徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察

仕事で(職場で)承認欲求を満たそうとする人間はクズである

 そう考えると、趣味やSNSで承認欲求を満たそうとするのはとても健全な精神と言っていいだろう。インスタ蝿SNS依存症といった人間ですら、他人に迷惑をかける度合いは仕事で承認欲求を満たそうとする輩よりは遥かに少なく、健全だ。僕の会社でも、頭の悪い人達に「あの人は仕事熱心ね〜」と噂されることが何よりの生き甲斐の残業大好き(しっかり残業代は貰うし、残業時間中に難しい仕事はせず、単純作業で時間を稼ぐ)なおっさんがいる。金への執着心だけならまだ理解できなくもないが、周りに必死に仕事熱心アピールをするあたりに、強い強い承認欲求につき動かされているのが窺える。

 

 何故クズなのかというと、仕事の殆どは誰にでもできるもので、それを使って承認欲求を満たそうとするのは、他人のふんどしで勝負している癖に、それが自分の素晴らしい創造力や才能のお陰であると吹聴してるようなものだからである。しかも、そんな人間に限って、少し賢い小学生でも避けるような下らない思いつきを社内で自分より立場の弱そうな人間に押し付け、崇めさせ忖度させることにこの上ない快感を感じて生きている。「今度から〇〇は〜することにしよう」「〇〇について相談しろ」「〇〇のリストを作成しよう」「〇〇も考えなければいけない」

 

 上記のような発言はいずれも「思いつき」というのであって、「考えられた意見」などでは全くない。仕事というのは、必要に応じて、理性に基づいて考えられた思考から意見を発したり、行動に移すべきものであり、「思いつき」というのは、私生活の場で聞いてくれる人だけに向かって話すべきものである。例えば、ブログのように。もっとも、このブログにしても、最低限日本語として成り立つように苦慮してはいるので、会社でロクに意味の通じる日本語も話せない癖に、どうでもいい「思いつき」を語る時だけは言語明瞭意味不明に雄弁になるオッサン達の生き方よりは、遥かに誠実と言えよう。

 

 こう書くと、「では漫画家や芸術家も承認欲求のために仕事してるからクズなのか」という意見が出るかも知れないが、それには、「漫画家や芸術家が過度に他者の目線に振り回されると、自由さを失い作品の質が落ちる」という言い方で答えることができる。普通の仕事でもそうだが、結局、承認欲求を目的に自己実現を果たそうとすると、自由を失い、自分らしさを失い、自ずと他者からの信頼も失うことになるのだ。

 

 よく「パワハラをした〇〇さんは仕事熱心で〜」などというバカがいるが、承認欲求が強い故にそれを満たそうとヒステリックに他人に当たり散らす人間に、仕事熱心な人間などいない。彼等は仕事熱心なのではなく、承認欲求の獲得に死に物狂いであるだけだ。ヒステリックにガキのように怒鳴り散らすのも、そうすれば女性社員の女性本能を刺激してヨシヨシして貰えると思ってるのかも知れないが、ひたすら気持ち悪いとしか言いようがない。パワハラする人間は例外なく女々しく、どうでもいい仕事をして他者に過剰に称賛されることを何より望み、承認欲求の奴隷となってる生き物なのである。

 

 仕事とは、あくまで生活のためにやるもので、私生活の場で、自分で自分を承認できる習慣をつけるのが、マトモな大人というものである。それはブログを書くことであったり、趣味に打ち込んで人と交流することであったり、創作活動に励むことであったり、或いは何かにハマったり(時には依存するまでに)、夢中になることであったりする。時には過剰になって依存症と呼ばれる状態にまでなることがあるかも知れないが、職場で承認欲求を満たそうとする人間よりは遥かに健全で他人への迷惑も少ない。仕事は、理性に基づいて自分の下らない思い込みを排除して淡々とクールに時間内に終わらせてさっさと帰ることが「徳」であり、必要もない仕事をダラダラと引き伸ばして残業代を稼いでなにより承認欲求に執着する人間は、放射能を撒き散らすような迷惑な存在だと言っていい。社内の女性にモテたいなら街に出てナンパするなり風俗に行くなりして性欲を満たす方法を考える方がいい。女性の目を気にしてどうでもいい思いつきを大声で喚き立てるおっさんにマトモな人間はいない。女性も女性でバカだから、声がデカい人間が何か男らしく立派な仕事をしてるのだと思い込み、そんなおっさんをおだてあげてますます無駄な仕事が増える、この悪循環が生じたコミュニティはどんどん経済レベルが下がる。何せサッカー選手でもないのに、下半身に仕事が支配されているのだから。

 

 承認欲求に支配された人間は、簡単に粗野で残忍に、暴力的になる。もともと知性が足りないから、自分で自分を承認するためのキャパシティが頭にも心にも足りないので仕方ないのだが、どうでもいいことでいちいち声を荒げ、一銭も会社の利益にもなりはしない下らない自分の思いつきに固執し、女子社員の目線にヤキモキして一喜一憂し、誰でもできる仕事でミサワのバイトリーダーようにドヤ顔をし、アホ面をしながら寝言を発し続けるのである。そんな例が見たければテレビをつけて政治家やどこぞの知事を見ればいい。「勝負の3週間」やら「金融機関と組んで脅す」などとかっよく発言したりすることを通して、ドラマの主人公になったような気分で、承認欲求を満たす政治家の姿がそこにはある。東京オリンピックの開会式が、いかに下らない「思いつき」によって制作されたかということを考えても分かりやすいと思う。出しゃばりな人間は仕事熱心なのではなく、頭が悪く創造力もない癖に、承認欲求が強いだけなのである。頭が悪いから金が発生する原理も分からない。だから平気で中抜きもできる。過度の承認欲求で脳ミソが溶けた人間でもなければ、あんな意味不明でちゃちい開会式にはならなかっただろう。制作者が、自分を観察する癖がなかったことの証でもある。常に他人に称賛を求め忖度を求め、承認欲求を無理矢理満たし続けてきた結果、国民というより多くの他者から承認されるどころか、呆れられることになった。もっとも、この手の承認欲求の奴隷は、他人に呆れられているのを、感心されていると勘違いして、愚かな思いつきを永遠にやめられなくなっているので、決して改心することはない。やがてやってくる勘違いが積み重ねた故に戻ってくる歪みから生じる大きな痛みとともに、学ぶしかないのである。