徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡69 平穏と不穏について

 1. 僕は君が居場所を変えて、ある所から別の所へと走り回ることは好みません*1。その理由は、第一にそのような頻繁な移動は不安定な精神の証だからです。そして、精神はそのような物見遊山や放浪をやめない限り、閑暇な生活を経て強固なものへと成長することはできません。精神を制御することができるようになるためには、まず体の放浪を止めねばなりません。2. 第二の理由は、薬が最も効果的なのは、間断なく用いられる時だからです。君の静けさと、かつての〔騒々しい〕生活を忘却している状態を、中断させてはいけません。君の目に、かつて見たものを忘れるための時間を与え、君の耳に、より健全な言葉に親しむための時間を与えて下さい。どこにであれ君が進む度に、ある所から別の所への移動の最中にさえ、かつての欲求を呼び覚ますものに出くわすでしょう。3. 以前の恋を捨て去ろうとする人は、かつて愛した人を思い出させるもの全てを避けねばなりません(恋ほど容易に再燃するものはないからです)。これと同じように、かつて熱烈に切望した全てのものに対する欲求を捨て去ろうと思う者は、目も耳も、放棄したものに向けることがあってはなりません。4. 感情はすぐに反抗します。それはどこを向いても、自分の欲求に沿うと思えるものを、目の前に見出します。前金を差し出さない悪徳はありません。貪欲は金銭を約束し、贅沢は様々な種類の快楽を、野心は紫の高官服と拍手喝采と、権威から生まれる権力と、権力がなしうる全てを約束します。5. 悪徳は、それらがもたらし得る報酬によって君を誘惑します。しかし、僕の勧める〔閑暇の〕生活においては、君は無報酬で生きていかねばなりません。われわれの悪徳を屈服させ、それらに軛をかけるには、一生を費やしても十分ではありません。長きに渡る耽溺によって膨れ上がっているのですから。われわれがこの短い生を邪魔し、細切れにしているとすれば、なおさら不十分です。たとえ絶え間ない配慮と注意があったとしても、仕事を完璧に果たせることは殆どないのです*26. もし君が僕の忠告に耳を傾けてくれるなら、次のことについて熟慮し、そして実行して下さい―—どのように死を受け入れるか、いやそれだけでなく、状況がそうするよう促すのであれば、どのように(死を)自ら招き入れるか。死がわれわれの元を訪れるか、われわれが死を訪ねるかには、何の違いもありません。あらゆる愚か者が次のように言っても、これは間違いだと自分に言い聞かせて下さい。「自らの(自然な)死によって死を迎えるのは、素晴らしいことだ。」しかし、自らの死によらず死ぬ者はありません。さらにまた、君は次の考えについて熟慮することができます。自らの死ぬ日以外に死ぬ者はいない。君は自分自身の時間から何一つ失いません。なぜなら、君が後に残すものは、君のものではないからです*3。お元気で。

 

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 69 - Wikisource, the free online library

・解説

 「人生の短さについて」を読めば、この書簡の内容はより深く理解できる。

 

 

 

 

*1:書簡2書簡28参照

*2:無論、哲学に関する仕事のこと。書簡31参照

*3:時間を正しく所有する者は、死後にすら何も失わないという考えは、「人生の短さについて」でも語られている