徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察

子供への過干渉は、世間に対する過度の承認欲求から生じる

 

 毒親というのは子供が憎いとか子供に関心があるとかとは真逆で、子供には無関心だが、自分が世間とか職場の人にどう見られてるかということを、とても気にしていつもやきもきした気持ちで落ち着かずに生きている人達だ。いや、もっというなら、自分は世間や職場の人によく見られる「べき」で、チヤホヤされる「べき」だと考えている人達だ。だから、子供の行動に逐一干渉してくる。それは自分が世間や他人から、どう思われてるかをとても気にして生きているからだ。子供の行動を把握することで、少しでもその不安を軽減しようとする。それは、他人の行動を覗き見ることで、何か安心感が得られると勘違いしているバカの考えることなのだが。いくら子供の行動が把握できたところで、親自身の精神が思春期特有の自意識過剰精神をもった女子中学生のままでは、不安など収まるべくもない。もっというと、彼等が不安になるのは、よく見られたいという余計な欲望を持っているからなのだが。まあ要するに、子供の行動がいちいち気になるのは、自分の行動が他人にどう思われているのかをいちいち気にしているからなのだ。誰も関心がないというのに、愚かな彼等は自分がとても注目されていると思っているのだろう。

 

 大半の日本人は職場でマトモに仕事していないのによろしく、所謂毒親と呼ばれる人達は専業主婦主夫であるを問わず、仕事というものをしたことがない人達だ。正しい仕事とは試行錯誤で、それは絶え間ない自己の観察であり自己認識である。つまり、自分自身に集中しないと本来マトモな仕事はできないのである。自分こそが仕事をする上でもっともよきパートナーにならなければならず、それは人生におけるあらゆる試練について言えることである。

 

 ところが、毒親と言われる人達は強い承認欲求故に自分自身から目を背け、自分が惨めで不安な気分になる責任を全て子供にぶつけてきた人達だ。こんな連中は、結婚することも子供を産むこともなく独身で静かに暮らしている方が、よほど世界にとってはよい生き方だっただろう。自分がチヤホヤされるためだったら、人間というのは大抵の醜いことができるが、毒親と呼ばれる人達はそれをとてもよく教えてくれる。彼等がどれだけの金銭欲を、名誉欲を持っていることか。どれだけ強い性に関するコンプレックスをいい歳になっても抱いていることか。自分がどれだけチヤホヤされるべきで、素晴らしい見識を持ってる人間だと思い込んでいることか。どれだけ有名になる権利があると思っていることか。

 

 かの、子供をめった刺しにしたという事務次官も、強い強い名誉欲を持っていたし、自分が世間にどう思われるかを逐一気にする人間だったのだろう。だから、子供のやることなすことを一々否定して、無気力状態に陥らせ、最後には殺すことで、自分の世間に対する承認欲求を最大限に満たすことに成功した。「やむを得ず子供を殺した悲劇のヒーロー」を演じることはそんな人間にとってどれだけ心地いいことだったろう。自分の事件に関する報道を目にする度に、どれだけ彼の承認欲求が満たされただろう。だが、そんな歪んだ承認欲求は結局のところすぐに飽きを感じ、次から次へと不満のタネを見つけてはすぐにまた不機嫌になるのだ。承認欲求とは、穴のあいたバケツで、いくら他人から関心を貰おうと、心という容器に強欲という穴が空いているのだから、満たされるべくもない。彼は仮に捕まることがなくとも、充分に惨めだっただろう。なんせ、長く生きていても自分自身の友になることは出来ず、世間のみんなにお友達として認めて欲しいのだろうから。

 

 毒親とは、子供をいたぶることで、世間の「ダチ」になりたがっている人達のことである。ちょうど、学校で友達ができずに焦っている思春期の中学生が、誰かの悪口を言ったりいじめを通して結託するように。だが、自分自身を友達にすることが出来ない人などと、本当は誰も友達になりたいとは思わないのである。