徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡51 バイアエとモラルについて

 1. 愛するルキリウス君、人は誰でも自分にできる限りのことをすべきです!君はあそこに、シチリアにそびえる最も名高い山であるエトナ山を持っています*1。(もっとも、メッサラ*2あるいはヴァルギウス*3が―—そのどちらもの本で僕は読んだのですが―—どうしてエトナ山を「特有の場所」と呼んだのか僕には分かりません。火を噴き出す土地は他にも沢山あり、そうした現象は標高が高い土地だけに頻繁に発生するのでなく―—おそらく火が高い所にまで上るから頻繁に見られるのでしょうが―—、低地にも見られます*4。)僕自身、できる限りのことをしました。バイアエ*5に泊まらざるを得ませんでしたが、翌日には、もうそこを発ちました。バイアエは避けるべき場所だからです。というのも、確かにそこには自然の恵みが見られますが、贅沢が自然を自らの歓楽街に仕立て上げてしまっているからです。2. 「それでは」君は言われる。「そんな場所も忌避の対象としなければならないのですか?」決してそんなことはありません。とはいえ、知的で高貴な人物には、ある種の服が別の服よりも似合うものですが、これは彼が特定の色を嫌悪しているからではなく、簡素な生活にはそうした色は似合わないと考えるからです。これと同じように、賢明な人や英知に向かって進んでいる人が、道徳に反するものとして、避けるべき場所というものがあります。3. したがって、世間から身を退こうと考えている人は、カノープス*6も(とはいえ、誰もカノープスで質素に暮らすことを妨げられはしませんが)、バイアエも選びません。いずれの土地も悪徳の巣窟になりつつあるからです。カノープスでは贅沢がその極みに達し、バイアエではあたかも土地そのものが放縦を求めているかのように、いっそう乱れています。

 4. われわれが留まる土地は、身体だけでなく心の健康にもよい場所を選ばねばなりません。僕は拷問吏と一緒に暮らしたくないのと同様に、居酒屋で暮らしたくもありません。酔っ払って浜辺をフラフラする人、舟遊びの騒々しい歓喜、合唱の声がうるさい湖、その他のあらゆる、言うなれば贅沢が法律の束縛から解放され、単に罪を働くのみならず悪徳を世に見せつけてくるようなもの―—どうして僕がこれらの目撃者にならないといけないのでしょう?5. われわれは悪徳をかき立てるものからできる限り離れるよう気をつけねばなりません。われわれは心を強固にして、快楽の誘惑から遠くに離す必要があります。たった一度の越冬*7ハンニバルを緩ませました。カンパーニアでの彼の放蕩は、アルプスの雪にも負けなかった英雄をも、腑抜けにしたのです。彼は武器をもって征服しましたが、悪徳をもって征服されました。6. われわれもまた戦いに赴かねばなりません。それも休息や一時の帰省も許されない類の戦いです。第一に克服すべきものは快楽ですが、ご覧の通り、それはあの猛々しい性質をも奪い去りました。自分に託された仕事がいかに大きなものであるかひとたび理解した人であれば、惰弱で女々しい行いはあってはならないと分かるでしょう。熱い風呂や、体力を消耗するだけの乾いた蒸気*8の籠る蒸し風呂が、僕に何の関係があるでしょう?汗とは労苦の後にのみ流すべきものです。

 7. ハンニバルと同じように、われわれがしたとしましょう。仕事の進行をやめ、戦いを諦め、快楽にわれわれの体を引き渡します。それはまだ勝利への道の途中の者には言うまでもないことですが、既に勝利を収めた者にとっても危険なことだと、誰もがわれわれの早すぎる怠慢を当然非難したでしょう。そして、カルタゴの旗に従う者以上に、これはわれわれには許されません。われわれが退いても、われわれの危険は彼らより大きくなりますし、われわれが進んでも、われわれの労苦は彼らより大きいからです。8. 運命は僕と戦争しており、僕がその軍門に下ることはないでしょう。僕はその虜囚となることを拒みます、いやむしろ、その軛を振り払います―—それはよりいっそうの勇気を必要とします。魂は篭絡されるべきではありません。快楽に身を委ねることは、苦痛に身を委ねること、労苦に身を委ねること、貧困に身を委ねることでもあるのです。野心や怒りも、僕に対して快楽と同じ権利を主張するでしょう。そして僕は、これら全ての相反する激情の中でバラバラにされ、八つ裂きにされるでしょう。9. 僕は自由を目標に据え、その報いのために奮闘します。そして君は、自由とは何かとお尋ねですか?それは、いかなる状況、いかなる束縛、いかなる運命にも屈従しないことです。それは、運命をわれわれと対等な条件に引きずり降ろすことです。そして僕が、自分が運命よりも優勢だと知った日には、運命は僕に無力になるでしょう。僕が死を手中に収めているのに、運命の命令に屈する必要があるでしょうか?

