徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

仕事ができると舐められる

 「できる人に仕事が集中する」ともっともらしく言う人がいる。換言すると、「仕事はできる人に押し付けられる」ということだ。さらに言うと、「仕事ができると舐められる、だから仕事を押し付けられる」ということだ。一般に、仕事ができると尊敬され、できないと舐められるというのが世間一般の常識となっているが、実際はその真逆である。仕事ができない(しない)人が尊敬され、仕事ができる人は舐められ、侮蔑され、嘲笑の対象となる。

 

 スポーツ選手は特に人の役に立つ仕事をしてる訳ではない(エッセンシャルワーカーではない)のに莫大な金と名誉を貰い、異性にもほぼ不自由しない。投資家はニートと同じようなものだ。天下り役員は業界の知識も経験もロクにないのに、会社で思いつきを垂れ流して社員を振り回して鬱病にさせたりして遊ぶことで莫大な役員報酬を貰い、無責任な仕事をたっぷりと満喫し、余生を楽しむ。

 

 世の中人から尊敬されたり莫大な金を貰う人というのは、殆どが真面目に仕事をしてない。玉遊びをしたり思いつきを垂れ流したりしてるだけで、いてもいなくてもさほど困らない人達だ。政治家の給料なんてすごいもんだ。国民の金で生活してる彼等が、更に金持ちになろうと国民にタカるのだ。国民を豊かにするという政治家として果たすべき仕事は何一つしていないのに、自分の報酬が減ることは、何一つ許さないのだ。

 

 世の中を回すのに必要な仕事をしてる人達、介護や運送や農業や工業に携わる人達所謂エッセンシャルワーカーは、薄給激務な上、人に舐められる。会社内で人一倍仕事をする人というのも、尊敬されるのではなく、舐められる。そして、給料面でも評価されない。世間からも会社からも評価されるのはロクに仕事もしてない人達で、それは、政治家やスポーツ選手と同じだ。世の中の役に立っていない人ほど何故かデカい面をして、偉そうで、適当な思いつきを垂れ流し、頭の悪い人達がそれに追従する。イチローの何が立派なのか僕にはさっぱり分からないが、彼が朝カレーを食べていると、それに倣って朝カレーをするバカが沢山存在する。

 

 要するに、世間でも会社でも、仕事ができると舐められ、できなくても偉そうな人間が評価される。「仕事ができると尊敬される」という妄言を吐く人がいるが、それは女が「優しい人が好き」というのと同じだ。女が実際には暴力的な人間に媚を売り喜んで股を開くのと同じように、世の中は仕事をしない癖に偉そうな人に喜んで奉仕し、莫大な給料を払い、手厚い待遇を与える。総理大臣は大した仕事の経験もないし、経済のリテラシーもないし教養もないし、最近の傾向だと低学歴化も甚だしい。要するに、仕事ができず勉強もできない人間が高い地位を得ているということだ。会社ではロクな教養もない成金社長や天下り役員が威張り散らし、自分は最高に理性的で道徳的であるかのように発言し、どうでもいいルールを勝手に作り社員を振り回す。

 

 人の上に立つのに、仕事ができたり勤勉である必要はない。強いていうなら、今の時代は異性ウケだろうか。結婚してたりすると、男は実力以上に評価され、出世もしやすくなるし、パワハラやセクハラをしても独身者の場合よりお咎めが少ない。むしろ甲斐性と捉えられることもある。女性が社会進出したことで、よりその傾向は強まった気がする。女は既婚者が好きだし、無能な既婚者と有能な独身がいれば、前者を仕事ができる人間と周囲に吹聴し、後者をゴキブリ扱いして給料を下げさせたり、会社から追い出そうとする。

 

 発達障害の人が舐められるのも、仕事ができるからかも知れない。特定の分野に異様なまでの集中力を発揮する彼等は、特定の仕事に異様に秀でているということになる。それで評価されるのかというとそうではなく、誹謗中傷される。スポーツのできる既婚者の「健常者」とその取り巻きの女性達から、「何必死にやってんの?w」と嘲笑される。彼等彼女らは何でも「おしゃれ」なことを好むので、仕事でも何でも必死に取り組んで色々苦心することが、何かとてもみっともない恥ずべきことのように考えている。その癖、スポーツなどのような無駄な運動をして、「仕事してるフリ」をすることには異様に長けている。僕の会社の無能な先輩も、どうでもいいことをやたら偉そうに、重大プロジェクトのように後輩に命令していた。部屋のレイアウトがどうとか、消耗品の注文がどうとか、要するに、ロクな仕事を何もしていない訳だ。そんなどうでもいいことでも、後輩に偉そうに言うと、バカな女の人達は、それを男らしさだと思い、無能な先輩が大変仕事ができる人だと思うのだ。

