徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

哲学者ピタゴラスの思想~時間、教養の大切さ~

 

 

 こんな顔か…?

 

 ピタゴラスというと、哲学者というよりは数学者というイメージを持つ人が多いだろう。しかし、彼の教えや生き方について詳しく書かれた本を読むと、やはり数学者というよりは哲学者である。下の本は哲学者の伝記にしては非常に読みやすく文体も洗練されていて、より深くピタゴラスの思想を理解することができる。セネカの本にも頻繁にピタゴラスが引用されるが、やはり数学者ではなく哲学者として引用されている。まだ序盤しか読めていないが、優れた思想の一端をいくつか紹介していく。(この本は紀元後300年頃、シリア人のイアンブリコスによって書かれたものなので、ピタゴラスの死後相当時間が経っており、どちらかというとローマの哲学者が書いたような雰囲気が感じられる)

 


 

ピタゴラス的生き方」イアンブリコス

 

 さてピタゴラスタレスから、他の多くのこともだが、とりわけ時間を何よりも大切にすることを学んだ。そしてその目的で飲食と酒食を、また何よりもまず大食を避け、あっさりとした消化のよいものだけを食べるようにして、その結果、少眠と鋭敏と魂の清浄と身体の健康を、きっちり確実な、揺らぐこともない健康を得た。その上で彼はフェニキアのシドンへと渡ったのだが、これは、そこが自分の生地だと聞いていたのと、エジプトへの渡航はそこから出発すれば比較的容易だろうと、正しく判断したからである。

                  「ピタゴラス的生き方」第三章

 

 7賢人の一人タレスは、青年ピタゴラスをえらく気に入り、エジプトへの留学を勧めた。エジプトはナイル川の洪水による耕地の区分の計算のために、幾何学が発達した地域である。もっとも、シュタイナー的にいうと、ナイル川エジプト人にえエーテル体の認識をもたらした。だから、幾何学が発達したし、アトランティス時代からの叡智の多くが、当時もまだ受け継がれていたのだろう。セネカも療養のためにエジプトで多くの時を過ごし、そこで多くの叡智を学んだ。イエス・キリストも一時期はエジプトに逃れており、そこで多くの神秘学の教えを学んだという。かつての賢者にとって、エジプトというのはそれだけ神聖でかつ、学問の聖地だったのだろう。

 

 また、上記の文章の中で興味深いのは、タレスが「時間の節約」をピタゴラスに説いている点である。500年後にセネカも、「人生も短さについて」という作品の中で、時間の大切さについて述べている。換言すると、「自分の時間を大切にしろ」もっというと、「自分を大切にしろ」ということである。節制というのも要するに、自分を大切にするということだ。これと反対が、「他人に振り回される」ということである。即ち、多忙である、ということだ。

 

 多忙な人は、みな惨めな状態にある。その中でもとりわけ惨めなのは、他人のためにあくせくと苦労している連中だ。彼らは、他人が眠るのにあわせて眠り、他人が歩くのに合わせて歩く。だれを好いて誰を嫌うかという、なによりも自由であるはずの事柄さえ、他人の言いなりにならなければならない

                     セネカ「人生の短さについて」

 

 まるで強迫観念に取り囲まれているかのように、著名人やスポーツ選手や鬼滅の刃を称賛したりしてる連中は、(鬼滅は実際面白いが)常に他人に振り回されて生きる、自分というものがない、つまり自分の時間を持たない多忙で惨めな連中だ。こうした惨めな連中は他人からの承認が生きがいになり、ありもしない他者からの賞賛を生涯追い求めて自分の人生を無駄にするのである。血のにじむような努力をして野心の虚しい追及に身をやつし、自分にとっても他人にとっても何一つ役に立つことはない存在である。承認欲求という麻薬がもたらす弊害は、2500年も前から人々を蝕んでいたらしい。そして無駄な残業をしたりどうでもいい仕事をさも重要なことのような顔をして見せびらかしたり、社内のスキャンダルを逐一確認することを生きがいにしてるような連中も、同様に人生を無駄にしているのである。

 

