徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡104 健康への配慮と心の平静について

 1. 僕はノメントゥム*1の別荘に逃れたのですが、それはなぜだと思いますか?都会から逃れるためでしょうか?いいえ、熱病、それも確実に忍び寄ってくる熱病から逃れるためでした。それは既に僕を捉えていました。医者は僕に、脈拍が乱れて不規則になり、自然の調子を狂わせて、病気が進行していると言い続けました。ですから僕はすぐに馬車を用意するよう命じ、妻のパウリナ*2に引き止められても、出発すると言い張りました。というのも、僕の長兄ガッリオー*3が、アカイア州で熱を出した時に、これは体の病気ではなく場所の病気だと言って、すぐに船に乗り込んだことを思い出したからです。2. このことを、いつも健康に気を付けるよう僕に言ってくれる妻パウリナに話しました。彼女は僕の命を自分の命以上に大切に思ってくれているので、彼女のために僕も、自分自身を大事にしようと思い始めていました。そして、老年のお陰で僕は多くのことを甘受する勇気を持てていましたが、老年のこの恩恵を失いつつありました。というのも、僕の心に浮かんだのは、この老人の中にも青年がいて、それは大切にされるべきだ、ということでしたから。ですから僕は、より勇敢に僕を愛するよう彼女を説得することはできず、むしろより自分を大切にするよう彼女に説得された次第です*43. こうした感情は、大切に享受するべきです。時には、たとえ深刻な理由がある時でも、それが大きな苦痛を伴うものであっても、大切に思う人たちのためなら、われわれは命の息吹きを引き戻し、口元に留めておかねばなりません。なぜなら、善き人は自分が望む限りではなく、生きねばならない限りにおいて生きるからです。妻や友人を大切にするために長生きしよう、とは思わない人や、死に固執する人は、身勝手なのです。

 魂は、親しい人達に必要とされるに応じて、次のことを自らに命じるべきです。つまり、魂は死を望んでいる時のみならずそれが始まった時ですら、それを止めて、近しく大切な人々のために役立たねばなりません。4. 他者のために生に引き返すことは、高邁な精神の証であり、偉大な人々がしばしば行ってきたことです。しかし、次のこともまた、最高の優しさの証であると僕は信じます。すなわち、老後の最も大きな特典は自分自身に対してより無頓着になり、より勇敢に人生を送れることあるにもかかわらず、それが自分の大切な人にとって喜ばしく、有益で、望ましいことであるならば、老後の自分をより注意深く見守ることです。5. またこのこと自体が、たいへん喜ばしく有益なことでもあります。なぜなら、妻に大切に思われて、そのためにより一層自分を大切にすること以上に、嬉しいことがあるでしょうか?ですから妻のパウリナは彼女の僕に対する心配だけでなく、僕の僕自身に対する心配をも、(僕に)負い目を感じさせることができるのです。

 6. それで、僕の旅行計画はどうなったのかとお尋ねですか?都会の重苦しい雰囲気や、それが使われている時には有害な汚い煙を吐き出す、食堂のひどい悪臭から離れるやいなや、僕は自分の健康が回復してきたのが分かりました。それから僕のブドウ畑に到着して、どれほど元気になったことでしょう!言うなれば牧草地に解き放たれて、(牛のように)食事にありついたのです!こうして僕は自分を取り戻し、ひどい体の疲れも、頭の鈍重さも、もはや感じなくりました。そして僕は全力で、勉学に取り組み始めました。

 7. しかし、勉学のためには場所は殆ど関係なく、繁忙の中にあっても、精神が自らを支配し、自らの意志で自分自身に引き籠もることができるようでなければなりません*5。絶えず場所を選り好みし、気晴らしを探し回るような人は、どこにでも悩みの種を見出すでしょう。ソクラテスは、自分は旅から何も利益を得られなかったと不満をこぼした人に、次のように言いました。「それは当然だ!君は君自身と一緒に旅をしたのだから!*68. ああ、自分自身から離れることができる人々は、どれほど幸福なことでしょう!ところが実際は、彼らは自分自身を苛立たせ、不安にし、落ち込ませ、恐れさせます。海を渡り、都市から都市へと移ることが、何の役に立ちましょう?君を悩ますものから逃れたいなら、場所ではなく、心を変えることが必要です。例えば君がアネナイやロドス島、あるいは他のどこでも好きな場所に行ったとしましょう。その国がどんな性質かに何の意味がありましょう?君は君自身の性質を携えていくのですから。

