徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

発達障害の人が仕事できないって本当?

発達障害(と俗に言われる)人が仕事が出来ないと言われることが多いが、本当にそうだろうか?僕自身が発達障害とかいうものに当てはまるフシがあると思うので、色々と考えてみた。

 

発達障害の人が仕事を覚えられないのって、上司が単に教え方が抽象的で「忖度」を要求することが多いからではないだろうか…と、思う。

 

発達障害の人よりもむしろ「健常者」の人の方が物事をずっと抽象的に考える。発達障害の人は「絵」で、「健常者」の人は「文章」で物事を考える。

 

故に虚業や無駄が多い仕事にとっては「健常者」の人の方が発達障害の人よりも都合がいいことになる。発達障害の人特有のイメージで捉える思考は、煩雑な仕事をむしろ簡略化することを得意とする。よくネットの体験談で、「Excelでマクロを組んだら上司に『手を抜くな』」と怒られたというものがある。

 

これはネットだと上司がバカだと分かるが、現実世界ではマクロを組んだら発達障害扱いされるだろう。空気が読めない奴、として。

 

発達障害の人はExcelでの複雑な工程を具体的に捉えているので、マクロを組むことができる。対して「健常者」の人達は抽象的に同じことを繰り返しているだけなので、普段の自分達の行動を細分化(専門用語で課題分析とも言うが)、できないのだ。

 

どちらかというと「健常者」の人の方が思いつきで行動し、その場のノリと雰囲気で仕事をこなしている。世間ではこれを「コミュニケーション能力」と呼ぶらしい。要するに「忖度」する能力のことか。

 

つまり「健常者」の人は自分で自分が何をやっているか細分化して人に説明することが出来ない。同じようにノリと雰囲気で仕事をこなす人同士では、猿真似が繰り返され見かけ上人は育つのだろうが、発達障害の人のように丁寧さと正確さを求める人にとってはまさに猿を見てるような気分だろう。

 

シュタイナーは多くの人は「昼間に意識が眠っている」と言ったが、まさしく「健常者」の人は眠りながら仕事をし、寝言で部下に指導しているのだろう。

 

発達障害の人にとって非常に生き辛い社会だが、それは「健常者」がマジョリティだからであって、決して彼らが優れているからではない。

 

むしろ発達障害の人が能力を発揮できないような国は、遠からず没落することになるだろう。ノリと雰囲気だけで仕事をするというのは、表面には見えないミスや手抜きを積み重ねていくことと同じだ。その重みに耐えられなくなると、日本も沈むであろう。