徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

「人事評価」をするのは仕事ではない

 人事課なんてのは社内の人達の情報をまとめたり、部署間の調整をするのが仕事であり、何の専門知識も経験も持たず、学歴に秀でている訳でもない人格が優れている訳でもない人達が他人を「評価」するというのは実に滑稽だ。麻生大臣が「10万円再配布の予定はない」と発言した際、まるで自分のお金かのような言い方していたのが興味深い。彼は特に専門知識がある訳でも、優れたトレーダー経験がある訳でも証券マンだった訳でもないのに、ここまで偉そうに発言できる。同じように人事課の人間も、現場経験や技術や専門知識を持たない人間が人事の仕事に就くと、あれやこれやと実際に現場で自分の手を動かしている社員にあれこれケチをつけて、評価を下げたり難癖つけたりすることを仕事だと本気で思い込んでいる。

 

 「itスペシャリストが語る芸術」というブログで、「お金を稼ぐには、モノを売る、作る、サービスするという手段が必要。それ以外の手段は全て虚業であり、そんなものを仕事とは言わない」と言われていた。現場経験を持たない人事の人というのは大抵は、マトモに仕事をしていないことにる。それならばせめて、他の社員のサポート業務に徹するか、暇な仕事の合間に専門技能についての勉強でもすればいいのだが、そんな無駄なことをする暇はないとばかりに、会議や打ち合わせに邁進し、そこで他の社員の悪口陰口噂話という「評価」をし、それで仕事をしたつもりになっている。

 

 そして驚くことに、(実際は驚くに当たらないのだが)そんな無能な人事ほど、他部署の人間や若い女性社員からの評判をとても気にしている。それで、どんな行動に出るかというと、社内で嫌われてそうな人や、大人しいタイプの人、女性社員の評判が悪そうな人に対し、噂話だけで低い人事評価を下してパワハラをし、退職に追い込んだり鬱病やひどい場合には自殺追い込んだりすることで、社内の他の部署に自分達の功績をアピールしようとする(教師にもこの手の人間は本当に多い。大人しそうな生徒には当たりがキツく、運動部やうるさい生徒には甘い。そうすることで陽キャ生徒の『おこぼれ』を貰うことに生きがいを感じている哀れな教育者だ)。何の技能も経験も専門知識も持たない人が、懸命に働いている現場の人を噂話や評判だけで偉そうに評価し、実際に現場を見たりその相手と仕事について深い議論をした訳でもないのに、低い評価をつけたり給料を下げたり、閑職に追いやったり退職に追い込むことで、自分達は立派に「お仕事」を果たしたと本気で思い込んでいる。人事と書いたが、ロクな経験も専門知識も持たない管理職にしても同様である。経験がないから自分の信念も矜恃もない。だから、どんな部下であっても守り育てるという考えもない管理職は掃いて捨てるほどいるし、そんな政治家も多い。人事部とは本来、専門技能を持たない無能の集まりである筈なのに、女子社員にモテたいがあまり、自分の職域を超えて暴走してしまった連中なのである。可哀想な連中だ。他人を評価する立場になると、どんな無能でも自分は偉くなったと勘違いしてしまう。だから人は、誰にも強制されなくても、自分で自分を律し、教養や哲学などを、学び続けないといけない。それをしない社会人は、畜生にも劣る。多くの政治家もそうたが、徳も信念もなく他者を評価する立場になった人の顔の醜さといったらない。その下卑た下品な笑い方は、その会社の先行きを如実に表しているだろう。もっとも、そんな会社に喜んで居座る人間の方にも、非はあると言えばあるのたが…。