 9. 君は富を善きものと考えます。すると君は貧しさに苦しみ、また最も惨めなことに、貧しさの想像によって苦しみます。なぜなら、たとえ君が多くの金銭を持っていたとしても、隣人がそれよりさらに裕福であれば、君はその人に及ばないだけ自分は貧しいと思い込むからです。君は顕職を善きものと考えます。すると君は誰かが執政官に任命されたり、再任したりすることに苦痛を感じるでしょう。執政官記録でその名を幾度も目にするたびに、嫉妬を抱くでしょう。君の野心はあまりに狂気的で、自分の前に誰かがいたら、自分の後には誰もいないと考えるほどです。10. そして、死を最悪の災いと考えますが、その到来に先立つもの、すなわち死の恐怖以外には、死には何も災いはありません。君は危険を大変恐れますが、実際の危険のみならず、想像上の危険にまでも怯えて正気を失い、幻の海を永久に彷徨うことでしょう。何の益がありましょう、

アルゴスの町々を通り抜けて、

敵の攻撃の真っ只中を逃走することが*7

平和そのものが、さらなる不安をもたらすのですから。たとえ安全な環境であっても、ひとたび心に動揺をきたしてしまうと、安全を信じることができなくなります。盲目的に恐れおののく習慣が身に付くと、心はそれ自身の安定すら保てなくなります。危険を避ようとするのではなく、逃亡しようとするのですから。しかし、背を向けるとそれだけいっそう、われわれは危険に晒されます。

 11. 君は、愛する人を失うことは最も悲しむべき不幸だと考えるでしょう。しかしこれは、君の目を楽しませた、家を飾る木々が葉を落とすのを悲しむのと同じくらい愚かなことです。君を喜ばせるものは全て、木々のように思い、それが青々と茂っている間に、目一杯楽しんで下さい。植物は各々季節ごとに、枯れていくものですから。しかし、葉は新たに生じるので、それを失うのは大したことではありません。それは君が愛し、人生の喜びと思ってる人々についても同じです。新たに生まれはしませんが、新たに作ることはできます。12. 「しかし、新たな友人は(亡くなった者とは)別人です。」いいえ、君自身すら、同じままではありません。毎日毎時が、君を変化させます。もっとも、他の人であれば、流れる時がその人を強奪するのが容易に分かりますが、自分自身のことに関しては、強奪は公然と行われず、変化はひっそりと進みます。他の人は視界から連れ去られますが、われわれは少しずつ、自分自身から離されます。君はこうしたことを何も考えず、この損傷を治療しようとも思わないでしょう。君は自ら希望と絶望を交互に繰り返し、不安の種を撒くでしょう。君が賢明であるなら、この二つを混ぜ合わせて下さい。絶望なしに希望してはいけませんし、希望なしに絶望してもいけません。

 13. 旅行それ自体が、人にどんな利益をもたらすことができましょう?快楽を抑えることも、欲望を制することも、不機嫌を躾けることも、熱情の激しい襲撃に打ち勝つこともできず、魂から悪徳を取り除くことはできません。旅行はわれわれに判断力を与えてはくれず、間違いを振り払ってもくれません。それは、子供が何か見慣れないものを眺めるように、その目新しさで束の間われわれの気を引くに過ぎません。14. さらに、心がひどく病的な状態にあって不安定であれば、旅行はいっそうわれわれを苦しめます。動きまわることそれ自体が精神を落ちつかなくさせ、神経質にさせます。それゆえ、われわれは降り立つとすぐに飛び去る鳥のように、情熱的に求めていた土地を、よりいっそう情熱的に去るのです。15. 旅行が与えるのは、様々な地域についての知識です。奇妙な形の山々や、人の訪れない平原や、絶え間なく湧き出る水が潤す渓谷を見せてくれます。またわれわれの目に映る河川の特徴を。たとえばナイル河がどのように増水するか、あるいはティグリス河がどのように途切れ、隠された地下の経路を流れて、勢い衰えず再び流れ出るかを、観察することができます。あるいは多くの詩人が幾度も好んで題材にしたマエアンデル河*8が、どのように頻繁に蛇行を繰り返しながら、自らの流路に近付きつつも、交わることなく流れ続けるかを。しかし、こうしたことに関する知識は、われわれを善くすることも、健壮にすることもありません*9