 

 仕事ができる人が突然辞める背景は、大体こんなものだろう。仕事ができると舐められる。誰だって、舐められ続ける職場にいたいとは思わない。仕事ができても尊敬されない程度なら我慢できたかも知れない。静かに過ごすことができたら充分だったかも知れない。だが実際は、舐められ、更に余計な仕事を押し付けられ、残業や休日出勤を強制され、陰口を言われ、退職に追い込まれる。多分、人間の本能で、仕事ができる人間は、「こいつは仕事を押し付けられるべき弱者だ」という認識が生まれ、集団全体がいじめと追放に向けて動くようになるのだろう。勉強熱心な学生が「ガリ勉」とバカにされ、部活同に勤しむ卑劣ないじめっ子が「立派」とされるのは学校でも同じだ。(エドガー・ケイシーガリ勉をバカにしていた。それだけの理由で僕はエドガー・ケイシーを全く尊敬できない)。エッセンシャルワーカーがしばしば世間から嘲笑され、誹謗中傷されるのと同じである。ロクに働かずに莫大な金を貰うような立場の人達が、必死に働く介護現場の人達を、低賃金で過酷な労働に耐える外国人技能実習生の人達を、「そんな仕事にしか就けない自分達が悪い」「金が欲しいならもっと努力しろ」と一切努力せずに時の運で今の仕事にありつけた無能な人間が、一生懸命働いてる人達に罵詈雑言を浴びせるのである。社会は彼等エッセンシャルワーカーが支えているのであり、大して働かずに莫大な給料を貰う人達は感謝するどころか、誹謗中傷を浴びせ続けるのである。これはちょうど、生活保護を受ける人達の態度が役所や病院で最悪なのと同じで、人は自分が恩を負ってる相手をしばしば憎むのだ。

 

 まあそんな風に、仕事ができる人を侮蔑し、誹謗中傷してきた結果、今の日本がある。人手不足が蔓延し、大企業は自分達の所に仕事ができる人がいないので、複雑で価値のある仕事は全てが外注する。ここでも仕事のできる中小企業は舐められ、無能な大企業はやたら偉そうだ。中抜き業者も盗人だからとても猛々しい。そうして仕事をする人をバカにしてきた結果、当然のこととして日本の経済成長は衰退し、技術で戦えなくなり、キットカット吉野家の牛丼も、どんどん高くなるかリニューアルと称して中身が減ってきている。まあ今までが、大した仕事もしてないのに贅沢をしすぎていたと考えれば、妥当なのかも知れないが。それでも相変わらず街はグルメだのファッションだの下らない贅沢のために大勢の人が出歩く。ロクに仕事もしてないのに、よくもまあそれだけ快楽を享受できるものだと、会社の無能だけどやたら偉そうなおばさん達を見てて思う。彼女らは海外旅行の話が大好きだが、学歴も教養もない連中が海外にいくことに価値があるのだろうか。多分、猿が宇宙に行くことより遥かに無意味だろう。無駄な仕事をして威張る連中というのは、無意味な贅沢に身をやつしたがるし、無意味なおしゃべりしかしない。小泉進次郎が無意味なおしゃべりを大好きだったのと同じだ。彼は自分の無意味なおしゃべりに酔いしれ、意味のある質問をされると、酔いを台無しにされたことでとても不機嫌な顔になった。おいしいノドグロのことを語ることが彼にとって素晴らしく崇高な仕事で、それを否定されるのは何にも増して許せなかったらしい。

 

 ついでにいうと、残業する人というのは、仕事をしていない。強制される場合は別だが、大抵の残業アピールをする人は同じ会社の若くて可愛い女の子にモテたいだけで、無意味なことしかしていないし、そいつの残業が果たして会社の利益を生み出してるのかと、精査してみるといい。僕の会社で残業しまくって会社の利益を食いつぶしてるオッさんは、会社をキャバクラか何かと思っていて、キャバ嬢に必死にアピールすることを仕事だと思っている。当然、彼が利益を生み出すことはないし、誰の役にも立つことはない。無能の天下り役員のハゲは、このオッさんを、仕事熱心だということでいたく気に入っている。無能同士、惹かれ合うものがあるのか、無能が無能を重用するという世の中の仕組みが見て取れる。

 

 仕事ができると舐められて退職に追い込まれるが、そうでないと、サボってると女に陰口を言われて、上司から罵詈雑言を浴びせられるパワハラを受けたり、鬱病になるまで追い込まれたり残業や休日出勤を強要されたり、無視されたり仕事を干されたり、退職に追い込まれたりという立場の人も多いだろう。だがいずれにせよ、「仕事ができると舐められる」という真理を否定する理由にはならない。人を舐めることを何か崇高さの証として是認する場合を除いて、であるが。