徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

今あるいいものを活かしつつ、新しいものを取り入れていく

 

 それが一番効率がいいし、何も軋轢を産まない。だのに、わざわざ今あるものを全て否定して台無しにして、どうでもいい何か聞こえのいい新しいものを取り入れたがる目立ちたがりのバカな指導者はなぜ尽きないのだろう。こうした愚かな人間は、きっと人生において、自分の考えてを検証せざるを得ないような困難に遭遇した経験がまるでないのだろう。例えば、テストの点数が悪かった、勉強のやり方が間違っていたのかも知れない、自分のやり方を見直そう。とか、気分が優れない、過去の偉人の本を読んで精神を安定させよう、他人の考えを参考にして、自分の考えをアップデートしてみよう、とか。

 

 レジ袋廃止とか鶏のケージ飼育禁止とか電気自動車にしろだとか、いちいち今あるものを否定して慣れないものを押し付けないと気が済まないのだろうか。どんな動物も、急激な環境の変化は物凄いストレスになる。まあ動物に大変お優しい小泉環境大臣はさぞかしその分野に詳しいであろうことを期待しているが、人間も同じで、急な改革や生活スタイルの変更は物凄い負担になるし、レジ袋一つの手間をとっても、感染リスクを拡大させたり、そのストレスで免疫力を低下させたり、悪影響は計り知れない。そうした「他人に押し付けた負担」は罪としてキッチリカルマになって遅くとも死後に、他人に与えた全ての苦痛の分を償わなければならなくなるから、自己顕示欲のために下らない思いつきを次から次へと国民に押し付ける七光り大臣は覚悟をしておいた方がいい。

 

 プラスチックゴミの問題を解決するなら、分解されやすいプラスチックの開発に政府が投資したり、海の清掃ボランティアを創設したり、啓蒙するような学術調査をしたりと、レジ袋を禁止する前にやることがいくらでもあるだろうと思う。エコバックの使用者にはポイント還元率を増やすとか、そういった「正の」フィードバックを与えることが大切で、「禁止する」「有料化する」といった「負の」フィードバックが何か成果を生むことはまずないだろう。しかし負のフィードバックというのは指示する側からは楽なのだ。何か難しいことを考えなくていいし、国民に丸投げして何か立派な仕事をした気分になれるからだ。何より偉そうに振る舞う内にそれが気持ちよくなっていく。麻薬中毒の患者は自分が苦しむだけだが、この環境大臣の場合は他人を苦しめることに麻薬的な気持ちよさを感じているから既に廃人にも劣るのである。鶏のケージ飼育の禁止もそれに補助金を出すとかそうした研究を奨励するとかそういぅた建設的な政策は何もしない。ただひたすら「禁止」「有料化」と壊れた機械のように喚き散らす。そうした無理強いは結果として必ず畜産動物の飼育環境の悪化に繋がり、結果的に動物を虐待することになると今から予言しておく。ペットショップの禁止やケージ飼育の禁止がどんな悲劇的な結果を産むか、動物にお優しい小泉とクリステル夫婦はさぞかし楽しみにしているのだろう。

 

 しかもこの大臣の卑劣な所は、「これからはスプーンが無料で出て来なくなる」と、「出したくない」と表現するのではなく、「出て来なくなる」とまるで普遍の事実であるかのように言い切る所だ。自分の単なる自己顕示欲や願望から出る要求を、まるで世の中の全ての人が従うべき必然であるかのように「出て来なくなる」と天気予報でもするかのように表現する。国民に対し、お前らは俺の思いつきに従うのは当然で、俺が考えたことは全部「予定」になるんだよ、と言ってるのである。これがどれだけ傲慢で、どれだけ卑劣かということを説明し切るのは容易ではない。つまりこいつは、物事に関して自分が何か適当に発言すれば、それが世界の予定になると思っている究極的に危険な人物なのである。決まった予定だから従わない人間が悪い。自分には他人の様々なことを禁止する権利があるがそれは自分が発言した時点で「予定」になるのだから、それに従わない人間は極悪非道な存在であると、本気で思い込んでいるのである。恐らく人生で一度もまともに勉強したことがないから、自分の考えに疑問を持つという理性のある人間らしい考えなど一度も抱いたことがないのだろう。どんな状況でも適当に感想を言ったり意味不明な言葉でもとりあえず発していればチヤホヤされた人生を歩んできて、自分が何か優れた特別な才能があると本気で思い込んでいる。こんな危険人物に政治家としてのそれなりの地位と権力が与えられる日本は、国の舵取りをチンパンジーに任せているようなものだ。チンパンジーは舵をおもちゃか何かだと思い、乱暴に適当扱い、ぶち壊しにして船を沈めて嬉しそうにはしゃぎ回るのである。