 16. われわれはむしろ学問研究に時間を費やし、英知の先達たちに心を傾け、すでに探究されてはいても、まだその途上であることを精査しなければなりません。これにより魂は最も惨めな奴隷状態から解放され、自由を掴み取ることができるのです。じっさい、何が避けるべきもので何が求めるべきものであるか、何が必要で何が不要であるか、何が正義で何が不正であるか、こうしたことを君が知らない限り、君は旅をしているのではなく、ただ彷徨っているだけです。17. そのように忙しなくあちこち行くことは、何の益にもなりません。なぜなら、君は君の感情と共に旅をしており、君の欠点が付いてくるからです。いえ、付いてくるだけならどれほどよかったでしょう!そうであれば、欠点を遠ざけることもできたでしょう。ところが今や、君はそれらを引き連れるどころか、自ら運び回っています。ですからそれは君に四方八方から迫り、絶えず君を痛めつけ、苦しめます。病人が探し求めなければならないのは、薬であって風景ではありません。18. 誰かが脚を骨折したり、関節を脱臼したとしましょう。その人は馬車や船で他の土地へ行くのではなく、医師を呼んで、骨折した脚を固定したり、関節を元の位置に戻してもらおうとするでしょう。それではどうでしょう?あちこち壊れたり歪んだりした魂を、場所を変えることで治療することができると思いますか?その病状は、旅で癒すにはあまりに根深いものです。19. 旅行をしても、医師にも雄弁家にもなれません。ただどこかの土地に行くだけで、学芸が身に付くことはありません。

 それでは、真理はどこで得られるでしょう?君は、あらゆる学芸の中で最も偉大なものである哲学が、旅の中で得られると思いますか?断言しますが、どれだけ旅をしても、欲望の範囲の外にも、怒りの範囲の外にも、恐怖の範囲の外にも自分を到達させることはできません。もしできるのであれば、人類はとうの昔に皆そこに辿り着いていたことでしょう。こうした悪癖は、君がその原因を抱え回る限り、海を陸をさまよう君にのしかかり、どこまでも君を苦しめるでしょう。20. これらから逃げようとすることは、無意味だと思いませんか?君が逃げようとしているものは、君の中にあるのです。ですから君は自分自身を改善して、重荷を降ろして、望ましくない欲望を適切な範囲に留めねばなりません。君の魂からあらゆる罪悪を取り払って下さい。旅を楽しみたいのであれば、健全な魂を連れて下さい。共連れが貪欲や卑劣さであれば、それらはどこまでも君にしがみつくでしょう。そして、君が高慢な人格を連れてまわる限り、高慢さは君にぴったりとくっつくことでしょう。死刑執行人と共に暮らせば、君は決して残酷さを取り除くことはできません。好色な連中と付き合えば、君は情欲を煽り立てられます。21. もし君が自己の欠点を取り除きたいのであれば、そうした悪徳を引き離して下さい。守銭奴、誘惑者、残虐者、詐欺師といった、近くにいるだけで害を及ぼす人は、君自身の中にいるのです。

 ですから、より善き人々と付き合って下さい。大小のカトーやラエリウス、トゥベロと共に生きて下さい。あるいは、もしギリシャ人との付き合いをお望みなら、ソクラテスやゼノンと共に過ごして下さい。前者は必要とあらば死ぬことを教え、後者は必要となる前に死ぬことを教えます*1022. クリュシッポスやポセイドーニウスとも共に生きて下さい。彼らは君に、人間についてと神々についての知識を授けてくれるでしょう。彼らが君に教えてくれるのは、言葉を巧みにいじくり回したり、聞き手を楽しませるような弁舌を操ることではありません。彼らは君に、心を鍛え、脅威へと立ち向かうように努めることを命じるでしょう。この荒れ狂う人生の嵐を逃れる唯一の安全な港は、将来を軽蔑することです。毅然と構え、怖気たり背を向けたりせず、運命の一矢を胸で受け止める覚悟をすることです。23. 自然はわれわれに逞しさを授けてくれました。そして、ある動物には獰猛な性質を、ある動物には狡猾な性質を、ある動物には臆病な性質を与え、われわれ人間には偉大で高邁な精神を与えてくれました。この精神は、宇宙の魂にたいへん似たもので、最も大きな安全ではなく、最も大きな栄光を希求します。われわれ死すべき人間は歩みが許される限り、この魂に従い、これを見習います。こうした精神は賞賛され尊敬を受けることを信じて、前へと進みます。24. それはあらゆるものを超越しており、あらゆるものを支配します。したがって、何事にも屈服してはならず、何事も重荷としてはならず、打ち負かされるほどの苦痛としてはなりません。

