徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

セネカ 倫理書簡4 死の恐怖について

 1. 君が始めたことをそのまま続け、可能な限り急ぐのがよいでしょう。そうすれば君は、それ自身の中で安らぐことの出来る、よく改善された心を長く楽しむことができるでしょう。間違いなく君は、君自身の心が改善され、平和なものにされることそのものから、楽しみを汲み取ることができるでしょう。しかし、心があらゆる悪徳から洗い清められ輝くことを思いめぐらした時に得られる喜びはひとしおです。2. 君はもちろん、子供の衣服を脱ぎ棄て、大人のトガを身に着け、中央広場(フォルム)へ連れ出してもらった時の喜びを覚えていることでしょう。しかしながら、少年時代の心を捨てさり、知恵が君を大人の一人にした時の喜びは、さらに大きなものになるでしょう。われわれの心に残っているのは、子供時代ではなく、もっと悪いものーー子供っぽさです。そして、この状態はよりいっそう深刻です。というのも、われわれは、老人としての権威を持ちながら、*1同時に子供の愚かさ、さらには幼児の愚かさも持っているからです。子供はささいなことを恐れ、幼児は実体のないものを恐れますが、我々はそのどちらも恐れます。

 3. 君がすべきことは、進歩することだけです。そうすれば君は、単にわれわれの恐怖心を煽るだけものを、それほど怖がる必要はないことを理解するでしょう。最期にやってくる悪いことよりも、大きな悪はありません。死がやって来ます。それと共に留まるのならば、それは恐ろしいものです。しかし死は全くやって来ないか、来たとしても直ぐに過ぎ去るかのいずれかです。

 4. 「しかし」と、君はおっしゃる。「人生を軽蔑できるところまで心を持っていくことは難しい。」ですが、ある人は愛人の門前で首を吊り、ある人は意地の悪い主人の侮蔑に耐えられなくなって屋上から身を投げ、またある人は囚われの身となることから逃れるため、その命を剣に委ねます。美徳によって起こるべきことが、過度の恐怖によって引き起こされてるとは思いませんか。また、平穏な生活が過度に長く続くことを考えたり、多くの執政官職を経験することが大きな祝福と考えるような人は誰も、平和に生きることは出来ません。5. 君が心穏やかに人生を離れることができるよう、日々精進して下さい。多くの人はあたかも急流に流されながら茨や鋭い岩を掴むかのように、人生につかまり、しがみついています。*2

 多くの人は死への恐怖と人生の苦難の間でみじめに漂い、生きることを望みませんが、死ぬことも知りません。6. ですから、人生に対するあらゆる心配を追い払って、人生全体を君にとって快いものにして下さい。どんなに良いものであっても、所有者の心にそれを失う覚悟がなければ、幸福をもたらしてはくれません。しかし、失ったことがさほど辛くない損失は、大きな損失とは言えません。したがって、最も偉大な人物さえ苦しめることのできる偶然の出来事に対して、君の精神を励まし、強化して下さい。7. 例えば、ポンペイウスは、*3少年と宦官*4に殺され、クラッスス*5は残酷で横柄なパルティア人によって殺されました。ガイウス・カエサル*6レピドゥス*7に、護民官のデクステルの斧に首を差し出すよう命じましたが、そのカエサル自身も、カエレアに首を差し出しました*8。幸運というのはそれまで甘やかしてきたのと同程度に、彼を脅威の及ばないところまで引き上げてくれるということはありません。運命が平穏に見えても、信用してはなりません*9。華やかな舟遊びを楽しんだその日に、彼らは海に飲み込まれます。8. 追いはぎも敵も、君の喉を切り裂くことができるのです。また、奴隷は君の主人ではないとはいえ、君の生死に大きな力を振るうことができるのです。よって、僕は君に言います。彼ら奴隷は自分の命をかえりみない、君の人生の支配者だと。自分の家で企てられたことにより、公然とまたはひっそりと殺された人のことを考えてみて下さい。そうすると、王を怒らせて殺された人に劣らず、奴隷を怒らせて殺された人が沢山いることが分かります。したがって、誰もが君の脅威となり得るのですから、君が恐れている人物がどれほど強力かなど、さほど問題ではないのです。9. 「しかし」君はおっしゃる。「もしあなたが敵の手に落ちたら、勝者はあなたを連れ去るように命じるでしょう」ーーもちろんです。君が今も連れ去られつつある所(つまり死)にね。どうして君は自分を誤魔化し、君が長い間その正体を知りたいと思っていた運命に、今初めて聞いたような顔をするのですか。次の僕の言葉を信じて下さい。君が生まれた日から、君はそこへと導かれているのです。われわれは死への恐怖が他の全ての時間を慌ただしいものにしないためにも、最期の時を穏やかに迎えられるよう、こうした思考内容について熟考しなければなりません。

