徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡47 主人と奴隷について

 1. 君の所から来る人達の話から、君が家の奴隷たちと友好的に付き合っていると聞いて、嬉しく思っています。これは聡明で教養のある君にいっそうふさわしいことです。「彼らは奴隷だ」、と人々は言います。いいえ、人間です。「彼らは奴隷だ」いいえ、われわれの仲間です。「彼らは奴隷だ」いいえ、謙虚な友人です。「彼らは奴隷だ」いいえ、われわれの奴隷仲間です。運命は奴隷にも自由人にも、同等の権力を行使することを考えて下さい。

 2. ですから僕は、奴隷と一緒に食事をすることを恥だと考えてる人を見ると笑ってしまいます。なぜ恥だなどと思うのでしょう?それは、食事中の主人の周りに奴隷をつっ立たせておくという、贅沢極まりない習慣のためです*1。主人は食べきれないほど食べ、腹が膨れ上がり消化の機能を果たせなくなるまで、異常な貪欲で胃袋に食べ物を詰め込みます。そのため、食べ物を詰め込むよりも、全て吐き出すことに労力を費やすことになります*23. この間ずっと、かわいそうな奴隷たちは、(食べることはおろか)話すために唇を動かすことも許されません。わずかな呟きでも杖で抑えつけられ、たまたま出た咳やくしゃみ、しゃっくりの音ですら、鞭打ちの対象になります。わずかでも沈黙が破られると、ひどい罰が与えられます。彼らは夜通し、空腹で無言のまま立っていなければなりません。

 4. こうしたことの結果、主人の前で話すことのない奴隷たちは、主人について話すようになります。しかし、昔の奴隷は、主人の面前で話すことだけでなく、実際に主人と会話することを許されており、口がきつく縫い合わされることはありませんでした。彼らは主人を脅かすどんな危険のためにも、自分の首を差し出す覚悟ができていました。彼らは宴の最中はよく話しましたが、拷問の最中は沈黙を守りました。5. しかし今日では、主人のあの傲慢さを揶揄して、「奴隷の数と同じだけの敵を持っている」ということわざが生まれました。われわれが購入した時、彼らは敵ではありませんでした。われわれが彼らを敵にしたのです。

 6. 彼らに対するその他の残酷で非道な仕打ちについては、これまで言及しませんでしたが、われわれは彼らを人間ではなく、荷役獣のように扱い虐待しています。われわれが宴会で横になると、ある奴隷は吐き出された食べ物を拭き取り、別の奴隷は長椅子の下にかがみ込んで、泥酔した客の食べ残しを集めます。またある奴隷は高価な鳥を捌いています*3。確かな包丁さばきと熟練の技術で、胸や尻から選び抜かれた部位を切り分けます。肉付きのいい鳥を正確に切り分けることのみを目的に生きるとは、何と不幸なことでしょう。とはいえ、必要に駆られてそれを学ぶ人が、快楽のために学ぶ人よりも不幸だというならの話ですが*47. 酒を注ぐ別の奴隷は、女性のような衣装を着て、年に似合わない振る舞いをします。彼は少年時代を脱することができず、そこに引き戻されます。そして、すでに兵士の体格を有しているのに、髭をきれいに剃られたり、根本から引き抜かれて、生やすことが許されません。そして一晩中起きて、主人の泥酔と色欲の両方の相手をするために時間を二つに分けて使うことを強いられます。宴席では青年であり、寝室では少年でいなければなりません。8. 客の検閲を割り当てられた別の奴隷は、かわいそうに、自分の仕事にずっと集中しなければなりません。食事の仕方に関してにせよ発言に関してにせよ、誰が媚びへつらい、誰が無遠慮かを監視し、明日の招待状を誰に届けるべきかを確かめねばなりません。食べ物を調達する哀れな奴隷のことも考えてみて下さい。彼らは主人の好みに細心の注意を払い、どんな特別な味が主人の食欲をそそり、何が主人の目を楽しませ、どんな斬新な組み合わせが主人の胃袋を駆り立て、どんな食べ物に主人は飽き飽きしており、どんな食べ物をその日のためにと思って主人は腹を空かして待つのかを熟知しています。主人は、このような奴隷たちと共に食事をすることに耐えられません。彼は同じ食卓で奴隷と付き合うことは、自分の尊厳を貶めることだと考えています!神々よ、こんなことがあっていいのでしょうか!