見るも恐ろしい姿形、労苦、そして、死*11

ですらも、怯むことなくそれらを見つめ、影を貫くことができたならば、何も恐ろしいことはありません。夜に恐れられるものの多くは、昼間に見れば笑い草です。「見るも恐ろしい姿形、労苦、そして、死」われらがウェルギリウスは、これらの恐ろしい姿形は現実のものではなく、ただ「見るも」恐ろしいに過ぎない、つまり、そう思われるだけで、本当はそうではないと、見事に詠んでいます。25. 僕は申しますが、これらの恐ろしい光景の中に、噂に言われるほどに(実際に)恐ろしいものがあるでしょうか?ああ、ルキリウス君、どうして人は労苦を恐れ、死を恐れるのでしょうか?僕の心に浮かぶのは、自分ができないことは何でも不可能だと考え、われわれ(ストア派)の言うことは、人間の本性が行うには大きすぎると主張する大勢の人たちです。26. しかし僕は彼らのことをどれほど高く評価していることでしょう!彼らは本当はそのように行えるのに、それを拒否しているだけです。これを試みた人が、失敗したことがあったのでしょうか?これを行った人が、容易ではないと思ったことがあったのでしょうか?われわれは困難だから行わないのではなく、われわれが行わないから困難なのです。

 27. しかし、もし君が実例をお望みであれば、ソクラテスを見てみて下さい。彼は忍耐強い老人で、あらゆる苦難の渦中に放り込まれても、貧困(家庭内の面倒がさらに大きな負担でしたが)にも、兵役のたいへんな仕事も含む、労苦にも打ち負かされることはありませんでした。彼は家庭においても多くの厄介事を抱え、妻にしたら粗暴で口うるさく、息子たちにしたら父親よりも母親似で手に負えなかったのです。そして実生活において、ソクラテスは戦時下で、あるいは僭主政治の下で、あるいは戦争や僭主よりもはるかに残酷な民主政治の下で生きたのです*1228. 戦争は二十七年続き、その後アテナイは三十人の僭主によって蹂躙され、その大半はソクラテスにとっての敵でした。最後に、最も重い罪状をもって死刑を宣告されました。すなわち、彼が神々の教えを冒涜し、若者たちを堕落させたとして糾弾されたのです。彼が扇動して青年たちを神々に、父親に、国家に反抗するよう仕向けたと言うのです。その後には、牢獄と毒杯がありました。しかし、これらのこと全ては*13ソクラテスの魂を少しも変えることはなく、顔付きすら変えることができませんでした。何と誉れ高く、類まれな魂でしょうか!彼は最後までこの態度を保っており、ソクラテスがいっそう陽気になったり、ひどく落ち込んだりするのを見た者は誰もいませんでした。運命のあらゆる変化の中にあって、彼自身は変化することがありませんでした。

 29. 別の実例をお望みですか?マルクス・カトーをごらんなさい。運命は彼をより敵対的に、より執拗に取り扱いました。しかし彼は、あらゆる状況で運命に耐え、最後の瞬間、つまり死の瞬間にも、勇敢な人物は運命を越えて生きることも、運命を越えて死ぬこともできることを、身をもって示しました*14。彼は生涯を内戦の中で、あるいは内戦が起きる前の政治体制の中で過ごしました。そして君は彼も、ソクラテスと同じように、隷属の真っ只中にあって自由への忠誠を誓った人物だと言うことができるでしょう。もっともグエナウス・ポンペイウスカエサルクラッススを自由の同盟者だなどと言うなら、話は別ですが!30. 国家体制がどれほど変わっても、カトーが変わるのを見たという人はいません。彼はどんな状況でも、法務官職に就いていた時でも、落選した時でも、告発を受けた時でも、属州にある時でも、民衆の前にある時でも、軍隊の中にある時でも、死の時でも、自分を変えることはありませんでした。その上、共和制が混乱の危機に陥り、一方ではカエサルが自ら率いる歴戦の十個軍団と外国諸民族からなる多数の援軍を擁し、一方ではグエナウス・ポンペイウスが、向かってくる者全てを打ち負かせるほどの力を擁していました。そして人々がカエサルポンペイウスのいずれかに傾いていた時、だた一人カトーだけが、共和制に従う党派を作り上げたのです。31. もし君がこの時代の国家の様子を心に思い描くことを望むなら、一方には革命を熱望する平民と大衆が、一方には元老院議員や騎士階級という、国家の栄えある選任者が見られるでしょう*15。そして、これら二つの中間に、共和国とカトーがあります。僕は申します。君は目にしたら驚くでしょう、

