徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

仕事が「デキる」「デキない」という謎の基準

 「あの人は仕事できるからね〜」と言われてた管理職が突然、会社をやめた。何でもその人が抱えていたプロジェクトが欠陥だらけだったらしく、責任を追及してたらやめてしまったとのことだ。その管理職は見た目はイカついガテン系のオッさんで、声もデカく、ドスの効いた喋り方をするので、仕事がデキると思われていたのだろうか。世に言われる仕事がデキるデキないという評価は多分、見た目とか雰囲気で決まるんだろう。見た目がオタクっぽかったり陰キャラだったりすると、「仕事がデキない」のレッテルを貼られ、その逆なら「仕事がデキる」と評価される。「仕事がデキる」人達は上手い具合に陰キャラ社員に面倒なことを押し付けたり責任逃れしたりして昇進していく。僕の会社の辞めた管理職の人はそこをミスったのだろう。


 そもそも小説家を目指す僕にしてみたら長文を書けない人は仕事ができない人だし、読書しない人は仕事ができない癖に努力もしてない人だ。そういう目で見たら世の中のあらゆる人が、僕にとっては仕事が出来ない。だのに、会社内で大声を出してたり、スポーツ経験者だったり、責任逃れが上手いと、「仕事がデキる」と言われるから不思議だ。


 そもそも仕事って、生きるためにする最小限のことでいいのに、それが「デキる」って余計なことをしてるだけじゃないだろうか?生きるために最低限必要なことに関しては、「する」か「しない」かって話になる。それが「デキる」「デキない」の話になるのは呑気な証拠だろう。多分職場を、演劇場か何かと勘違いしているのだろう。特に女性の社会進出によってこの風潮が強まったような気がする。無能なのにイカついだけの男とか、家庭持ちの男、声がデカい男が仕事が出来るとされ、大人しいがしっかり仕事をこなすタイプの男は「キモい」と罵られ評価されないようになったのではないだろうか。そして女は「仕事がデキる男はモテる」という謎の理論を語るが、その実はイカついDQNみたいな自分好みの男を仕事が出来ると仕立てあげてるだけだ。だから日本の技術職は衰退したんじゃないかと思う。無能だけどイケてる振る舞いをする人間ばかり重宝してきた結果、中身が伴わなくなってしまった。


 先にあげた管理職も、女性の評判は概ね悪くなかったが、オタクっぽい男性社員への当たりのキツさは異様なほどであった。僕はそいつの下で働いてた時期もあり、その仕事の杜撰さには常々呆れていたが、指摘・反論でもしようものなら逆ギレの嵐だ。一度その管理職にキレられた時も、僕が悪いという風潮が社内に出来上がっていた。理由は簡単。その管理職は仕事が「デキる」と思われていたからだ。


 まあそんな風に、プロジェクトが欠陥だらけだったと気付かずにその人が「仕事がデキる」とずっと言っていた周囲も悪いので、別にそのオッさん一人の責任ではないと思う。

散々「仕事がデキる」と持ち上げておきながら、会社の損失に繋がるプロジェクトの欠陥が発覚した途端、処分の対象にしたのだから(同情はしない)。


 怖いのは、周囲の人達やそのオッさんを持ち上げてた女性までが、「あの人は極悪人だった」みたいにあっさり掌を返すところだ。男はこういう所はあまりない。志村けんが死んだ途端に死体蹴りをするフェミニストみたく、バッシングの嵐でる。志村けんを叩いているフェミニスト達も、生前は金のある権力者ということでちんぽをしゃぶりたかったんじゃないかと思う。それが死んで「弱者」になった途端に、バッシングの嵐である。女って怖い。そして、「仕事がデキる」なんて評判は、本当にアテにならない。というか、本当に仕事が出来る人といのは、芸術家くらいのものじゃないだろうか。滅多なことで、他人がその真似を出来ないのだから。ところが日本では会社で誰でも出来るような仕事を大げさにこなす声がデカい雰囲気がDQNの人間が仕事がデキるとされる。だから技術職が衰退し、世界に誇れる産業がなくなりつつある。


 さて一つ予言をしておくが、テレワークなどのリモートワークが広まって仕事の成果物が問わるようになると、これまで仕事が「デキない」とレッテルを貼られていた俗に発達障害と言われる人達の能力がいかに高いかということが、明らかになるだろう。彼らは純粋に成果物のみが問われるような仕事に、その真価を発揮する。ちょうどこのように神ブログを書いている僕のように。新しい時代には、健常者様達が築き上げてきたような「仕事がデキる」人達の働き方は、必要なくなるだろう。