徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

仕事しない癖に人を過労死させるのが日本人

 職場で少し周りを見渡してみると、これがまあ仕事しない人間で溢れている。下らない旅行やら家族やらの話をしながらお菓子を頬張り醜い笑顔で楽しそうにお喋りしてるぶら下がりワーママとか、思いつきのどうでもいい仕事をいかにして部下に押し付けるかと虎視眈々と考えながらネットサーフィンしてるハゲたおっさんとか、パワーポイントで一銭の利益にもならないグラフやら表を作成するために必死の形相でお絵描きして遊んでる暇人とか、必要もないプレゼンの準備に血眼で勤しんでる人とか、下らないその場の個人の感想を互いに垂れ流し合うだけの不毛な会議をしてる不要な人達で、日本の大半の職場は成り立っている。働きバチの原理で、別に75%は適当に働いてるか全く働いてないかというのは自然の摂理なのだが、問題はこのロクに働かない75%が大人しくせずに、自らの承認欲求のために25%の一生懸命働く人たちにどうでもいい仕事を次から次へと押し付けることにある。自分達は仕事もせずに遊んでいるだけなのだが、だからといって真面目に仕事してる人が評価されるのは面白くない。何か下らない仕事を思いついて、それを25%の一生懸命働く人たちに押し付けることで働かなくてもマウントが取れるようになるのだ。中抜きなんかもこのタイプである。盗人猛々しいという言葉の由来はここにある。ぶら下がりワーママの大半が自分は何か人間一般の本質を見抜く能力がある特別な人間だと考えてさっさと帰って独身に仕事を押し付けるのと同じように、働かない人間は次から次へと下らないことを考えついて真面目に働く人の邪魔をする。丁度コンビニのレジで低賃金で忙しくこき使われている人達にさらに余計な手間を増やした、小泉進次郎環境大臣のように。

 

 日本の経済成長が停滞してるのも、労働生産性が低いのも理由はシンプルで、単に働かない人が多いというだけの話だ。過労死する人達は、働かない人達の承認欲求のために下らない仕事で使い潰されて殺される。過労死も過労自殺も、全て他殺なのである。承認欲求というのは人を無限に残忍にする。下らない余計な仕事を考えつく暇なおっさんというのは、チヤホヤされたくてチヤホヤされたくて仕方ない。でもそのために自分の頭や手足を働かせることはおっくうだから、自分に逆らえない相手や職場で立場の弱い相手を見つけては狙い撃ちにして適当な思いつきを押し付けて悦に浸る。

 

 思いつきをぶちまけるというのは気持ちのいいものだ。僕もこのブログに好きなことを書いていると気持ちがいい。でもそれが許されるのは、これがブログで閲覧は読者の選択肢に委ねられるからだ。職場はブログではない。自分の下らない思いつきを押し付けるのは思想の強要という憲法違反である。もっとも、働かない人間の大半は自分を天皇のように特別な存在だと思ってるので、今日も自分の部下や後輩など、自分に逆らえない相手を見つけては、承認欲求を満たすために「思いつき」というボケ老人の排泄物をぶちまけるのだ。