徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

コロナと承認欲求

 

 別にコロナに限らず、街で遭遇する歩きスマホや電車内で遭遇するトナラーや飲食店で遭遇するクチャラー、意味不明なポエムを語る政治家や上司、俗に毒親と言われる人達に共通するのは、彼等が承認欲求を生きがいにしてると言うことだ。ブラック企業の経営者や、いじめやあらゆるハラスメントを行うものも、承認欲求が強く、世間や常識に所属したり、それらに従うことを至上の生き甲斐としているからである。彼等はテレビを教祖に明日行列を作る店に聖地巡礼に赴き、テレビがコロナの危機を煽れば審判の日の到来のようにコロナ禍という仰々しい名前まで考え怯える理由を作り、それに皆で立ち向かうという「構図」に一体感と絆を感じ、日々をドラマチックに過ごせることに喜びを感じるのである。

 

 そもそも、いつまでもコロナコロナと騒いでる連中は仕事してるのだろうか?政治家なら明日の経済を良くすることに問題が山積みだろうし、サラリーマンの分際で「コロナは歴史に残るよね〜」などと語ってる歴史に何も足跡を残しそうにない凡庸な人間が仰々しく語ってるのを見ると滑稽でしかない。テレビをつけても毎日のように、「過去最多の〜」とか「〇〇曜日では最多の〜」とか飽きもせず報道し、毎日ギネス記録を狙ってメディアはさぞかし張り切ってるのだろう。

 

 何かよく分からない危険なウイルスがどこからともなく発生して、それに果敢に立ち向かう私達、という構図が欲しいのかも知れないが、そんなものを有り難がるのはよほどの暇人か、世間への所属と承認の欲求に飢えた情けない人間だけなのである。本当に苦しいなら、哲学や思想に救いを求めるのだが、そこまで至らずに、ただぎゃーぎゃー騒いでるだけである。まるで、コロナ禍とやらが収まったら都合が悪いかのように。実際、都合が悪いのだろう。仕事をしたくないことがバレるし、テレワークの言い訳もなくなるし、自分の現実の問題と再び向き合わなければならなくなるからだ。だが、自分の問題から逃げて、他者と馴れ合いどうでもいいことに騒いで共感を覚えることに逃げるというのは、自分の問題を他者承認の問題にすり替えて、誤魔化してるだけなのである。だから、根本的な問題はなくならないし、経済や自然災害その他様々な形で、それを思い知らされる時がくる。実際、窮地に立ちば自粛だのマスクだのそんなことは言ってられない。コロナで騒ぐバカは、地震や洪水に苦しむ人に、いちいちマスクをつけろと注意しに行くのだろうか。

 

 会社勤めの人は、周囲でコロナについて「ヤバいわ〜」とか「歴史に残るよ〜」とか語ってるバカがいたら、その人の普段の仕事ぶりを思い出してみるといいと思う。例外なく無能で怠慢で気まぐれのくせに、承認欲求だけは強く周りに害毒を振り撒く人間だと思う。僕の会社でも例外ではない。年齢を問わず、暇人ほどコロナがヤバいヤバイと大騒ぎする。言ってる本人が一番ヤバい人間だが、そんなバカを許してしょーもない制度やワクチンの推奨をする愚かな会社も後を絶たない。ワクチンを打つより、社内でのハラスメントを根絶して社員の精神衛生を良好に保つ方が、免疫力も向上して感染者数も減るだろうに、そんなことには金輪際取り組もうとしない。見せかけだけは、ハラスメント研修だの何だの開催するが、それが有効に働いた会社を僕は知らない。

 

 この手の連中は、「コロナで騒ぐこと」という世間一般に良いとされている「常識」を履修することで、何か人生における責務を果たした気になっている。自分の本来の責務を放り出すことにいかにもな正当性をまぶして。だが、どこまで行ってもコロナはただの風邪で、必然に従って危険性も軽く見られていくようになるだろう。実際、素早く広まるということは毒性が弱いからで、変異だって、どんなウイルスにもある。インフルエンザの株が毎年変わることには騒がない癖に、コロナだけ槍玉にあげられてかわいそうだ。それもそのはず、承認欲求が強い人間がいじめやハラスメントに走るように、コロナも卑劣な人間の承認欲求のために悪者にされているのである。

 

 承認欲求をコンパスにしてる人間は、簡単に卑劣で残忍になる。善悪の基準が「他人にどう思われるか」だから、大勢が許しさえすればいじめにも殺人にも平気で手を染めるのだ。自分の信念がなく、集団との一体感が生き甲斐なので、歪んだ正義感は歯止めが効かない。マスク警察や自粛警察の異様な行動を見て貰えばわかるし、金融機関と結託して飲食店を脅そうとした大臣もそうだ。パワハラをするおっさんも常に他人にどう思われてるかを心配してビクビクしてるし、周囲の人に媚びるために、少しでも弱そうな人間や嫌われてそうな人間を見つけると、率先して怒鳴りつけたりいじめ抜いたりすることで所属している集団に「アピール」している。

 

 トナラーは他人がいないといちいち自分が座る場所を決めることもできないし、クチャラーは聞いてくれる人がいなければ物を食べることもできない。そして歩きスマホは他人にぶつからないと目的地にたどり着くこともできない。毒親は子供を緩衝材にして世間に媚びないと自分では何も決めることはできないし、パワハラ上司はパワハラを行う部下がいなければ存在理由を失う。コロナが本当に終息して一番困るのは、他ならぬ今コロナで大騒ぎして、承認欲求を満たそうとしてる連中なのである。