徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡73 哲学者と帝王について

 1. 哲学に身を捧げる人達のことを、強情で反体制的で、行政官や帝王、あるいは公的な管理をしてる人々を軽蔑してると信じることは誤りであると、僕は考えます。というのも、これとは反対に、支配者ほど、哲学者にとって望ましい人はいないからです。それも当然のことです。なぜなら支配者は人々に、平和と閑暇を楽しむことが許される以上の特権を、与えることができないからです*12. ですから、善い生活を送る目的のために*2、公的な保証により大きな利益を得られる人々は、この善を与えた人を父親のように大切に思わねばなりません。少なくとも、いつも大衆の目に晒されて、支配者に多くの恩義がある一方で、さらに多くのことを期待する落ち着きのない連中よりも。増大する彼らの欲望を完全に満足させるほどふんだんに与えられることは、決してありません。そして、次に来る恩恵について考えている人は、受け取った恩恵のことを忘れています。そして貪欲の中の悪徳に関しても、忘恩よりも大きなものはありません。3. その上、公的な生活において、自分が追い越した多くの人たちについて考えてる者はいません。彼はむしろ、自分を追い越した人々について考えます。そして、こうした人たちは、自分の後ろに多くの人がいることを喜ばずに、自分の前に誰かがいることを悲しみます。これがあらゆる野心におけるやっかいな点です。それは振り返って見ることをしません。また、野心のみならず、あらゆる種類の貪欲は気まぐれです。なぜならそれらは常に、終えるべきところから始まるからです。

 4. しかし、あの高潔で純真な人物は、元老院や法廷や、あらゆる国務から離れて、より偉大な仕事*3に身を投じようとする人物は、自分に安全にそれを行えるようにしてくれる人*4を尊重します。彼は支配者に自然に沸き起こる謝意を示す唯一の人物であり*5、自分が気づかずとも、支配者に多大な恩義を被っている唯一の人物です。あたかも人が、その人の教えにより自分を放浪から救ってくれた師を尊敬し、崇めるように、賢者もまた、その保護の下で自分の優れた学問の実践をさせてくれる人を尊重します。5. しかし君は言われる。「他の人々も、帝王の好意の力によって保護されています。」全くその通りです。しかし、同じ穏やかな天候から多くの利益を得た人々の内でも、ある人の航海における積荷がより大きく貴重なものであれば、ネプトゥーヌス*6に対する恩義は、より大きなものとなるでしょう。旅人よりも商人のほうが、より誓願が叶えられたと言えます。そして、船の底荷にしかならないような安物の品を集めた商人よりも、香料や紫の布地、黄金に並ぶ価値のある品々を運ぶ商人のほうが、より心からの感謝を抱きます。これと同じように、全ての人に行き渡るこの平和の恩恵は、それを善く活用する人によって、より深く享受されるのです。

 6. というのも、われわれトガをまとった市民の中にも、戦争よりも平和がもっと厄介なことを引き起こす、という連中が大勢いるのです。それとも、酩酊や情欲、あるいはその他の、止めさせるためには戦争さえ起こす価値があるほどの悪徳に平和を費やす連中が、われわれと同じ恩義を平和に負っていると君は考えますか?いいえ、彼らにそんな恩恵などありません。賢者が他の人達と同じように享受している利益に関して、個人的には何の恩義も被っていないと信じるほどの不平を抱くと、君が考えないならばの話ですが*7。僕は太陽と月に大きな恩恵を負っています。それでいて彼らは、僕のためだけに昇るのではありません。僕は季節の変化にもそれを司どる神にも個人として恩義を感じていますが、それらは僕の個人的な利益のためだけにのみもたらされるものではありません。7. 死すべき人間の愚かな貪欲さは、所有できることと所有権があること*8を分けて考え、人々誰もが所有できるものには、自分も所有権があるとは考えません。しかしわれれれの哲学者は、全人類と共同で所有するもの以上に、真に自分自身のものは何もないと考えます。というのも、これらのものは、個人個人に所有権がもたらされなければ、実際に共有財産にはなり得ませんから*9。たとえ共有に基づく利益がわずかであっても、それにより人々は結び付けられます。8. さらにまた、偉大な真の善なるものは、それぞれ僅かな割り当てで配分されるのではなく、全体として、各個人に属するのです*10穀物が配分される時、人々は各々に定められた量だけを受け取ります。宴会のご馳走や祭日に振る舞われる肉、あるいは人々が持ち去れる他のあらゆるものは、部分部分に分けられます。しかし、平和や自由といったこれらの善は、分割することができません。人類全体のものであると同時に、各個人の所有物なのです。