 9. しかし今では、どれほど多くの主人が、かつて自分の奴隷だった者を主人としていることでしょう!僕はカリストゥスの家の門前で、かつてカリストゥスの主人だった男が列に並んでるのを見たことがあります。他の人達は歓迎されているのに、かつての主人だけ締め出されていました。彼はかつて「投げ売り品」の札をカリストゥスにつけて、役に立たなくなった奴隷と一緒に市場に放り出しました。かつての奴隷カリストゥスは競売人が声出しの練習をする最初の組*5に入れられた報復に、かつての主人を選別から除外して、自分の家に入る資格はないと判断したのです。主人はカリストゥスを売り(金を得)ましたが、そのためにカリストゥスは主人に何と多くを支払わせたでしょう!

 10. 君が奴隷と呼ぶ人達は、君と同じ種族を起源に持ち、同じ空を享受し、同じように呼吸し、同じように生きそして死ぬことを忘れないで下さい。君は彼らを自由人と見做すことができるし、彼らも君を奴隷と見做すことができます。マリウスの大虐殺*6のとき、名家の生まれで、兵役により元老院での地位にむけて第一歩を踏み出していた多くの人たちが運命に突き落とされ、ある人は羊飼いに、別のある人は田舎の別荘の管理人になりました。ですから、もし君が誰かを軽蔑することがあっても、いつでもその地位に落ちぶれる可能性があることを覚えておいて下さい。

 11. 僕はあまり問題を大きくして、われわれローマ人があまりに傲慢な態度で、あまりに残酷に、あまりに侮辱的に奴隷を扱ってることについて、論じたいとは思いません。しかし、次の大切な忠告は言わせて下さい。君が上の立場の人にして欲しいようなやり方で、下の立場の人を扱って下さい。そして、君が奴隷に対してどれほどの権力を持っているかを考えるたび、君の主人が君に対して同様の力を持っていることを思い出して下さい。12. 「しかし、私は主人を持っていません。」と君は言います。君はまだ若く、やがては持つことになるでしょう。ヘカベ*7は、クロイソス*8は、ダレイオスの母*9は、プラトン*10は、ディオゲネス*11は、何歳の時に捕らわれの身になったのか、君はご存じないのですか?

 13. 奴隷には優しく、親切に接して付き合って下さい。共に話し、共に協議し、共に生活しましょう。このこと関して、気取った連中が一斉に僕を罵倒することは分かっています。彼らは言います。「これほど卑しく、恥ずべきことはない。」しかし驚くことに、彼らはまさしく他人の奴隷の手に口づけをします。14. 君は次のこともご存じないのですか―—われわれの先祖はいかにして主人からあらゆる傲慢を取り除き、奴隷からあらゆる侮辱を取り除いたのかを?彼らは主人を「家の父」と呼び、奴隷は「家の子」と呼ばれていました。今でも演劇で見られる習慣です。彼らは、主人と奴隷が会食をする祭日を定めました。この習慣はその日のみのものではありませんでしたが、その日はいっそう義務付けられたものであり、主人は奴隷に名誉ある地位を与え、家のことに関して判断を下すことを許しました。彼らは家を、小さな国家だと考えていたのです。

 15. 「それではあなたは」言い返す人がいます。「私は全ての奴隷と食事を共にしなければならないと言うのか?」いいえ、全ての自由人を招く必要はないのと一緒です。そして僕が、あのラバ追いやあの牛飼いのような、よりみすぼらしい仕事をしてる奴隷を食卓から締め出そうとしてると君が考えているなら、君は勘違いをなさっています。僕は彼らの仕事内容ではなく、人間性に応じて評価しようと言っているのです。仕事内容は偶然によって割り当てられますが、人間性を人はそれぞれ自分で獲得します。彼らは名誉ある人間性によって君の食卓に招かれ、そのこと自体が彼らをいっそう優れた人物にします。というのも、もし彼らの中に、その卑しい人付き合いに由来する奴隷的な性質が残っているなら、それらはより高尚な人との交流により、振り落とされるでしょうから。

 16. 親愛なるルキリウス君、君は中央広場フォルム元老院議場だけで、友人を探す必要はありません。よくよく気をつけてみれば、君は家の中で友人を見つけることができます。よい素材があっても、優れた職人がいなければ放っておかれます。よく調べれば、そうであるかが分かるでしょう。愚かな人物は、馬を買う時に、馬にとって重要なことを考慮せず、鞍や馬勒ばかりに目を向けます。ですから、服装や地位で人の価値を評価するものはいっそう愚か者です*12。どちらもわれわれを覆っているだけのものに過ぎないのに。

 17. 「彼は奴隷だ」しかし、心は自由人です。「彼は奴隷だ」しかし、それが彼にとって何の問題があるのでしょうか?誰か奴隷でない人がいるなら教えて下さい。ある人は情欲の奴隷で、ある人は貪欲の奴隷で、ある人は野心の奴隷で、全ての人は恐怖心の奴隷です。老婆の奴隷になっている元執政官や、召使いの奴隷になっている金持ちもいます。高貴な生まれでありながら、無言劇パントミーモスの役者の奴隷になっている若者の例もお示しできます!奴隷状態でも、自分で自分に課すものほど恥ずべきものはありません。

