徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡8 哲学者の隠棲について

 1. 君はおっしゃるでしょう。「あなたは私に、群衆を避け、人々の間から退き、自分自身の良心に満足するよう命じますが、活発な仕事の最中に死ぬことを命ずるあなたがたの教えは、どこにいったのでしょう?」僕が君に時おり奨めているような道のとおりに、僕は自分自身を世間から締め出し、戸に鍵をかけていますが、それは僕自身を、より多くの人のために役立てようと思ってのことです。僕は一日たりとも、怠惰に過ごすことはありません。夜のひとときも、勉強に充てています。僕が眠るのは、限界まで疲れた時に、必要な分だけです。多少の疲れで目を閉じてしまいそうになっても、全力で抗い、仕事を続けます。2. 僕は人々の間から退いただけでなく、あらゆる事情、とりわけ僕個人の事情からも退いたのです。僕の仕事は後世の人々のためのものです。彼らの役に立つかも知れない何らかの見解を書き留めています。よく効く薬の処方箋に例えられる助言もあります。僕が書き残すそれら言葉の薬はたいへん有益です。というのも、僕自身の出来物を完全に治療するには至りませんでしたが、悪化することは止めてくれたからです。

 3. 僕はさまよい歩き疲れ果てた晩年にようやく見つけた正しい道を、他の人に教えています。僕は彼らに叫びます。「群衆を喜ばせるものは何であっても避けてください!偶然の機会が与えるものは避けてください!偶然がもたらすあらゆるよいものの前で立ち止まり、警戒し、恐れて下さい*1!希望の誘惑に騙されるのは、物言えぬ動物や魚だけです!あなたがたはそれらを、幸運の贈り物だと思いますか?それは罠です*2。そして、安全な人生を送りたいと思うならば、全力でそれら幸運がもたらす恵みを避けなさい。われわれ死すべき人間は、そんなものにも騙される哀れな存在です。われわれが幸運を手にしているのではなく、幸運がわれわれを支配しているのです。4. そうした生き方はわれわれを険しい断崖へと導き、高みに達したと思っても、転落して終わります*3。さらに、栄光の運命が風向きを変えた時も、それに抗うことはできません。また、航路に従って船から降りることさえ、ただの一度もできません。運命はわれわれを転覆させるのではなく、一気に海の底に沈め、岩に打ち付けるのです。5. ですから、健康に必要な限りにおいてにのみ肉体を満足させるべきであるという、健全でためになる人生の規律を守ってください。精神に反抗しないように、肉体はもっと厳しく躾けるべきです。空腹を鎮める程度に食べ、渇きを癒す程度に飲み、寒さをしのぐ程度に衣服を着ましょう。そして住まいは、悪天候から身を守る程度に留めましょう。家が草葺きで建てられいようと、色とりどりの外国産の大理石で建てられていようと同じことです。わら葺きの屋根でも黄金の屋根でも、同じように雨露をしのげることを理解するならば。無益な労力が生み出す装飾品や美意識の関心の的となるものを、全て軽蔑して下さい。そして魂以外は何も驚嘆するに値しないということを、よく覚えておいて下さい。魂にとって、そうしたものは偉大でも何でもないのですから。」

 6. こうした言葉を僕が自分自身や後世の人々に語りかけるなら、僕が誰かの弁護人として法廷に出頭したり、遺言状に印を捺したり、元老院で立候補人を声や手で応援したりするよりも、はるかに良いことをしてると思いませんか?僕を信じて下さい。何もしていないように見える人こそ、真に偉大な仕事をしているのです。彼らは死すべき人間のものと、不滅の神的なものを、同時に扱っているのです。

 7. しかし、そろそろ頃合いなので、いつもの支払いをして、この手紙を終わりにしましょう。それは僕自身の財産から支払われるものではありません。僕はまたエピクロスから拝借します。僕が今日彼の著作で見つけた一文は次のものです。「君は哲学に仕えねばならない。もし君が真に自由でありたいと願うなら。」哲学に従い、身を委ねるものは、時を待つまでもなく、直ちに解放されます。哲学に仕えることそれ自体が、自由だからです。

 8. われわれストア派の格言ではなく、なぜエピクロスの金言をこんなに沢山僕が引用するのかと君は尋ねることでしょう。しかしそれらエピクロスの言葉を、われわれと共有の財産と見做していけない理由があるでしょうか?いかに多くの詩人が、哲学者によって語れた、あるいは語られ得た言葉を吟じていることでしょう。悲劇作家や国民劇の作家についても言うまでもありません。国民劇にさえ厳粛なものがあります。というのも、それは悲劇と喜劇の中間にあるからです。国民劇の中にも、何と多くの賢明な詩句が隠れていることでしょう!いかに多くのプブリリウス*4の言葉が、裸足の役者*5ではなく、上げ底靴の役者*6によって語られねばならないでしょう。9. 哲学と、われわれがさきほど議論していた内容にとりわけ多く関係する、彼の言葉を一つ引用しましょう。その中で彼は、偶然の賜物はわれわれの所有物と見なすべきでないと言っています。

