徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

仕事してると、仕事してないと思われる

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 大体職場で「あの人は仕事できるね〜」と言われるのは声や動作が大げさだったり、無駄に駆け回ったり忙しい「フリ」をしている人間で、黙々と淡々と着実に仕事をこなしていると、「あの人何してるの?仕事してないでしょ」なんて言われたりする。

 

 そもそもそんな風に言われる人は舐められているので、いくら真面目に仕事をこなした所で評価はされないし、自分なりに頑張ろうと黙々と仕事をこなしていたら「仕事してない」などと噂されるのだからたまったものではない。これが、優秀な人が退職していく多くの理由で、このようなことが起こるのもやはり、会社がある意味で学校だからである。

 

 学校には厳格なスクールカーストがあり、運動部やヤンキーの生徒の地位が高く、彼等は教師や異性から「優れたコミュニケーション能力を持ち、積極性のあるいい人間」と見做される。一方の大人しいが真面目に勉強するタイプや、休み時間に図書館で一人で本を読んでいるような生徒は、「真面目だが面白みがない」「勉強はできるかも知れないがコミュニケーション能力がない」などと教師から誹謗中傷を受ける。教師はスクールカーストが上位の人間と接することでその「おこぼれ」を貰うことが期待できるので、まあ大人しい生徒を嫌う理由は分からないでもないが、そこまでして青春の残滓を味わいたいなら、高校でも大学でも再入学して、青春をやり直せばいいだろうに。まあ「教師」という絶対的な権力者の地位を、そうそう簡単には手放したくないのだろう。

 

 これと同じく、会社でも真面目に仕事をする人はちょうどスクールカーストにおける下位の存在だからと、舐めたりバカにしたり見下したり、ひどい場合は退職に追い込んだりするといった職場は沢山ある。というか、大して働かない日本人の職場では、みんなやることや議論することがなくなって、あいつが仕事してないだとか何だとか、誰と誰が付き合ってるとかいないとか、そんな下らないことしか会話のタネがなくなる。仕事に関係する話でも学問の話でも芸術の話でも世界情勢の話でも、もう少し教養に溢れた会話ができてもよさそうなものだけど、教養の話をするのはとんでもない恥だとでも言わんばかりに、下劣な噂話に花を咲かせ、ただでさえ劣悪な職場の空気をさらに悪くする。噂話というのは麻薬のようなもので、言ってるその時は一瞬気持ちよくなっても、必ず言った本人を蝕み、その時に得た快楽に対応するだけの苦痛を本人に与える。セネカ流に言うならば、悪口を言った人は、言ったという事実そのもので既に自分を害している、といったところか。

 

 そもそも日本人は仕事をしていないから、円の国際的な力が50年前並みに落ちているのに、まだ職場で陰湿な陰口を蔓延らせて空気を悪くするということは、余程人生に余裕のある人たちなのだろうと思う。寸暇を惜しんで哲学をする社会人がいる一方で、寸暇を惜しんで噂話に花を咲かせる時間の有り余った人達がいるとうのも、なんとも不思議なものだ。

 

 かくいう僕も街中や電車で、視界に入る人を毎度毎度悪く思わずにはいられない。だからそういう時は必死で、哲学書や優れた思想書を読み耽ったりして劣悪な人物や言葉を頭から追い払うようにしている。仕事にもそういう側面がある。仕事に真摯に取り組んでいると、次から次へと課題が見つかり、他人の噂話などしてる余裕がなくなる筈なのだ。だから、人のことを「仕事してない」などと言ってる本人が大抵の場合仕事がないのであり、退屈を持て余してるということだ。本人は仕事をしないのに職場に長く居座り、沢山のお金を貰い、暇があれば陰口で自分の品位を貶める。地獄に堕ちた魂でも、こんな連中よりは有意義な時間の使い方をしている筈である。とはいえ、それが人間の本能のようなもので、目の前にぶら下げられたニンジンに向かって走り続ける馬のように、こうした人間は目先の快楽に取り憑かれて悪口・陰口を言い続けるだろう。社会進出した女性の大半は、職場におしゃべりをしにきている。単なるおしゃべりならまだしも、この人達は大抵人のことをあれこれ言って自分自身も含めあらゆる人達の気分を害する。このような職場がありふれた末の日本経済の行きつく先がどうなるかと言うのは、物価の上昇といった様々な形で目に見えるようになっている。そうして物価が上がり生活が不便になれば、彼女らはまた愚痴をこぼして、その場しのぎの気晴らしを求めるだろう。