 ですから君は、あの体裁ばかり気にする連中に妨げられることなく、奴隷たちに親しく接し、自分が彼らより優れているなどと奢らないようにしましょう。君は奴隷に恐れられるのではなく、尊敬されねばなりません。18. 僕の言ったことは、普通の奴隷にピレウス*13を与え、主人をその高い地位から転覆させることだと言う人がいるかも知れません。僕が奴隷は主人を恐れるのではなく、敬うべきだ、などと言ったものですから。彼らは言います。「こいつが言いたいのはこういうことだ。つまり奴隷は訪問客や早朝参りをする被庇護者のように、主人を(結局おそるおそる)尊敬するべきだと!」このような意見を述べる人は、神が満足しているのと同じ理由で、主人も満足することを忘れています。敬われているということは、愛されてもいるということです。愛は恐れと混同されることはありません。19. ですから、君が奴隷たちから恐れられることを望まず、ただ言葉だけでたしなめていることは、まったく正しいと僕は考えます。鞭を必要とするのは、もの言わぬ動物だけです。

 われわれを苛立たせるものが、必ずしも害になるとは限りません。しかしわれわれは贅沢な生活により狂気じみた怒りに駆り立てられるようになったので、われわれの気まぐれに応じてくれないもの全てに怒りを覚えるのです*1420. われわれは王の気質を身に着けています。王という人々もまた、自分の強さと他人の弱さを忘れ、その高い地位によって傷つけられる危険から完全に守られているにも関わらず、あたかもひどい怪我を負わされたかのように、我を忘れて激怒するからです。彼らはそうした真実に気づかないばかりか、他人の過ちを探し回り、害を与える口実を掴み取ります。彼らは他人を傷つけるために、自分は傷つけられたと言い張ります。

 21. これ以上長々と君を付き合わせるつもりはありません。君に忠告は必要ありませんから。よい人間性の何よりの証は、自らの判断を形作り、それを順守することです。しかし、悪しき人間性は気まぐれで、頻繁に別のものに変わりますが、よいものに変わることはなく、別の悪いものに変わるだけです。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 47 - Wikisource, the free online library

・解説

 奴隷に関するセネカの提言は、彼の哲学の中でも最も美しいものの一つだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:「まだ小さな召使が、かわいそうに、酔客の吐いたつばを丹念にふき取っている姿を。——こんなやり方で、彼らは、品格があるとか、趣味がいいといった評判を手に入れようとする。しかし、そうこうしているうちに、この悪習は、彼らの生活全体に行き渡っていく。彼らは、飲んでいるときも、食べているときも、それを人に見せびらかすようになるのだ。」人生の短さについて12.5

*2:「だから彼らは、食べるために嘔吐し、嘔吐するために食べます。彼らは、全世界から探し集められたごちそうを、消化すらしてくださらないわけです。」母ヘルウィアへの慰め10.3

*3:「じっさい、わたしはよく目にするのだ。彼らが、ひやひやしながら、高価な銀の食器を並べる姿を。彼らが、お気に入りの召使のトゥニカを、念入りにたくし上げてやる姿を。料理人がイノシシをどんなふうに調理するだろうかと、やきもきしながら待ちかまえている姿を。ひげをきれいに剃った召使が、合図されてすばやく給仕に向かう姿を。鳥料理が、みごとな手さばきで、適当な分量に切り分けられていく様子を。」人生の短さについて12.5

*4:快楽のためにそんなことを学ぶ人のほうが、よっぽど悲惨だということ

*5:価値の低い奴隷ほど最初に売られた

*6:ローマの将軍。貧民派を代表し、閥族派と争い、前87年にその代表のスラ派の大虐殺を行った。

*7:トロイアプリアモスの妻。トロイ陥落後、オデュッセウスに捕えられた。

*8:前6世紀のリュディア王。ペルシャ王キュロスに敗れ、彼に仕えた。

*9:おそらくアレクサンドロス大王に敗れた三世の母

*10:40歳の時シキリアの僭主ディオニュシス1世によって奴隷として売られた

*11:アテナイからアイギア島に航行中、海賊に捕まり、クレタ島で奴隷として売られた。

*12:馬ですら装飾物で評価しないのに、人を装飾物で評価するのはもっと愚かだ、という意味

*13:解放奴隷の証であるフェルトの帽

*14:「度を弁えず我慢を知らない贅沢ほど、怒りを養うものはない」怒りについて2巻25