 10. したがって、こうした考えを強く持っている人は、素朴で清らかな土地を選ぶべきです。快適すぎる環境は精神を弱めますし、住む土地が人の活力を損なう一助となり得ることは疑いようもありません。荒れた土地によって蹄が固くなった牛は、どんな道でも歩くことができますが、湿った柔らかい牧草地で飼養された牛の蹄は、すぐにすり減ってしまいます。最も屈強な兵士も、厳しい所に生まれます。都会や町生まれの者はのろまです。鋤を剣に持ち替えた手は、決して労苦を厭いませんが、あの気取った身なりのつやつやした男たちは、わずかな砂埃でたじろぎます。11. 厳しい田舎で鍛えられて育つことは、性格を逞しくし、大きな仕事にふさわしいものにします。スキピオがバイアエではなくリテルヌムで引退の生活を送ったのは誉れ高いことでした。彼の隠居に、あれほど柔弱な土地は似つかわしくないからです。ローマの繁栄によって国家の富を最初にその手に入れた人々、ガイウス・マリウス、グエナウス・ポンペイウスカエサルも、実をいうとバイアエの近郊に別荘を建てましたが、彼らはそれを山のてっぺんに置きました。眼下に遠く広がる土地を高い所から見下ろすのは、より兵士にふさわしいことです。彼らが選択した建物の場所、状況、建て方に注目して下さい。すると、それらが別荘ではなく、砦であることがお分かりになるでしょう。12. 君はカトーが、快楽の都に住んで、舟に乗って通り過ぎる娼婦の数や、多くの種類の色を塗った様々な飾り舟の数や、湖一面に浮かぶ薔薇の数を数えたり、夜の合唱の喧騒に耳を傾ける姿など想像できますか?むしろ彼は自分の手で築いた防塁の中に留まり、一晩中見張っていることを望んだではないでしょうか?戦士は誰でも、夜の合唱ではなく、戦闘ラッパで眠りから覚めることを望むのではないでしょうか?

 13. しかし僕は、バイアエをこれで十分に非難しました。とはいえ、悪徳に対しての糾弾は、決して十分とは言えません。ルキリウス君、君には悪徳には、いつまでも果てしなく立ち向かって欲しいと思います。悪徳の方も、いつまでも果てしなく存在するものですから。悪徳が君の心をつんざく場合は、それを捨て去って下さい。他に捨て去る手段がない場合は、心臓をも抜き取って下さい。とりわけ快楽を、君の前から取り去って下さい。他の何にも増して、快楽を憎んで下さい。それらはエジプト人が「恋人*9」と呼ぶ追い剥ぎのようなもので、わわれれを抱き締め、やがては締め殺します。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 51 - Wikisource, the free online library

・解説

 バイアエのような堕落した歓楽街は悪徳の巣窟であり、近寄らないのが賢明だということ。耳が痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:火山の街であるから、当然温泉街でもある。ルキリウスは統治してる地方に温泉街を持っているが、できる限りのことをして、バイアエのようなそうした悪しき街からは距離をおけ、という意味

*2:前61年の政治家・文筆家

*3:ローマの詩人。ホラティウスの友人

*4:この箇所はおそらく自然研究に関するセネカの自負心があったのだと思われる。

*5:イタリアのカンパーニャ地方の古代都市で、かつての温泉街つまり歓楽街。現代では海底遺跡が見られる

*6:ナイル川の西河口に存在したエジプトの歓楽街。ここも海に沈んだ

*7:前216年かた215年の冬。因みにカンナエの戦いは前216年

*8:恐らく加熱によって湯気から水蒸気になっている、という意味か。蒸気を湯気、乾いた蒸気を水蒸気と考えるなら。

*9:エジプト人は恋人のことを「φηλητήςピレーテース」と呼んだが、ギリシャ語で盗人を意味する「φιλητήςピーレーテース」と似ていることから来る。