徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡107 宇宙の意志に従うことについて

 1. 君のいつもの賢明さはどこに行ったのでしょう?物事を見極める鋭敏さはどこに?魂の偉大さはどこに?そんな些細なことに苦しめられたのですか?奴隷たちは、君が用務で忙しくしている時が、逃亡の好機だと思ったのです。さて、もし君の友人たちが君を欺いたのであれば(そのような連中には、われわれが誤ってつけた〔友人という〕名前を与え、そう呼んで下さい。それに相応しくないことで恥をかくのは、彼ら自身なのですから)、君の諸事情から、何か或るものが失われていたことでしょう。しかし実際のところ、君が失ったのは君の労力を擦り減らしたり、君を自分たちにとって厄介な主人と考える連中です。2. こうしたことは予期せぬことでも、珍しいことでもありません。公共の場*1で水をかけられたり、泥をつけられたりするのに文句を言うのと同じくらい、こうした出来事に腹を立てるのは愚かなことです。人生で起こり得ることは、浴場や雑踏、あるいは旅路で起こり得ることと同じです。何かが君に投げつけられたり、何かに突然襲われたりします。生きることは甘美な道楽ではありません。君はすでに長い旅路を踏み出しています。足を滑らせたり、何かにぶつかったり、躓いたり、疲れ果てたり、あるいは「ああ、死にたい!」と心にもないことを叫んだりすることがあるでしょう。ある時は仲間と離れたり、ある時は誰かを埋葬したり、またある時は恐怖心に駆られるでしょう。このような障害の中にあって、君はこの険しい旅路を歩み続けなければなりません。

 3. 死を望むのでしょうか?われわれはあらゆる事態に対して、心を備えておくべきです。自分がやって来たのは雷鳴が轟く山頂であることを、知らねばなりません。また、

悲しみと、復讐の憂いが居を構え、

青ざめた病魔とわびしい老年が住み着いている*2

場所へやってきたことを、知らねばなりません。そのような存在と共に、人生を過ごさねばなりません。君はそれらを逃れることはできませんが、軽蔑することはできます。4. そして、君がしばしば熟慮して将来を予期するならば、軽蔑できるようになります。ずっと前から到来に備えていた出来事には、誰でも勇敢に立ち向かうことができますし、危機への対処を事前に訓練していれば、困難にも耐えることができます。しかし反対に、備えが出来ていない人は、ほんの些細なことでも気が動転します。われわれは、予期せぬことなど何もないよう、心がけねばなりません。そして何であれ、慣れない出来事ほど深刻になりますから、絶えず熟慮して、どんな災いにも、未熟なまま立ち向かわないで済む力を持ちましょう。

 5. 「奴隷たちが私のもとから去ったのです!」ええ、それどころか、(奴隷たちに)略奪されたり、脅迫されたり、殺害されたり、裏切られたり、踏みつけられたり、毒物を盛られたり中傷を受けたりした人もあります。君がどんな災難を口にしようと、それは多くの人に起こったことなのです。また、われわれに投げつけられる武器には、様々な種類があります。あるものはすでにわれわれに突き刺さり、あるものは今まさに空気を震わせながら襲いかかり、またあるものは他人に向けられたものだったのに、われわれをかすめて通ります。6. われわれは、自分が生まれついたこの世界のどんな状況にも驚かないようにしましょう。そしてそれについて、誰も嘆いてはなりません。それは全ての人に、平等に定められているのですから。そうです、平等に定められている、と僕は言いました。なぜなら人はたまたま避けることが出来たことでも、被る可能性があったのですから。そして、法の平等性とは、万人が実際に経験したことにではなく、経験し得ることにあります。こうした意味での平等性を、心に刻みつけておいて下さい。われわれは不平を言うことなく、死すべき人間として定められた税金を支払わねばなりません。

 7. 冬は寒い気候をもたらし、われわれはそれに震えねばなりません。夏は暑さを伴って再来し、われわれは汗だくにならねばなりません。季節外れの天候は健康を害し、われわれは病気にならねばなりません。われわれはどこかで野獣や、野獣よりも凶暴な人間に出くわすかも知れません。洪水や火事が、われわれから財産を奪います。そしてわれわれは、こうした出来事が定められた秩序を変えることはできません。しかしわれわれは、善き人間に相応しいたくましい心を勝ち得ることはできます。それにより、われわれは運命に耐え、自然と調和することができるのです。8. そして自然は、君が見ているこの王国を、さざざまな季節変化により統御しています。曇天の後には晴天が続き、凪の後には嵐が来ます。風は様々に向きを変え、昼の次には夜があり、天体の或るものは上昇し、或るものは沈みます。正反対のものが、永久を成り立たせているのです。

 9. われわれの魂は、自らこの法則に適応せねばなりません。これに着いて行き、これに従うべきです。何が起ころうと、それは起こるべくして起こったと考え、自然を非難したりしないようにしましょう。最も善いのは、自分の権能の及ばないことは耐え忍び、万物の営みの規範である神に、不平を言うことなく従うことです。文句を言いながら指揮官に従うのは、悪い兵士ですから。10. それゆえわれわれは元気と活力をもって、その命令を進んで受け入れるべきです。われわれの将来のあらゆる苦難も織り込まれている、この最も美しい宇宙の自然の流れに、逆らうことなく従いましょう。

 われらが偉大なるクレアンテスが最も雄弁な詩句で述べたように、この宇宙全体の指導者であるユピテル神に呼びかけましょう。この詩句を、雄弁なキケロの例に倣って、僕もわれわれのラテン語で訳したいと思います。もしもこの訳が君のお気に召したら、それを享受して下さい。もしそうでなければ、僕はキケロの先例に従っただけだと理解して下さい。

11. おお、父にしていと高き天空の支配者であられる神よ、

いずこなりともあなたのお望みのところへ、私をお導き下さい。

私は逡巡することなく、直ちに従います。

そして、私の望みでなくとも、苦しみながらでも従い、

善き人であれば許可されたことを、悪しき者として行いましょう*3

運命は、意志ある魂を導き、意志なき魂を引きずるのです*4

 12. このように生き、このように語りましょう。常に運命に対し備え、警戒をしておきましょう。ここに、偉大な魂が、運命に身を委ねた人の魂があります。これとは反対に、あの軟弱で堕落した人の魂は、暴れ回って宇宙の秩序に反抗し、自分よりも神々を変えることを望むのです。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 107 - Wikisource, the free online library

・解説

 ストア派らしい、運命を受け入れるべきであるという教え。とはいえもしルキリウスが架空の人物なら、奴隷に逃げられたのはセネカ自身で、必死で強がって書いた文章なのかも知れない。セネカは何だかんだ怒りっぽそうである。

 

 

 

 

*1:広場や浴場やトイレ

*2:「アエネイアス」6.274~275

*3:善き人であれば、どんな出来事でも苦しむことなく自ら進んで受け入れるので、まだ未熟な悪しき者である自分は、苦しみながら受け入れます、という意味。

*4:「初期ストア派断片集」1.537におけるクレアンテスのゼウス賛歌。原文はギリシャ語。なお、セネカが言及したキケロラテン語訳は散逸している。