徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

暴走族は赤ちゃん殺し

 暴走族の騒音とか、車とかマイクのマフラーを改造して爆音が鳴るようにしてる人達がいるが、彼等は皆例外なく赤ちゃん殺しである。その理由を以下につらつらと書いていく。

 育児ノイローゼになったママがやっとの思いで寝かしつけた赤ん坊が、暴走族の爆音のせいで起きてしまい泣き始めた。既に精神的にも肉体的にもボロボロになったママは気がつくと我が子の首を絞めていた…なんてことになりかねない。まあこういった事例があるかないかは別にしても、全ての暴走族とマフラーを改造する人間は、育児ノイローゼの親が子供を虐待死させることを助長したくてしたくて仕方ない人間だ。自分の手を汚さない分、直接虐待死させる親より罪は重いと個人的には思う。

 暴走族が暴走族なんかやってるのはこれもまた承認欲求で、チヤホヤされたい、構って欲しい、注目して貰いたいという気持ちだ。だから彼等は、赤ん坊のように泣けば構って貰える存在が羨ましいから殺したいのかも知れない。だからけたたましい騒音を鳴らして、赤ん坊を叩き起こし、母親に殺すように仕向けるのだろうと思う。

 要するに、あかんほ赤ん坊を盾に世の中や女性に構って貰おうとする赤ん坊より遥かに構ってちゃんしてる救いようのない存在である。赤ん坊を殺してまで満たしたい承認欲求って何なんだろう。彼等がそんな切実な人生を送ってるようにはとうてい見えない。彼等の承認欲求はただの贅沢で、甘え以外の何物でもない。爆音は「僕を構って〜僕に注目して〜赤ん坊なんかじゃなくて僕をチヤホヤして〜」と言っているのである。世間の母性本能に期待しているのか、何か奇跡が起きて偉い人が注目してくれるのを待ってるのかも知れない。河野太郎のようにタレントになりたいのかも知れない。或いは何か深い政治的メッセージがあるのかも知れない。まあそこにどんな事情があろうと、彼等暴走族やマフラーを改造する人間が赤ちゃん殺しであることに疑いの余地はないのだが。