アトレウスの子とプリアモス、その両者に激怒したアキレスを*16

彼はアキレスと同じように、どちらの党派も認めず、武器を置かせようとしたのです。32. そしてカトーが両派に投じた見解は次のものです。「もしカエサルが勝てば、私は死のう。もしポンペイウスが勝てば、私は追放を受け入れよう。」敗北しようと勝利しようと、最も怒れる敵に課されるであろうことを既に自分自身に決意している者が、何を恐れることがありましょう?ですから彼は、自ら決断して死んだのです。

 33. 君は人が労苦に耐えられることを目にします。カトーはアフリカの砂漠の中、徒歩で軍隊を率いました。君は人が喉の渇きに耐えられることを目にします。彼は敗れた軍の生き残りを引き連れて、食料も尽きて、水も不足する中それに耐え、重い鎧を着ながら、太陽の照りつける丘陵地帯を進みました。たまたま水が見つかった時、彼はいつもいちばん最後に飲みました。君は名誉も不名誉も軽蔑できることを目にします。カトーは選挙で敗北したまさにその日、球遊びを楽しんでいたと言われています。君は人が自分より高い地位の人々への恐怖からも自由でいられるのを目にします。カエサルポンペイウスの、どちらかに従うことなしには、一方に反抗することは誰もできなかった時に、彼は両者に同時に挑みかかったのです。君は死も追放も、軽蔑できることを目にします。彼は自らに追放を、最後には死を課し、その間もずっと戦い続けたのです。

 34. ですから、もしわれわれが頸木から首を外そうとさえ思うなら、これらの脅威に対して、これほどの強い心を保つことができるのです。しかし、何よりもまず第一に、われわれは快楽を退けねばなりません。快楽はわれわれを柔弱に、女々しい存在にします。快楽はわれわれに多くを求めますが、それによりわれわれは運命によりいっそう多くを求めねばならなくなります。そして第二に、富を退けなばなりません。富は隷属の証です。金や銀や、その他の裕福な家の飾りとなる品々は捨て去らねばなりません。自由はただでは得られません。もし君が自由を高く評価したいのならば、他の全てを低く評価せねばなりません。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 104 - Wikisource, the free online library

・解説

 旅をしても心の役には立たないと言いつつ、結局旅をしているところはセネカらしい。そこから心の平静についての話が続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:ローマの北東25kmほどにある町で、現在のメンタナ。

*2:セネカの二人目の妻。セネカの自害の際にも、一緒に死のうとしたが、これ以上評判が下がることを恐れたネロにより引き留められた。

*3:セネカの兄。養子に出る前の名前はノウァートゥスで、セネカが「怒りについて」で宛てた名前はこの名。ガッリオー名義宛てには、「幸福な人生について」を書いている。52~53年にはアカイア州の総督と務めた。また、「使徒行伝」18章12-17に登場するガリオンが、ガッリオーと同一人物とされている。

*4:ややこしいが、ここでの「勇敢に愛する」とは、セネカのこの書簡での旅を見送ることではなく、自殺を見守るという意味。

*5:場所は関係ないと言いつつ場所を変えるのは、書簡56にも見られるセネカのユーモア的な表現。

*6:書簡28にも、同様の言及が見られる。

*7:「アエネイアス」3.282~283

*8:小アジアプリュギア(現トルコ中西部)から始まり、エーゲ海に注ぐ。

*9:こう言いつつセネカは、「自然研究」の4巻でナイル河やティグリス河の流れについて述べている。

*10:ゼノンはストア派なので

*11:「アエネイアス」6.277

*12:戦争は前431~404年のペロポネソス戦争、僭主政治はアテナイにおける前404~403年の三十人政権。残酷な民主政治は、自由を取り戻した民主政治が前399年にソクラテスを死刑にしたことから。

*13:貧困、兵役、家庭、戦争、僭主政治、残酷な民主政治、牢獄、毒杯

*14:ここでの「運命を越えて生きる」は偉大な行いによって、人々の記憶の中で永遠に生き続ける、といった意味か。

*15:カエサルは平民派のマリウスの意志を継ぎ、ポンペイウス閥族派(保守派)のスッラの意志を継いだ。

*16:「アエネイアス」1.458。アトレウスの子はアガメムノンギリシャアガメムノンと、トロイアプリアモスの両方にアキレスが激怒しているということ。