徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察

仕事に慣れるとバカになる

 「私ももう3年目だし、仕事にも慣れてきた頃かな?最近は色んな役割を任されるようになったし、人事評価も悪くない。自分の力を今の職場でもっともっと、発揮してみたい!」なんてもしも新卒で今の会社に入社して石の上にも3年経ったあなたが思ってるなら、それは光の速さでバカになってるということだから気をつけて欲しい。時間に余裕のある社会人は意識して毎日読書しないといけない。家と職場を往復するだけでは、バカな人達と関わり合ってバカな仕事をすることしかできないから、せめて本でも読んでボケを防止をしろ。3年も経って職場に慣れると救いようのないバカになる。本来仕事なんかしてる暇ない筈なのである。僕も今の部署で3年目になるが日に日にバカにそしてクズになってるいるのをひしひしと感じる。そしてそれは、会社の低劣な人間の評判を気にするという卑屈な感情が頭をもたげた時に、最高潮に達する。即ち、会社の人間からの安っぽい賞賛を喜ぶようになった時に僕の魂は、最も卑屈で、最も低劣なものに成り下がるのである。

 

 日本の会社における多くの「仕事」は、パワポ職人とかワード職人とかエクセル職人とかのoffice職人が多く、何一つ特殊な技能や知識を磨くことなく長年会社に居座ってるだけのニートに近いような無能を生むものばかりだ。ニートは働かない代わりに金も貰わないが、office職人は遊んでるだけで大金を貰う。ちょうど学校のお勉強が教師の喋ることをノートに逐一書き写すことであるように、社内のどうでもいいことを逐一パワポやワードに文字おこしするのが仕事になってる連中だ。だが言うまでもなく、そんな売上に繋がらないただのお絵描きや写経を仕事とは言わない。もっとも、そう考えたら仕事らしい仕事なんて世の中にあまりないのかも知れないが。仕事がないにも関わらず8時間も会社にいるから無理が生じて人間性が歪むのだろう。つまらない仕事のモチベーションは女子社員と関わり合うことになり、打ち合わせという名の合コンで一日を潰すようになる。ちょうど大学が学生にとってのレジャー施設であるように、会社はおっさん達のキャバクラのようなものと言っていいだろうか。そして滑稽なことに、ほうれん草やらパワポ職人やらワード職人やらエクセル職人を生業としてるような何の取り柄もない連中も、一人前にパワハラを働くようになる。特別な専門知識もなく毎日一生懸命勉強する訳でもなくとりわけ高学歴でもない連中が、長く会社にいただけで自分を素晴らしくかっこいいパワポ職人だと思うようになる。これが人が腐るまでのプロセスであり、どんな職場でも長く居座り続けると腐るリスクが上がる。

 

 そしてそんな無意味な仕事が中途半端に多忙だと、その悪影響は計り知れない。無駄に長い労働時間にやりがいもどきを感じたり、それを人に押し付けるようになったら救いようがない。もっとも、パワポ職人ですらパワハラを働くのだから、無意味な仕事に関しても押し付けや長時間労働が発生するのは必然である。

 

 だからやっぱり、人は何か一生磨き続けることのできる芸術的な仕事を一つでも持った方がいい。たとえそれにより金銭を得られなくても。食うための仕事ではなく、仕事のために食える何かが人間には必要だ。ブログもその一つ。一生続けられるし、一生磨き続けることができる。こうした仕事は会社で虚栄心やメスへのアピールのためにやるパワポ職人の仕事とは全く違い、自分自身の魂と深く語り合い、言葉の道筋を辿って宇宙の深淵の秘密にまでも辿り着くことができる、永遠へと至る秘儀なのである。ブログを書くことは世界を造ることであるし、宇宙の神秘を垣間見ることでもある。

 

 会社でパワポ職人をしながら何か恍惚とした表情をしてる気味の悪い人間を見かけたら、彼を反面教師にあなたはブログでの執筆活動に勤しむことにしよう。パワポ職人やワード職人がやってることは小学生が教師の前でプリントを解くのと何ら変わらない低レベルな行いだが、ブログを書くことはこの宇宙と世界を創造した神に近づく立派な祈りの行為なのである。会社での労働はエントロピーを増大させるが、ブログはエントロピーを収束させる。言葉は自由であり、魔法だ。言葉を正しく使うことのできる人間は、自分の魂も正しく使うことができる。言葉は永遠への扉を開き、低劣な労働で穢れ切った魂に清涼剤のような癒しを与える。スピリチュアルに言うなら、「真理の泉にて、魂の渇きを癒す」である。この表現はセネカもシュタイナーも使っていた。霊学において僕も大好きなフレーズである。哲学や霊学は宇宙と人生の法則を見極め、無味乾燥な労働から魂を解放する力がある。だから仕事に疲れた時は、ブログを書くといい。