1. 君の行動と手紙から、君がどれだけ君自身を追い越したか―—普通の人はずっと以前に追い越してきましたが―—を理解するたびに、僕は心が躍り、嬉しさのあまり飛び跳ね、自分の年齢を追い払って、再び胸が熱くなるのを感じます。農夫は自分が植えた木が成長して実を結ぶことを喜び、羊飼いは群れの数が増えることを喜び、どんな人物も弟子に自分の青年時代を重ねて見守ります。そうであれば、自分が精神を鍛え、若き心を形作った弟子が、突然大きく成長したのを見たら、どんな気持ちになると思いますか?
2. 君は僕のものであり、君は僕の作品です。僕が君の才能を見出した時、手をかけ、君を激励し、尻を叩き、だらだら行進することを許さず、いつも君を奮い立たせました。そして僕は、今も同じようにしていますが、僕はすでに疾走している人を応援し、またそれが僕自身への応援にもなります。
3. 「それで、あなたは私にさらに何を求めるのですか?」君は言われる。「意志はまだ私のものです。」ええ、この場合においては意志がほとんど全てであり、「仕事は始めれば半分終わっている*1」ということわざのように、半分だけではなく、それ以上です。というのも、われわれが語り合っている問題は、魂によって決断されますから。つまりは、善い心の大部分は、善くありたいという意志です。善い人物とはどんな意味か分かりますか?完成され、満ち足りた人物です―—制約や必要を逃れた人が、悪くなることはあり得ません*2。4. 僕は君の中にそうした人物を見出します。君が辛抱強く進歩し、着実に責務に取り組み、すべての言葉と行動を調和させ、互いに合致させ、同じ鋳型にかたどられるようにさえするのであれば。ある人の行いが調和を欠いているなら、その人の心は歪んでいます。お元気で。
・英語原文
Moral letters to Lucilius/Letter 34 - Wikisource, the free online library
・解説
ルキリウスの進歩を喜ぶセネカ。