徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡2 読書における散漫について

 1. 君が僕に手紙で書いてくれたことと君の評判から、僕は君の将来にとてもいい希望を持っています。君はあちらへこちらへと走り回らないし、やたらに居場所をかえて気晴らしを求めることもありません。落ち着きのなさは悪しき精神の表れです。よく整えられた心の第一の証は、ひとところにじっと留まり、落ち着いて自分自身と語らうことができることです。2. しかしながら、多くの著者の色んな種類の本を読むことは君を散漫に、不安定にするので気をつけて下さい。自分の中に確固として残る優れた思想を汲み取りたければ、選び抜かれた少数の優れた思想家の内に留まり、その教えをゆっくりかみ砕いて飲み込むことです。どこにでもいる人は、どこにもいないのと一緒です。外国に沢山の旅行をする人は、沢山のもてなしを受けることは出来ますが、友は一人も得られません。一人の思想家と親密になることをせず、慌ただしく駆け足で多くの人を訪ねるような人も、同じことになるでしょう。3. 食べ物を急いで食べるとおいしくないし、栄養が体に吸収されるのを妨げます。薬を頻繁に変えることは病気の治療を妨げます。軟膏の種類を色々変えると傷は治りません。植物は頻繁に植え替えられると強く育ちません。どれほど有益なものでも、通り過ぎながら役立つものはありません。多くの種類の本を読むことも、心の散漫です。

 そんな訳で、君が持つであろう全ての本を読むことなどできないのだから、読めるだけの本を所有するのがよいでしょう。4. 「しかし」と、君はおっしゃる。「私はこの本を少し読んだら次はこの本、というように読みたいのです。」しかしそれは、色んな料理に少しずつ手を伸ばしたいという歪な食欲です。それらは数も種類も多いので、うんざりさせることはあっても、滋養になることはありません。なので、いつも決まった同じ思想家の本を読むようにしましょう。そして、もし他のものを読みたくなったら、前に読んだものに立ち戻りなさい。日々それらから、貧困に、死に、他の多くの不幸に耐えうるものを得るように努めましょう。その日に学んだ多くの考えの中から一つを選び取り、その日のうちに消化しなさい。5. これは僕の習慣ですが、僕は読んだ本の多くの部分のうち一つを、自身に言い聞かせるようにしています。

 今日のその一つはエピクロスの本で発見しました。というのも僕が敵の陣営に移ることはよくあることなのです。もっともそれは、逃亡兵としてではなく、斥候としてなのですが。彼は言います「足るを知る人にとって、貧乏は栄誉ある地位なのである」と。6. 実際、足るを知る人にとって、何ら貧しいことなどありません*1。物を持たない人が貧乏なのではなく、いくら持っても満足しない人を、貧乏というのです。どれほど多くの財産を金庫や蔵に蓄えていようと、どれほど大きく家畜を肥えさせていようと、何の意味があるというのでしょう。もし彼が隣人の財産を羨ましがり、今までに得たものではなく、これから得るものにしか考えが及ばないなら。富を望む適切な限度は何か?と君は尋ねられる。まず、必要なだけ持ち、次に、十分なだけ持つことです。お元気で。

 

英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 2 - Wikisource, the free online library

 

解説

 ショーペンハウアーの「読書について」もいいが、個人的にはセネカの読書論の方が数段優れている。要するに、多読はやめて、熟読を勧めている。「ITスペシャリストが語る芸術」という優れたブログでも、速読の弊害は頻繁に指摘されている。

速読で馬鹿になる理由 : ITスペシャリストが語る芸術

また、このブログでは「ニュートン式読書法」という素晴らしい読書法も紹介されているので、参考にされたい。個人的にも速読は、100害あって1利なしだと思うし、優れた著作の要約された解説本など(youtuberがやってる名著の稚拙な解説も)もあまりお勧めしない。やはり優れた本は隅から隅まで時間をかけて場合によっては何度も読むのがいい読書法だと思う。

 

 

 

 

*1:「じっさい、貧困はなんら悪いものではありません。そんなことは、全てを破壊する強欲と贅沢によって、狂ってしまった人でもない限り、だれにでもわかることです」母ヘルウィアへの慰め10.1