 9. ですから、哲学者は自分がこれらの善を活用し享受することができるようにしてくれる人物のことを、国家が非常時に陥った時の、軍の招集、歩哨、城壁の防備、戦争に必要な多くの納税などから、自分を除外してくれる人物のことを考えます。彼は自分の国の舵取りに、感謝の意を表します。哲学が何よりも教えてくれるのはこのことですーー受け取った恩恵に被っている負債を正直に認め、誠実にそれに報いることを。もっとも、認めることそれ自体で返済になる場合もあります。10. したがって、われわれの哲学者は、その*11管理と配慮によって、豊かな閑暇、自分の時間の活用、公的な仕事によって中断されることのない平穏を享受できるようにしてくれた支配者に、多大な恩義があることを認めるでしょう。

羊飼いよ!神は私にこのような余暇を与えてくださったが、

それは彼が、私にとって永遠の神だからだ。*12

11. そして、もしわれらがウェルギリウスが支配者に負った恩恵の最大のものが次のものだとすれば、

ご覧の通り、彼は私の牛に、外で草を食ませ、

私にも、葦の草笛で好きな曲を奏でさせて下さいました。*13

神々と共に過ごす時間に費やされ、われわれを神々に近づける哲学者の余暇を、どれほど高く評価すればよいでしょうか?そうです、これこそ僕が言いたかったことです、ルキリウス君。そして僕は君を、近道から天国に誘います。

 セクスティウス*14はよく、ユピテル神にも、善き人以上の力はないと言っていました。もちろんユピテル神は、人々に施せる多くの贈り物を持っています。しかし、二人の善き人からいずれかを選ぶとき、金持ちのほうが必ずしも優れてる訳ではありません。それは、同程度の航行技術をもった二人の舵手のうち、より巨大で人目を引く船の舵手が、もう一方の舵手より優れているとは言えないのと同じです。13. ユピテル神はどの点で、われわれの善き人よりも優れているのでしょうか?神の善は永続します。しかし賢者は、自らの美徳が短い時間に限られているからといって、自分自身の価値を低いと見做すことはありません。また、ある二人の賢者を比べてみましょう。より年齢を重ねて死んだ方が、より短い年数だけ徳を積んだ人よりも、幸福なわけではありません。これと同様に、神は幸福という点において、賢者よりも優れているわけではありません。たとえ年数において勝っていても。美徳は長く続くからといって、より偉大になる訳ではありません。14. ユピテル神は全てを持っていますが、確かにその所有権を他の人に譲りました。それらの使用において唯一神に属することは次の通り、つまり神は全ての人のそれらの使用における原因である、ということです*15。賢者はユピテル神と同じように、他人のあらゆる所有物を平静な心で精査し、軽蔑します。ユピテル神はそれらを使用することができませんが、賢者である彼は使用することを望まないために、自身をいっそう高く評価するのです。15. ですからわれわれはセクスティウスが、完全な美徳の道を示し次のように叫ぶとき、彼を信じましょう。「これが『星々への道*16』だ。これが節制を守り、自制心を守り、勇気を守る道だ。」

 神々は人を嫌うことも、嫉妬することもありません。戸を開き、昇りたい人には手を貸してくれます。16. 人が神々のところに行くことを君は驚くのですか?神々は人のところに来られます、いえ、それどころかもっと近くに―—人々の中に入って行きます*17。神を持たない精神は、善ではありません。神性の種子が、死すべき人間の肉体にばら蒔かれているのです。もし善き農夫がそれらを受け取ると、それらは自らが生じ来た源と同等なものへと成長します。しかし、もし農夫が、不毛地や湿地のような悪しきものであれば、種子を殺し、穀物ではなくゴミを育てます。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 73 - Wikisource, the free online library

・解説

 訳していてとても精神が浄化された。やはりセネカはいい。

 

 

 

 

*1:支配者に与えられるどんな恩恵でも、閑暇にあって哲学に専念すること以上に優れた恩恵はないので、暇の許可をくれるのであれば、どんな支配者でも哲学者には有難い存在だ、という意味。どんなひどい会社であっても、有給がしっかり取れるのであれば有難い、というのに似てるかも知れない。

*2:哲学に集中するために

*3:哲学

*4:支配者

*5:金銭や恩義によって卑屈に感謝するのではない、ということ

*6:海の神

*7:「平和は誰にでも恩恵があるから、俺個人には恩恵がないのと一緒だ!」などと賢者は思わないということ。もし賢者がそのように不満タラタラに考えるようなことがあるなら、先に述べた愚かな連中が平和から受ける恩恵が、賢者のそれより大きくなってしまうでしょう?という意味。

*8:言うなれば独占して、その恩義を十分に噛みしめることができること

*9:つまり、太陽も月も、全ての人が所有権を持つ共有の財産であり、そうしたものこそ、賢者にとって真に自分自身のものだということ。

*10:太陽も月も、共有財産でありながら、丸ごとの恩恵を個人に与える。

*11:支配者の

*12:ウェルギリウス「牧歌」1.6~7。ウェルギリウスアウグストゥスの恩恵に対して感謝を述べている。

*13:「牧歌」1.9~10

*14:書簡59,書簡64参照

*15:始まり(原因)において神はそれらの所有権に関わりがあったが、今はもはや所有権に執着を持っていない、という意味

*16:アエネイアス9.641

*17:書簡41参照