徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察

パワハラする人の不思議

 

 パワハラをする人は不思議で、パワハラをする本人にとって何一つ得なことはない。よくパワハラする人は出世が早いとか女の子にモテるとか何とか言われるが、それは別に得なことでも何でもない。前コロナ担当大臣だった西村恫喝大臣は仲間内でもパワハラ気質だったらしいが、超がつくほどの無能であれだけバカでも大臣になれるということを証明したという意味では素晴らしい功績を残した人物だった。成る程確かにパワハラをする人間は出世するものらしい。

 

 会社に、自分の後輩の悪口を言って楽しんでるオッさんがいた。何でも大学時代の知り合いらしく、大学時代からあいつはダメだっただの俺が世話をしてやっただの偉そうに言っていた。その後輩から聞いたところによると、そのオッさんは大学時代には数々のパワハラ行為をはたらいておりそれで大学を追い出されたそうだ。追い出された先でもパワハラをしており、仕事をする暇もなさそうだ。

 

 パワハラ気質というのは大体が膨れ上がった承認欲求と性欲が原因だ。それ自体別に否定されるものじゃないし何を生きがいにするかは人の勝手だが、この承認欲求と性欲というのは他者を害することなしに満たされることは少ない。だから、自分の中でルールを決めてほどほどに満たそうとするのがよく、あまり追い求めすぎないことが大切だ。セネカ流に言うならば自然に従って生きることが大切で、贅沢は自然に背く。パワハラは贅沢な心が行う低俗な娯楽で、欲望と恐怖に抗えない弱い人間の行いだ。

 

 ロシアのウクライナへの侵略戦争も、もとはというとただのプーチンの承認欲求だろう。また、キャビンアテンダントを侍らせて楽しそうにしているプーチンのことだから、戦争がうまくいけばさぞかし自分はモテるとでも思ってるだろう。単なる承認欲求のために、何の罪もないウクライナの市民を虐殺できるのだから、承認欲求というのがいかに人を残忍にそして惨めにするのかということが分かる。承認欲求の囚われの身になると人は自分の時間を失い、人生を短くする。パワハラに邁進する人間も同様に、承認欲求のたまに自分を売り渡し、吐瀉物を他人にぶち撒け、それを拭わせることを何か高尚な趣味のようなものだと思っている。日本人であれば陰湿ないじめをニヤニヤしながらがら眺めることを洗練された趣味と思ってるようなものだ。陰湿な京都人が自分達を雅だと思うようなものか。パワハラを働く人間は自分に酔っており、単なる性欲や承認欲求に由来する自分の怒りを何か高尚なものと思い込み、自分で自分の機嫌が取れないから他者に取らせることを立派な大人の条件だと信じて疑わない。

 

 仕事のことを考えてイライラしてるからパワハラ気質になるのだろうか。雇われの身でやる仕事でイライラする価値のあるようなことってあるのか。全てはオッさんの欲の問題に過ぎない。そして信念も何もないのにやたらとオッさん達は不機嫌になれるから不思議なものだ。やたらと道義だの筋だのという言葉を使う割には、自分に逆らえない立場の相手をしっかり選んで、身の安全を確信してから恫喝する。相手の周囲の人間関係をしっかり見極め、その人物を恫喝したり侮辱したりすることで自分の株を上げようと目論む。これに失敗したのがセガの名越で、(もっとも、罰せられないだけのことを成功というのかは、容易には答えられない問題だ)彼は大人しそうな人なら「チーズ牛丼食ってそう」などとバカにしていい、いやむしろ自分の株が上がると思ってそのような発言をし、結果自分の地位を失うことになった。僅かな優越感と承認欲求を得るために、全てを失った分かりやすい例だと思っていい。もっともそのような人物はいくら金や地位があっても貪欲故に常に渇望を感じ続けるだろうから、資源の無駄遣いをしないためにも自分自身のためにもよかっただろう。自らの承認欲求のために社会を破壊するだけ破壊した小泉進次郎みたいなのよりは、裁かれてるだけマシな人生かも知れない。

 

 会社に、何でも否定するだけで建設的な意見を何も言わない若い女子社員を虎視眈々と狙ってるニヤけ面のオッさんがいた。「それは〇〇じゃなくて△△だよ」。どこかのインフルエンサーが多様する表現だが、本人は何か当意即妙な知的な意見を言ったつもりだろうが、箸にも棒にもかからないただ「反応」しただけの言葉で、そもそもそんなものは意見ではない。にも関わらず、このように無意味でかつそれを聞いた全ての人のモチベーションを下げるだけのような発言しかしないパワハラオッさんは沢山いる。自分の口の適当な「反応」が優れた知見だと思ってるのだから始末に追えない。熟慮されたものが何一つなく、発言それ自体が子供のおしゃぶりのようなものだ。口元を動かすと、幼児に逆行できて安心できるだろうから喋るのだろう。赤ん坊の発言だから、建設的なものは何もないと考えるのが妥当か。もっとも、赤ちゃんは可愛いが、オッさんは醜い。幼児退行プレイがしたいなら、そういう風俗に行けばいい。会社で給料を貰ってすることではない。

 

 赤ん坊の発言は意味不明で不思議だ。だからパワハラをするオッさんというのもいちいち意味不明で不思議だ。長く生きてるから反動で幼児退行してしまうのか、それとも単に本当に幼稚で低俗だからそういった存在を目指しているのか。いずれにしても醜いことに変わりはない。

 

 彼等は何故か常にすこぶる不機嫌で、電車とかでもしかめっ面でアホ立ちしている。常に娼婦でも隣に侍らせておけば彼等の顔も少しは緩むのだろうか。貪欲に任せて稼いだ金なのだから、そんな使い方の方が彼等にはお似合いだが、実際はしつこく溜め込み、会社で女の子を物色しながら金を貰い、またはち切れそうな承認欲求を膨れ上がらせる。

 

 またパワハラするオッさんがしてるのはつまらない仕事が本当に多い。どうでもいい単純作業や同じことの繰り返しやらで、「ちゃんとやる」とか「気持ちに応える」とか訳の分からないワードを連発してどうでもいい仕事を部下に押し付けて何一つ会社の利益を生み出さないにも関わらず悦に浸る。そして売上や結果が出なければその責任を仕事を押し付けた部下にそのまま続けて押し付ける。強いていうなら押し付けることが彼等の仕事で、そうすることで延命を図ってきたし、逆にそれくらいしか仕事らしい仕事がない訳だ。その一環で若い人を退職に追い込み、追い込んだ自分は被害者面して更に承認欲求を満たそうとする。

 

 結局欲望も自分自身もコントロールできない人間が、一時のごまかしや延命のたまにパワハラを行うケースが多い。いずれ去らなければならない場所に卑劣なハラスメント行為を働いてまでしつこく居座ろうとすることほど醜いこもないだろう。職場であれ、人生であれ、最終的に去らない人などいないというのに。

 

 自分より若い人が職場を辞めているなら、その若い人より年上の全ての人間は卑怯者だと思って差し支えない。若い人に転職の手間と気苦労を押し付け、自分は同じ職場で承認欲求を満たそう性欲を満たそうとやきもきしながらのほほんと過ごす。若く退職した人は、若く夭折した人と同じく敬虔な存在として、職場にエーテル的な痕跡を残す。死者を供養し敬うのは彼等の影響が今なお偉大だからで、職場にしても若いして辞めていった人達に多くを負っているということを肝に銘じるべきなのである。

 

 パワハラが危険なのは、ともするとあらゆる意味で死者を冒涜することだからだ。そんなことをする人間はやはり、あるゆる意味で救いようがないのである。