徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

中年童貞が死なずに済む世界

「幻の桜」というブログにあった内容だが、その昔、集落で人が集まると、必ず一定数どうしても、モテない人達が現れていたのだという。

 

そんなモテない人達のために、「会いにいけるアイドル」という存在の女性があった。会いに行けば笑顔を振りまいて見せてくれ、求めれば性行にも応じてくれたそうだ。そんな女性達に支えられたモテない男達は、村の貴重な労働力であったという。

 

とこらが今の「会いに行けるアイドル」は、性行に応じる所か高い金を払わせた上にやらずぼった。DQNとのスキャンダルをファンに見せつけ優越感に浸るという始末。

 

このように象徴のアイドルが搾取的になったから、現実社会も搾取的になったという。ここで中年童貞について考えてみよう。

 

介護現場で懸命に働く彼らは多くの場合低収入だ。そして何故か性体験がないというだけで罵倒され、女性上司からはパワハラを受け、好みの女性と満足に性行為もできないとくれば、これは働けという方が無理があるのではないだろうか?

 

余談だが、この「中年童貞」という言葉を作り出した作者は、中年童貞という立場の弱い男性を叩くことで相対的に自分の地位を上げ、女性にモテることが目的なのだと思う。だからしきりに中年童貞という言葉を用い彼らを非難し、そうじゃない自分はマトモな男です。チヤホヤして下さいと世の女性にアピールしてるのだろう。

 

話を戻す。中年童貞に必要なのはまさしくそうした「会いに行けるアイドル」である。恐らくニートについても同様のことが言えるだろう。ここでまた優生学の話が出てくるが、搾取的な社会というのは常に弱者の存在、虐げられる存在を必要とし、中年童貞もそれにあたる。(丁度中年童貞の筆者が中年童貞を搾取しているように)

 

よって中年童貞という暴言が生まれたのも滅びゆく国の必然なのかも知れない。ブログ「幻の桜」の見解によると、滅びる直前のコミュニティでは、弱いものいじめが流行るそうだ。今の日本がまさにそうだろう。

 

そうした滅びゆく日本に、中年童貞が死なずに済む世界は存在しないかも知れない。しかし、認識を深めていくことで、その実りはやがて霊界或いは次の時代の地球に、豊かな富をもたらすことになるだろう。