き、神々は人間のことには関りを持たないとした。

*38:誰かがもし神様に人類とその生活法律を作れと言われたら、間違いなくこの時代のと同じものにするだろう、という意味。

*39:ウェルギリウス「農耕詩」1.125~128

*40:野心や不正の思うままに

*41:細かい、どうでもいい不安という意味。

*42:実際は天体は素早く動いているので。

*43:つまり家の中で何かに怯えたり、高く作られたために家が崩れたりするのではないかと恐怖すること。

*44:かつての穢れなき人類