徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

会社は学校と同じ。だから日本経済は成長しない

 

 何故日本の経済がここ30年成長していないのかというと、働いてないからの一言に尽きる。日本人は仕事熱心で残業を沢山やってるのだから、一生懸命働いてるじゃないかという人がいるかも知れないが、彼等は学校行事や部活の延長線上で働いてるからどうでもいい準備や打ち合わせや女子社員の目を気にした合コン労働に忙しく、仕事なんてしてる余裕はないのだ。

 

 彼らにとって会社が仕事をする場ではないというのは、学校が勉強する場ではなく、アホ面した性欲まみれの教師の自慰行為のような授業をひらすら真面目な顔して板書するようなアホらしい行為を行う場であるのと同じだ。こんなことをするくらいなら読書するか散歩するか漫画を読むかアニメを観るかゲームでもしてる方がよほどマトモな勉強になるのだが、残念ながら日本の学校ではそういった真の「勉強」は「勉強」とは見做されずに、ただアホ面して机に座ってバカが黒板に汚い字で分かりにくく書く意味不明な落書きをそっくりそのままノートに書き写すことが「勉強」だと見做されている。

 

みんなで静かに授業を聴きます。偉いね。

みんなで一生懸命ノートに写します。偉いね。

先生がありがたく配ってくれた汚いプリントに書き込みます。偉いね。

先生の授業をちゃんと聞いてる。偉いね。

 

 要するに、誰も学校では勉強していない。だから、大学受験の勉強はみんな家か塾で行うのだ。

 

 社会人もこれと同じである。報連相をしました。偉いね。会議でプレゼンを行いました。偉いね。なんか電話して難しそうな話をダラダラとしてます。偉いね。したり顔でどうでもいいことを大声で相談してます。偉いね。

 

 要するに、誰も仕事をしていないのである。学校で誰も勉強していないのと同様、会社では誰も仕事をしていない。どうでもいい社内政治や人の悪口陰口ゴシップ。人事配置がどうの新しい人がどうの研修がどうのイベントがどうの社内ルールがどうの…学校の終わりの会と同じ次元で会議をしている。要するに、学生時代から何一つ成長していないのである。それも当たり前か。学校時代に勉強してこなかった日本人は、やはり社会人になったら仕事をしないのだ。だから日本経済は衰退した。

 

 外注丸投げが大好きな人達も、それが仕事だと本気で思い込んでいる。そして、「人に仕事を押し付けること」そのものに快楽と生きがいを感じ、そういう形でマウントを取ることを何よりの生き甲斐にしてる人間は尽きない。ちょうど学生生活で、勉強に関係ないスポーツやら人間関係やらでマウントを取ろうと必死になってる人間が学校には沢山いるように。

 

 日本人は基本的に、学校を卒業してからは殆ど一切自分で勉強をしない。自然科学でも歴史でも哲学でも、社会人になってからこそ面白いと思える分野は沢山あるのに、不思議なことにそういった勉強や知識には一切関心を向けず、社内ゴシップやらどうやって下らない思いつきを真面目な人に押し付けて気分良くなるかという下劣なことにしか頭を使わない。それもそのはず、学生時代から教師に追従するためだけにテスト勉強や「予習・授業・復習の黄金サイクル」なる気色悪い儀式をこなしてきた連中は、本当の意味での勉強が何か、一生知ることはないのである。彼等にとって勉強はテレビでバカな芸能人がインテリを気取ってひけらかす暗記大会に出てくる一生何の役にも立たないどうでもいい豆知識で、事物の本性や人間の生活史など、知性をより強化するような勉強には一生縁がないのである。だから、意味のある仕事を自主的にしかも賢く行うことはできないし、社内政治だけに自分の持てる全ての注ぎ込むのである。

 

 仕事は勉強とは違うというが、何も違わない。どちらも己の知性を活かして世界のために行うことであり、もし仕事がちゃんとできていないならそれは勉強がちゃんとできていないということだ。そして勉強がちゃんとできないのは、学生時代にきちんと勉強してこなかったからだ。自分の興味のあることや疑問に思ったことを丁寧に探究し、あらゆる物事の相関を広く見渡し自分なりに考察する。そんな訓練を積むことが真の勉強であり、仕事である。

 

 ところが学校でアホ面した教師の下らない思いつきに阿ることが勉強だと思い込んで本当に必要な勉強を何もしてこなかったバカは、同じように会社では権力に阿ったりバカ上司の下らない思いつきに追従するようなことを本気で「仕事」だと思い込んでいる。そうしたやり方で仕事をこなしてきたが故に、日本経済はここ30年成長していないのである。だって何も新しい価値を生み出さないアホ面した教師や上司の言うことを鵜呑みにしてそれに従い阿ることに生きがいを感じる哀れな人間だらけだからだ。敬虔さが褒められるのは神に祈るときくらいだろう。アホ面した教師や上司に阿ることを強要するこの国は、幼児を神輿に担いで舵取りを任せているようなものだ。小泉進次郎がその代表格で、現に彼は日本経済に更に大きな負荷をかけただろう。あんな人間でも暗殺されない日本は平和だ。どれだけ愚かな教師でも、教師というだけで神聖視される世の中だから。