徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

咳払いは底辺の自己申告

 

 コロナがこれだけ流行ってる昨今でも、カフェや電車で大きな音を立てて咳払いする輩が尽きない。本人は何か威厳でも示しているつもりなのかも知れないが、うるさくて不潔で迷惑なだけであり、わざとやってる分、電車内で赤ちゃんが泣き喚くより遥かにタチが悪い。

 

 公共の場でしつこく咳払いをする人間は、それだけで底辺だと思って差し支えない。多分社会的にも底辺だろうし、何より人間として底辺だ。後者の問題の方が本人にとって深刻である。なんせ、何もしなければマトモな人間と見做される場で、わざわざ大きな音を立てて自分を底辺にまで貶めてるのだから、ご苦労なことだ。

 

 痰が絡むならしずかに飲み込めばいいし、大きな音を立てる必要性なんかどこにもない。にも関わらず大きな音で咳払いをするのは、承認欲求が強いからに他ならない。承認欲求を満たしたいならブログを書くなりストリートミュージシャンでもやればいいのに、わざわざ「ウオッホン!」とゴリラでも出さないような下品な音を立てて、不快感と下劣さを周囲に振り撒き、本人は素晴らしい美声を披露したかのように満足そうな顔をしている。近頃はトナラーとかクチャラーとかキーボードをバチバチ強く叩く人間とかカフェで電話をする異常者が沢山増えた気がするが、咳払いするおっさんもそうした種族の一員なのだろう。承認欲求満たしたい族の特徴として、本人は無能で何の取り柄もないし難しい努力も何もしないのに、周りからチヤホヤされたいと思っているというものがある。学校では教師が何の努力もなく自分の言葉が神のように崇められることが当たり前だと思い、そうした承認欲求が満たされないと思うとキレ散らかし大人しい生徒に校則がどうとかネチネチと執拗なハラスメントを行う。運動部などの目立つ生徒には決して行わない。無能でついでに陰湿な人間の承認欲求に随分と甘い世の中になったと思う。勉強ができなくても殺されることのない世界だから、低学歴は自分が頭がいいと信じて疑わないし、何故か地頭は高学歴よりも優れていると本気で思い込んでいる。ミサワのバイトリーダーみたいな上司や先輩はそこかしこに溢れかえっているし、彼等のマウント行為は留まるところを知らず、また性欲も限りなく、配偶者がいようが常に職場の若くて可愛い女子社員に虎視眈々と狙いを定めて、いかにして彼女達とお近づきになるかに全神経を集中させながら仕事に取り組む。無論、肝心な仕事は部下に押し付けるか外注するかで、全く「仕事に取り組んで」などいないのだが。

 

 チヤホヤされたいなら、勉強するなり読書するなり何か芸術の分野で努力するなり自分で色々調べるなりブログでも書くなりツイッターでバズるように必死に呟くなりなんなりいくらでもやることがあるだろうと思う。適当な思いつきを自分が逆らえない相手に垂れ流して押し付けたり、注意されないのをいいことに公共の場で大きな音で咳払いをするなんてことをして他者の注目を集めたいのだろうか。こんな人間が殺されない世の中はどうかしてる。世が世ならあっさり刺し殺されているだろう。もっとも日本が、そんな世界になるまで、もうあまり時間は残されてないのかも知れないが。