 食べ過ぎるというのも、必要以上に他人と関わりすぎることでそうなってしまう。動物はストレスがかかると副腎からコルチゾールというステロイドホルモンが分泌され、(これは気合を入れるイメージのホルモンだ)ストレスに抵抗することが出来るのだが、このホルモンが分泌されると、体は血糖値を上げようとして、あまりお腹が空いていなくても空腹感を感じてしまう…といったことが起こる。なかなか痩せられないサラリーマンは大体仕事のストレスが原因だと考えていい。そして、肥満は癌や心臓病などの生活習慣病につながる。だから本当は、生活習慣病は労災として申請できていいはずなのである。ストレスなく会社に遊びにきてるオッサンがいる一方で、真面目に働いても金銭面でも精神面でも肉体面でも全く報われない人が、癌や心臓病になっていくのだから。

 

 また、「教養」というものについて、ピタゴラスは素晴らしい言葉を残している。

 

 この教養というものは非常に素晴らしいものである。というのも、世間で褒め称えられるその他のものは、そのあるものは他人からもらうことができないしーーたとえば力、美しさ、健康、勇気などであるーーまたあるものは、それを他人に提供した人は自分ではもはや所有しないがーーたとえば資産、支配権、その他多くのものであるーー一方、教養(知識)は、他人から貰うこともできるし、また与えた人も依然としてそれを保有できるからである。同様にまた、ある種のいいものを獲得することは人間の思いのままにはならないが、教養(教育)を受けることは、本人の選択によって可能である

                      「ピタゴラス的生き方」第9章

 

 僕は、読書をしない人間というのは、相当に恵まれた人生を送ってきて全く悩みがない人か、快楽の追及に忙しく、本など読んでる暇がない人かのいずれかだと思う。真剣に自殺を考えたことのある人ならだれでも、シルバーバーチやホワイトイーグルの霊言に出会うはずだ。何なら、江原啓之や矢作直樹でもいい。彼らの著作の中にも、シルバーバーチや他の優れたスピリチュアリズムに関する本は沢山紹介されている。真剣に読むなら、必ずそれらに行きつくだろう。そして、重ねて哲学や心理学や自然科学を真剣に学んだものは、シュタイナーにたどり着く。霊学の観点から自然を正しく洞察することを学び、真理の泉で魂の渇きを癒すのである。つまりこの泉の水が知識であり教養だ。これほど霊験あらたかな恵みを享受せずとも生きていけるというのは、よほど自分が恵まれてると思っていることの証だろう。問題が起こっても、誰かが何とかしてくれる。難しい仕事は、立場の弱い人に押し付けたらいい。そんなことを考えてる人は教養とは無縁であり、価値のある人生とも無縁なのである。

 

 よく会社で仕事をしないおばさんが海外旅行やらグルメやらの話をしているが、歴史や哲学、自然科学について学び続けていない人が海外を旅行することに、何の意味があるのだろうと思う。ヨーロッパに行ってもゲーテアヌムに行かないなら、少なくともその旅行には何の価値もないだろう。

 

 「コミュニケーション能力」を重視する企業がずいぶん増えたが、これも要するに単なる贅沢の証である。つまり、企業は学生に自分たちを「レクリエーション」させて欲しいという訳だ。旅行先で横柄に振舞い旅の恥はかき捨てと言わんばかりに贅沢三昧に振舞うのと同じように、面接官や企業にとって就活生はコンパニオンで、いかにそれを楽しむかを必死になって争っている。これほど教養が軽視され快楽が神聖視された日本社会では、学問から神聖さが失われ、代わりに快楽がどんな親切や敬虔さよりも、道徳的であるとされるようになった。

 

 快楽を与えるものは、互いに奪い合うことでしか得られない。しかし教養は、互いに与え合うことで互いを豊かにするし、与え合うことでより大きくなる。だからセネカは、過去の哲人に学ぶことで、人生を無限に長くすることができ、これこそが魂が永遠を生きる唯一の道であると言った。実際、教養は人に無限も幸福をくれる。人と人を正しく結びつけるし、人と世界について、破壊的でない正しい認識を与える。だから、優れた本を読むことは、それだけで人類の平和に対する貢献なのである。本屋でこれみよがしに並べられた著名人のやたら字が大きくて文章量の少ない自己啓発本なんか読むんじゃなて、ピタゴラスの生き方について学ぶために、読書の時間を使おう。