徒然なる哲学日記

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日常生活の出来事にたいする考察

バカであることが仕事である人達

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 動物がおバカな行為をする様子が可愛らしいyoutubeの動画がある。子猫やペンギンのおマヌケな姿が愛らしく見ていると癒される。

 

 同じバカでもいい歳をした人間のそれは全く愛らしくなどなく見苦しく周囲にストレスと害悪を振り撒く。街で、職場で、通勤電車で、マヌケで迷惑な行動をして世の中に汚物を撒き散らす人達がいる。今日あった一例だが、思いつきで人に仕事をお願いして、しかもその期限が間近だから急いで欲しいというのだ。そもそも思いつきの仕事を人にお願いするのはとても失礼な行為だし、その期限が間近だから早くしろというのは通らない。それでもし間に合わなければ、頼まれた人に責任を押し付けるのだろうという姿が容易に想像できる。こういった人は、恐らく今までも仕事で困ったことがあったら他人に押し付けて生きてきたのだろう。今まで悪事が許されてきたから、これからも許されると考えている。しかし本当は、一度も許されていなかったのに、それに気づいていなかっただけだ。或いは、気付かないフリをしていたのか。いずれにせよ、仕事を他人事と思ってる証拠で、こんな人間が何か意味のあることを成し遂げることはないだろう。

 

 またこれも一例だが、職場のとあるおばさんに、業務上必要な資料を貸してくれるように頼んだ所、大変に不機嫌な顔をされて無視されたことがある。そのおばさんと特別何かを話したことはなかったので、恐らく僕について下らない噂話でもして悪いイメージでも持っていたのかも知れないが、それは顧客に見せる資料に必要なものなので、見せなければ結局会社が損するだけのものなのだが、そのおばさんは、会社の利益よりも、僕が気に入らないという自分の感情を優先させた訳だ。別に僕としても会社の利益なんかどうでもいいのだが、業績が悪化している会社なので給料が下がらないために必要な仕事くらいはするべきだと思うし、そのために会社の人達と協力すべきであれば、淡々と協力するだろう。ところがこのおばさんは、そんな当たり前のことを淡々とするのが物凄く嫌らしい。

 

 このおばさんは別に普段仕事を一生懸命やってる訳でもなく、特別な知識や技能や経験がある訳でもなく、その資料を作るのに何か難しいことがある訳でもなく(そもそも他の人が作った資料を保管しているだけなのだが)、要するに何ら「その人である」必要がない仕事に就いているだけなのに、何故にこんなにも偉そうに振る舞えるのだろうと疑問に思う。電車の中とかでも、特に世の中の役に立ってそうでもない、大した学歴がありそうでもない、芸術の才能がありそうでもない人が、眼球を剥き出しにした醜い顔でトナラーや歩きスマホを始めとする種々の迷惑行為に勤しんでいることがある。彼等は普段何かとても意味のあるしんどいことをやっていて、そのストレスが溜まっているのだろうかと心配する必要はない。彼等はびっくりするくらい無能で、びっくりするくらい怠慢で、びっくりするくらいバカなのに、びっくりするほど偉そうで、びっくりするほど嫉妬深いのである。その傲慢さや負の感情が何かの努力に結びつくなら捨てたものではないが、残念ながら彼等彼女らはそういった負の感情を身近な他人にぶつけることで解消しようとするから厄介だ。例えば下らない思いつきの仕事を他者に押し付けたり、業務上必要なものを探してる人を無視して困らせたり、だ。職場にどんな自己実現を求めてこういう人達が社会に出てるのかという問いに答えるのはなかなか難しいだろう。何らかの偏屈さや突拍子の無さ、意地の強さや思い込みの強さが何かの強い信念につき動かされていたのは遠い昔の時代で、今は、理想も信念もなく、ただ人に不快な思いをさせることそのものをひたすらに目的として、横柄な態度を取る人間というのが増えた。

 

 彼等の仕事(この場合は人生における役割という意味も持つ)は何であるのかを冷静に考えた結果、バカであることそのものだという結論に行きついた。バカであることを通して失敗から学び成長するとか、バカであることから周りが何か学んで成長するとかそんな深い意味は何もない。そんな立派なことが期待できるのは、バカに一欠片の理性でも残されている場合だ。残念ながら、現代社会のバカはバランスを失い限度を超えてバカになり、非道徳的なことや卑劣なことを、何か立派なことだと考えるようにまでなった(いじめを行う人間がしばしばそれを正当化し、自分は本当は誠実な人間であると豪語するようなことがある。また、周囲もそれを後押しする)。恐らくシュタイナーの言う所のバランスを崩壊させる力である「ソラト」が働いていて、バランスを取り戻す力である「キリスト」が入り込む余地が無くなっているのだろう。彼等は際限なく承認欲求を膨らませた結果、際限なく他人に迷惑をかけるという方法に行き着いた(承認欲求のために金融機関と結託して飲食店を脅そうとしたどこかの大臣のように)。やがては迷惑をかけることそのものを至上の目的に生きるようになり、完全に自分というものを失ってしまっているのである。そんな彼等に残された仕事は何かというと、自然界に岩や草が存在するように、人間の世界にバカとして存在し、バカな言動を行い、バカであり続けることである。彼等は世界にとっての「バカ」の見本になり、「バカ」という言葉の意味の集合意識のテンプレートを強固なものにするのに貢献するのである。何故彼等がこのような「バカとして在るもの」になってしまったのかというと、承認欲求に囚われるあまり、自分を見失ってしまったからだ。「ゲド戦記」や「ハウルの動く城」に獣に変身する魔法を使いすぎると、元に戻れなくなってしまうという設定があるが、これは、承認欲求のために他者に阿って自分を偽り、自分の本当の姿を隠し続けると、やがて自分の本来の姿を失ってしまうことの象徴的表現であるのだ。

 

 だから、できるだけ他人に迷惑をかけないに越したことはない。バカでなければそんな行為を平気でできないし、バカであることを誇るようになったらおしまいである。他人に迷惑をかけることは自分にとっての負の遺産となる。便器のような東京オリンピックのスタジアムが余計な箱物となり、これからの日本にとって間違いなく負の遺産になるように。陰湿な噂話を喜んでしてるようなおばさん達も、喜んでバカになってるのと同じである。バカになることを恥じることなく喜んで続けていると、やがて本当にバカという「存在」になり、戻れなくなる。恐らく自我やアストラル体は歪んだまま硬化し、およそ人間のそれとは似つかわしくないものとなり、鉱物や植物、昆虫なんかに近い存在となっていくらだろう(アストラル体を持つのは動物以上の存在なので、彼等は動物以下になるということか。実際、下手な動物が見せる友情や思いやりの方が、バカな人間よりもよほど人間らしい)

 

 承認欲求はほどほどにして、自分を大切にしないとどんどんバカになる。バカになると、やがて「バカという存在」に落ち着き、人間としての魂を失う。そんな人間の魂が死後どんな風になるのかは詳しくは分からないが、月が地球から分離した際、月に残った魂のように、進化から取り残されることで、地球の霊の進化に貢献した存在がいた。そんな存在のように、理性を持って向上していく人達の踏み台になっていくのだろう。そう思うと、上記のような人達は哀れなものである。やがて精神世界での机や椅子のような存在になっていくのだろう。