羨望で得たものはみんな、他人のものだ*7

 10. 僕は君がこの言葉を、より分かりやすく簡潔に表現したことを思い出します。

偶然がもたらしたものは、お前のものではない。

 そして最後に、君がより分かりやすくした言葉も、もちろん忘れません。

与えられた幸福は、奪われもする。

 これらの言葉を僕は支払いには勘定しません。なぜなら君自身の財から拝借したものですから。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 8 - Wikisource, the free online library

 

・解説

 訳が非常に難しかった。英語原文やラテン語原文、日本語の3つの訳を参考にしてみると大まかな意味はほぼ間違いなく理解できるのだが、英訳やラテン語原文に忠実に訳そうとすると語順や文法の複雑さで非常に難しい。原文への忠実さと訳の美しさでは、日本語の3つの訳の中では、「道徳書簡集」が一番正確でかつ言葉が美しい。最初に一か所だけ誤訳と思しきところがあるが、全体の完成度で補ってあまりあるので、機会があれば是非とも手に入れて欲しい。

 偶然を軽蔑せよとはセネカストア哲学の中で頻繁に言われてることで、そのような移ろいやすいものに依存した人生を送るな、ということだ。とかく人は、偶然のもたらすものに欺かれやすい。ギャンブルやソシャゲのガチャ、恋愛や人間関係、職場や学校での出来事。そうした偶然に支配されることに過度の幸福を依存することは、奴隷の人生を歩むことだとセネカは言っている。たとえそれが幸福のように見えても。ではどうすればいいのかは、この後の書簡でも頻繁に語られるが、おおむね「自然に従え」「徳に従え」「哲学に従え」という言葉に集約される。本書簡でもあったが、哲学が人にもたらす恩恵を、セネカは頻繁に称えている。この点でも、セネカは最も優れた哲学者なのである。なぜなら、ルドルフ・シュタイナーも次のように言っている。

「尊敬するに値する相手に対しては、それにふさわしい仕方で尊敬するという態度を学んだ人間は、精神を自由に保つすべをもよく心得ているものだ。そして心の奥底から畏敬が沸き起こる場合、常にその畏敬の存在は正当なのである。われわれよりももっと高次の存在があるという深い感情を自分の中に生み出すのでなければ、われわれ自身が高次の存在へ高まる力を内部に見出すことはできないであろう。導師は自分の心を畏敬の深みに誘うことによってのみ、自分の精神を認識の高みへ引き上げる力を獲得することができた。恭順の門を通ることによってのみ、霊の高みへの登攀が可能になる。正しい知識は、それを敬うことを学んだときにのみ、自分のものにすることができる。」いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか26P

 セネカほどストレートに、実直にそして謙虚に哲学を賛美してる哲学者が他にいるだろうか?日本の現代の哲学者は、然るべき仕方で哲学に敬意を払えているだろうか?難解な専門用語をいじくりまわしたり、下らない言葉遊びに終始したり、哲学をファッションか何かと勘違いしたり、ネットのまとめブログのネタかあるいはバラエティの討論番組の材料と思ったり、そのために哲学を売ったりしていないだろうか?哲学は決して非実用的な言葉遊びでもなければ、見せびらかすための装束でもない。それは人の人生に深く入り込み、人が自分と世界をより正しく知ることを助ける、多くの偉大な哲学者と、神からの贈り物なのである。だから、これ以上ないくらいに哲学を褒めたたえるセネカが最も偉大な哲学者であることは、疑いようもないのである。そのことに比べたら、彼がストア派のくせに金持ちだったとか、俗物だったとかいう批判はどうでもいいこことで、的外れもいいころなのである。

*1:「わたしは、運命を信用したことなど、一度もありません。運命が平穏をもたらしてくれたと思われたときですら、そうなのです」母ヘルウィアへの慰め5.4

*2:「運というものは、たとえ幸運であっても、信頼がおけない。幸福でありつづけるためには、さらなる幸運が必要になる。願いが叶っても、また別の願いをしなければならない。なぜなら、偶然から生まれたものはみな不安定であり、高く上れば上るほど転落しやすくなるものだが、だれも転落を喜びなどしないからだ。」人生の短さについて17.4

*3:「また、われわれは、高い地位に就いている人たちを、うらやましいと思わないようにしよう。高くそびえ立っているように見えるのは、じつは断崖なのだから。」心の安定について10.6

*4:プブリリウス・シルス。前1世紀の滑稽劇を得意な国民劇作家

*5:国民劇の役者

*6:悲劇の役者

*7:プブリリウス・シルス断片319