徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡35 同じ心を持つ者の友情について

 1. 僕が君に勉強するよう強く勧めている時、僕は自分の仕事をしているのです。僕は君との間に友情を望んでいますが、それは君が君自身を進歩させるという仕事を始めない限り得られません。僕は今君に親しみを抱いていますが、君はまだ僕の親友ではありません。「しかし」君は答える。「これらの言葉は違う意味なのですか?」ええ、それどころか、全く別の意味です。親友は当然君に親しみを抱きますが、親しみのある人が必ずしも君の親友という訳ではありません。要するに、親友はいつも力になってくれますが、親しいだけの人は時に害を及ぼすことさえあります。他に理由はなくても、正しく親しみを抱く方法を学ぶために、君は君自身を完成させることに努めて下さい。

 2. ですから、他の誰かのために修養したことにならないように、僕の利益のために急いで君自身を完成させて下さい。なるほど僕は、僕たち二人の心が一つになり、僕の力のどの部分が老年に屈したとしても、君の力で―—それほど僕たちの間に年齢の差はありませんが―—僕のもとに戻ってくることを思い描くことで、すでにいくばくかの利益を得ています。しかし僕は、友情の実現それ自体も喜びたいと思っています。3. われわれは、愛する人が遠く離れた所にいても、喜びを感じることはできますが、それは小さくて束の間の喜びです。その人を目にし、その人を前にして、直に交流することは、生きた喜びをもたらします。また、単に会いたいと望む人物ではなく、そのような*1人物に会いたいと望む人物を直に目にすることができる場合は、これはよりいっそうの真実です。ですから、君自身を高価な贈り物として僕に与えて下さい。そして、君がますます努力できるように、君が死すべき人間であり、僕が死の近くにいる*2人間であることを思い出して下さい。4. 急いで僕を見つけて下さい、しかしまずは、君自身を見つけ出して下さい*3。何より一番に、君が君自身と一致するように努めて下さい。そして、何が達成できたかを知りたい時には、昨日望んだことと同じことを、今日望んでいるかどうかを考えて下さい。意志の変化は、心が海に浮かんで、風の向きに従って様々な方向に流されていることの証拠です。しかし、落ち着きを持ち確固としたものは、あれこれ彷徨うことはありません。これは、完成された賢者に可能な運命ですが、ある程度は、成長し、進歩した人にも可能です。ではこの両者の間の違いは何でしょうか?後者は動いてはいるものの、その位置は変わらず、その場で揺れているだけです。一方の前者は、全く動くことはありません。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 35 - Wikisource, the free online library

・解説

 互いに親友になるためにも、ルキリウス自身を完成させて欲しい、という話。

 

 

 

 

 

*1:尊敬できる

*2:ルキリウスより高齢の、という意味

*3:自分自身を完成させて、セネカの親友になってくれ、という意味