徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡43 人からの評判について

 1. 君は誰にも見せず、誰にも知らせていなかったのに、この知らせが僕にどのように届き、また誰が話したのかとお尋ねですか?それは誰もがよく知っているあの、噂話というやつです。「なんと」君は言われる。「私は噂に挙がるほど大した人物ということですか?」ローマでの物差しに沿って自分自身の価値を判断する必要はありません。君が今住んでいる場所*1のみを考えて下さい。2. 何であれ、それが立つ場所で近隣の中でも際立っているものは、偉大なものです。名声とは絶対的なものではなく、相対的に大きくなったり、小さくなったりします。川では大きく見える船が、海では小さく見えます。ある船には大きな舵*2が、別の船には小さくなります。

 3. ですから、君は自分を卑下していますが、今の属州で君がどうあるかが真に大切なことです。人々は君が何をしているか、どのように食事をしているか、どのように睡眠を取っているかを噂します。ですから、君はなおさら気を付けて生活せねばなりません。しかし君は、人々の衆目の前で生活でき、家の壁は君のことを守ってはくれても隠してはくれないことを理解するようになるまでは、自分が真に幸福であると考えてはなりません。われわれはともすると、これらの壁はより安全に生活できるようにするためではなく、より密やかに悪事を犯すことができるようにするために、われわれを取り囲んでいると思い込んでしまいます。4. 人の内面の価値を露わにする次の事実を君に教えておきましょう。家の戸を広く開けて生活できる人など殆どいません。われわれが家の戸口に門番を置くのは自尊心のためではなく、罪悪感のためなのです。われわれは、とつぜん露見したら、たちまち現行犯で捕まるような生活をしています。しかし、自分を隠して、人々の目や耳を逃れることに何の意味があるのでしょう?5. 良心は群衆を恐れることはありませんが、悪しき心は、たとえ一人きりであっても、患わされ、悩まされます。君の行いが名誉あるものであれば、それを誰にでも知らせて下さい。もし不名誉なものであれば、君自身がそのことを知っているのに、誰もそれを知らないことに何の意味がありますか?その真の目撃者を軽蔑するというのは、何と惨めなことでしょう!お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 43 - Wikisource, the free online library

・解説

自分自身に軽蔑されるようなことをしなければ、だれも、他人に軽蔑されることはないのです。

                         母ヘルウィアへの慰め13.6

*1:シキリア

*2:一本の巨大な舵で操舵していた。いわゆる海賊船のような舵とはイメージが違う。