とある金持ちの男性がイエスに言いました。「天国に行くにはどうすればいいですか?」
イエスは言いました。
「あなたの財産を全て、貧しい人に寄付しなさい」
金持ちの男性はそれができませんでした。
イエスは弟子達に言いました。
「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と。
エマワトソンというフェミニストは、「弱者男性は『男らしさ』という価値観から自由になれば救われる」といいました。ところでエマワトソンの歴代の彼氏を見てみるとこれが見事に金持ちやらスポーツ選手やら有名スターやら…「男らしさ」の象徴のような人達だったのです。
彼女はこれまでの人生において、言葉よりも何よりも、自らの行動と選択において、男性に「男らしさ」を要求しているのです。その一方で、弱者男性に「男らしさ」から自由になれと言います。これはどういうことでしょうか?
答えは簡単です。フェミニストの本質である「非モテ叩き」と照らし合せて考えてみましょう。エマワトソンは昔のように若さで男を惹きつけることが出来なくなってきました。しかしまだまだ愛しのDQN君とセックスしたくて仕方ありません。所が、おばさん化した自分に釣り合う男性の中に、かつて忌み嫌っていた非モテ男の割合が徐々に増えてきました。そこことに耐えられなくなった彼女は、非モテを恋愛市場から排除し、それでいてかつ非モテから自分が恋愛を楽しむために必要なエネルギーを搾取することが最善だと考えたのです。幻の桜の捧げ捧げ教にピッタリ一致しますね。
エマワトソンはこう言います。「イエス様。私は男女平等を訴える高貴な魂の持ち主です。この功徳に免じて、DQN君と一緒にして下さい」
イエスはいいます。「もしあなたが本当に平等を愛する高貴な魂の持ち主なら、DQNに捧げるのと同様の最愛を、モテない恵まれない人達にも捧げなさい」と。
エマワトソンはそれができませんでした。
そしてあろうことか、イエスを冒涜し、歪んだ自分の教えを世界に広めることを選びました。
エマワトソンは国連スピーチで言います。
「あらゆる非モテはこの私が再びDQNと恋仲になるための養分となりなさい。この命令は人権に基づいて発せられています。この命令に逆らうことは神の教えに逆らうことと同じです。私に意見する非モテには裁きが下るでしょう」
こうして世界はディストピアになりました。
めでたしめでたし。