徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

若者は打たれ弱くない。むしろおっさんの欲望に際限がないだけ

 「最近の若い子は打たれ弱くて〜」と、仕事しないおっさんが職場で嘆いていた。しかし、そのように言われている側の人は僕の後輩にあたるのだが、むしろ真面目で仕事熱心で、おっさんのどうでもいい仕事にも文句一つ言わず丁寧に取り組んでいて、メンタルを壊さないかと心配になったものだ。その人がおっさんが振った仕事について、「これ以上はできない」ときっぱり断ったら、おっさんは不貞腐れて周囲の人にその後輩について「最近の若者は打たれ弱く根性がない」と吹聴していた。そもそもおっさんが依頼していたのは必要のないどうでもいい自己満足でしかない書類の作成で、他の仕事でも忙しくしている人に振るのはあまりに無神経だと側で見ていて思った。その後輩はむしろ根性があるから沢山の仕事をこれまでこなしていたのであり、打たれ強いから理不尽にも耐えてそんなクソみたいなおっさんがいる会社にも自殺せずに出社しているのである。おっさんの承認欲求というのはそれだけでハラスメントだ。満たすために会社の若い人を利用する。その様はまるでボケ老人がヘルパーさんに自分の糞尿の処理をさせてヘラヘラ笑っているかのようだ。ボケ老人はまだ仕方ないとして、一般にまだボケではいないとされる年齢のおっさんにそんな人が溢れかえっている。ボケ老人よりボケたおっさんが、金も払わずに自分の介護を若い人にさせているのが日本の会社である。

 

 最近の若い人は、打たれ弱いどころかむしろ、不況の日本に生まれ、小さい頃から習い事だの学校でのカーストだの教師や就活からのコミュニケーションハラスメントだので、あるゆる面でおっさん達より遥かに厳しい人生を生きてきていて、社会に出る頃にはもうボロボロになっていて限界な人も少なくない。それでも、そんな過酷な環境で培ってきた精神力で、呑気なおっさん達の下らない思いつきにも黙って耐えて、懸命に仕事をこなしていく。涙が溢れるほど壊れそうになっているにも関わらず、おっさんやぶら下がりワーママは次から次へと下らない思いつきを押し付けていく。ついに耐えきれず職場から干される恐怖を押し殺して仕事を「断った」ら、おっさんは盛大に逆ギレして若い人の悪口を周囲に吹聴して、そうした形で承認欲求を満たす。あいつを一生懸命指導してるのに裏切られた。自分は一生懸命指導してた(実際はその場のノリで下らない思いつきを押し付けていた)のにあいつは仕事を放りだした。周りのみんな、僕は被害者です労って下さい。女性社員はおっさんの僕に優しくして下さい。会社の重役達は僕を高く評価して下さい。こうして仕事を押し付けるおっさんにしたら、後輩が潰れても潰れなくても、自分の承認欲求を満たせるなんとも都合のいい搾取システムである。おっさんの承認欲求は尽きることがない。楽な若者時代を過ごして楽に評価されて、楽に金を得て楽にチヤホヤされて楽して快楽を得てきた世代である。だから、日本の経済状況がどうであろうと、自分の快楽を追求することをやめない。そのために最も都合よく利用できるのが、自分の会社に入ってきた若い後輩達なのである。若くて何も知らないから、どうでもいい仕事でも押し付けることができる。それを感謝すらさせることができる。だから多くの企業は新卒で採用したがる。外の世界を知らないから自分達を権威づけるのに都合がいい。会社の先輩も学校の教師も同じで、狭い世界しか知らずにそこに長くいることで、後から入ってくる若い人に対する絶対的なマウントをとることが人生における喜びになる。日本のあるゆる組織にそんな風潮があるし、国も別にそれが悪いとは思っていない。だから、圧倒的に優位な立場を利用してわいせつ行為を起こす教師はいなくならないし、今日もどこかで承認欲求の強いおっさんが思いつきのデタラメを若い人に押し付けるパワハラをして自殺に追い込んだりする。若い人にとってはイカゲームもびっくりの理不尽な世界である。殺されることはないが、自殺するまで追い込まれるという意味ではイカゲームより遥かに過酷なのかも知れない。そんな若い人の中には、知的で優しくて、親切な人も多い。そして親切であればあるほど、上記のような卑劣なおっさんに利用され搾取さて、退職に追い込まれるか自殺に追い込まれるという悲しい事態になる。

 

 だからこうしたブログが必要なのである。卑劣で猥雑な欲望を持つおっさんがどんな貧困な語彙力で紡ぐ美辞麗句を使って若い優しい人を退職や自殺に追い込むか、ぶら下がりワーママや20代後半〜40代後半の醜い子持ちおばさん達がどんな風に自分を正当化し、優しい若い独身男女を搾取しているか。彼等の卑劣さと陰湿さと残忍さを、逐一余す所なく文章として記録する。この文章が真実を捉えていればいるほど、その真実はアカシャ年代記(アカシックレコード)に強く刻印され、カルマは巡り巡って、摂理を体現させてくれるのである。