 10. しかし、そろそろ手紙を終えなければなりません。今日僕を喜ばせた格言を教えましょう。これもまた、他派の庭*10から摘み取ってきたものです。「自然の法則に従った貧乏は、偉大な富である」自然の法則がわれわれに定める限度とは何かご存じですか?それは単に飢えないこと、渇きがないこと、寒くないこと、だけです。飢えと渇きを鎮めるためには、高慢な金持ちの門前でご機嫌伺いをしたり、しかめっ面に屈従したり恥を知らない態度に我慢する必要はありません。海を駆け回ったり、軍に入る必要もありません。自然の要求を満たすものは簡単に与えられ、すぐに手に入れることができます*1111. われわれに汗を流させ、トガを擦り切れさせ、野営地で老いることを強い、外国の海岸にわれわれを駆り立てるものは、全て余計なものです。われわれの手には、既に十分なものがあります。貧乏と正しく付き合うことを知った人は裕福なのです。お元気で。

 

・英語原文

Moral letters to Lucilius/Letter 4 - Wikisource, the free online library

 

・解説

「死を恐れるな」という教えはストア派に共通のもので、セネカの哲学は頻繁にこのテーマを取り上げている。死とはどういうものであるかを取り扱った有名な本は、シルバーバーチの霊訓を始めとする多くのスピリチュリズムのものがあるが、セネカ哲学は、実際に社会の荒波に揉まれ、奮闘する人のための哲学である。貧しくロクに修業する金も時間もない農民のための浄土真宗のように、霊的におよそ清浄な環境で生きることの許されない現代人にとっては、シルバーバーチ等よりもセネカやシュタイナーの生きた言葉が響くと思う。シルバーバーチが刺さるのは主に暇な金持ちで、それはそれで有用ではあるのだが、パンチが弱い。何より信者が思考停止に陥って同じことを繰り返している。セネカやシュタイナーの本は、ボリュームも多いし、内容も深く非常に読み応えがあるので、金も地位もなく人生が行き詰ってる人には、こちらをオススメしたい。

 

*1:「ある人の髪の毛が白いとか、顔にしわが寄っているからといって、その人が長く生きてきたと認める理由にはならない。その人は、長く生きていたのではない。たんに長く存在していただけなのだ。」人生の短さについて7.10

*2:「しかし、やがて彼らは、何かの病気になり、自分も死なねばならぬのだと悟る。そのとき彼らは、どれほどおびえながら死んで死んでいくことだろう。そのさまは、人生の舞台から退場するというより、引きずり降ろされるかのようではないか」人生の短さについて11.1

*3:カエサルに敗れたポンペイウスは、逃亡先のエジプトで謀殺された

*4:プトレマイオス13世(当時14歳)とその臣下ポティノス

*5:カエサルポンペイウスらと共に第一回三頭政治を行った。パルティアに遠征するもパルティアンショットに敗北。その後パルティア人に騙されて、溶かした金属を口に注がれて殺された。

*6:カリグラ帝。第3代ローマ皇帝。在位37~41年

*7:陰謀を企てたとして

*8:41年の出来事。親衛隊副官のカッシウス・カエレアに暗殺された。「親衛隊副官のカエレアは、話し方が実力に見合わず、ぼそぼそした声で、もしその実績を知らなかったなら、不信感を招きかねなかった。この男が合言葉の提供を要請すると、ガイウスは『ウェヌス』とか『プリアープス』といった言葉を与え、手を変え品を変え軟弱だとの非難を武者姿の彼に浴びせかけていたが、そう言う当人は、透き通る衣、底高の靴、黄金の飾りを身につけていた。それでカエレアに、これ以上合言葉を求めなくても済むようにと、剣を用いるよう強いたわけである。陰謀者のうち最初に手を掛けたのは彼だった。彼が頸を真ん中から一撃で斬り落としたのだ」賢者の恒心について18.3

*9:「わたしは、運命を信用したことなど、一度もありません。運命が平穏をもたらしてくれたと思われたときですら、そうなのです」母ヘルウィアへのなぐさめ5.4

*10:エピクロス

*11:「わたしの体が必要とするものは、ごくわずかです。すなわち、それが求めるのは、寒さを防ぐことと、食べ物で飢えと渇きをしのぐことくらいのものなのです。もし、それ以上のものを欲するようなことがあれば、われわれは、必要ゆえではなく、悪徳ゆえにそうしているのです」母ヘルウィアへの慰め10.2